昭和30年当時まで自宅近くにあった「石渡」という名の乾物屋にお使いで行くと、ピンク色に染まる鱈のデンブにいつも目が留まる。およそ食品として違和感を感じるその色はどこか怪しげで、私の好奇心を刺激していた。我が家では両親もこのデンブが嫌いで殆んど食卓にあがることはなかったが、興味半分で一度母親に頼んで買ってもらったことがある。でも食べてみるとその味はただ甘いだけで何の感慨も湧かなかった・・・。それから時が経過し中年になると、趣味で通っていた赤坂の料理教室「柳原」では、これとは違う色のデンブの作り方を教わった。その方法はまず茹でた鱈の身をほぐし、布巾に包んで揉みながら水道水で水洗いする。すると身が分かれて細かく糸のような繊維状になった。それを佃煮のように醤油煮すれば完成する。
そういえば最近タラのデンブと共に棒ダラも見ることはまれだ。カチカチに固まった板のような棒ダラを手で裂き軽く火で炙ると、簡単なおやつになる。「これを噛めば顎が丈夫になるよ」と母親から手渡されが、スルメと同様に噛んだりしゃぶったりと、口の中に留まる時間が長くなるので、空腹を満たすにはもってこいの食料でもあった・・・。今の子供達は硬い乾物や豆類などをあまり食べない。そのため顎の発達が弱く、四角い顔の子が減っているように思える。頑張る時には奥歯を強く噛み締めるので、顎が弱いと当然根性の無い子に育つとされた。「お前男だろ。もう一度行ってぶっ飛ばしてこい!」むかしは取っ組み合いの喧嘩などをして泣いて帰ってくると、こうけしかける親もいた。
「男は体を張って国や家族を守るために絶対に負けるな」戦後はまだ今では考えられない教育をしていた。学校でも親が先生に「うちの子、言うことを聞かなかったら、ビシビシなぐってください!」などと平気で進言していたので、当時の男子は先生によく殴られた。平手で殴られ鼓膜が破れることもあったが、それでも親が学校に文句を言うことも少なかった。でもやられたらやり返す!私は中高男子一貫校に進学したので6年間ずっと同じ学校にかよった。するとまだ身体の小さかった中学時代に先生に殴られて恨みを持つ子もいる。そこで「おぼえてろよ!」と高校三年の卒業式に仕返しを夢想する。でも実際に実行する子は少なかったが、先輩の何人かがこれをやった。卒業式のあと自転車で帰る暴力教師を数人で待ち伏せ、後ろから押して「ひと風呂浴びてこい!」と学校横のまだ冷たい早春の小川に突き落としたのだ。
後輩のわれわれもその話を聞いて「ざまあみろ!」と拍手喝采だった。するとその後、この(タコというあだ名)非常勤の音楽教師は卒業式に顔を出すことはなかった。(勝田陶人舎・冨岡伸一)