かつてまだ千葉県湾岸地域には遠浅の海が広がっていたころ、津田沼から千葉に至る京成電車は海岸のすぐ横の丘の上を走っていた。そのため夏になると東京方面から海水浴に向かう人達で混んでいて、黒潮号という名の夏季限定の臨時急行列車も上野駅から運行されていた。私も稲毛や黒砂海岸には何回か通ったが、海は遠浅なので潮が満ちてこないと泳ぐことが出来ない。潮の引いている時はアサリ採りで時間を過ごし、潮の満ちてくるのを待って泳いだ。海岸の防潮堤の上には千葉街道が走り、その海側にはトタン葺きの粗末な海の家が、堤にへばり付くように並んで建っていた。しかし昭和40年代に入るとこの遠浅の海は急速に埋め立てが始まり、広大な敷地に住宅や工場が建設されていった。
「メロンが食べたい!」粗末な海の家の階段を上がっていくと、畳表が敷かれた広い空間が現れる。そこでは多くの海水浴客が車座になり、おのおのカキ氷やスイカなどを食べていた。「何を食べる?」と聞く父親に自宅では食べたことないメロンが目にとまった。薄く黄色い皮をむてもらうと真っ白い果肉が現れた。でもこれ本当はマクワウリといそうだ。私が子供の頃は本物のメロンは値段が高く、この黄色いマクワウリをチマタではメロンとよんでいた。当時は今のマスクメロンなどは、近所の八百屋や果物屋では見かけなかった。その後しばらくして、ウリとメロンの交配種の安いプリンスメロンが新しく市場に出回ると、マクワウリは消えていく。
「子供の頃あの黄色いマクワウリを確かメロンと呼んでいたよなあ」と女房に話したら「ああ、あれは我が家ではマクワウリと呼んでいて、美味くないので私は食べませんでしたよ」と一蹴された。でも昔のメロンパンは今のパンよりずっと黄色かった。私はメロンパンと言うと黄色いイメージがしかない。それはむかしメロンパンを作った頃、マクワウリをメロンと呼んでいたので、黄色の色付けにしたのではないかと推測するのだが?もしそうでなければメロンパンは草色にするべきだったと思う。最近はメロンパンの専門店もあちこちにあり、いろいろな種類のメロンパンが出回っていて、メロンパンは若い人にも人気があるようだ。
あくまでもマクワウリのあの黄色が好きで、どうでも良いことにこだわっています。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)