「長島が来てるぞー!」の声に近所中が騒然となった。私も家を飛び出し5軒ほど先の、濃い樹木で囲まれたシモタヤ屋に駆け寄る。するとそこにはすでに黒山の人だかりである。小学生高学年であった私は人をかき分け先頭に出た。「本当だ。いるー!」見ると縁側に腰掛けた長島茂雄さんと若い女性が向かい合って雑談中。しかしなぜこんな市川の片田舎に長島が来たのか?実はこの女性は長島と同じ千葉県佐倉高校の同級生で、あだ名を黒ちゃんと言い長島のガールフレンドであったとか。六大学野球で大活躍の長島は立教大学を卒業後に憧れの巨人軍への入団が決まり、その報告のため黒ちゃん宅へ立ち寄ったらしい。テレビが各家庭へ普及し始めた当時、プロ野球同様に六大学野球もテレビ放送され立教長島はすでにお茶の間の大スターであった。
当時野球は大人気で男の子のほとんどがこのスポーツに興じていた。私立市川中学に進学した私は入学式のあと、希望どうり野球部に入部申し込みをしたが三百人の同級生数の内、すでにそこには70人もの入部希望者がいて、あまりの人数に驚き一週間で「これではとてもレギュラーになれないわ!」とすぐに退部した。しかしその野球部は半年もすると入部者は減り続け10人程度に落ち着く。今ほど娯楽や情報の無い時代、流行はなんでもはやり始めると一極集中する。それこそ全てが「猫も杓子も」なのであった。そのあと私は地学部へ入り先輩達に導かれて学校周辺の台地や貝塚を訪ね歩き、切り崩した崖の地層調査や縄文土器の破片採取などを行なっていたが、地味なその作業にもじきに飽きて退部する。
最近当時のプロ野球大スター金田、野村さんが相次いで他界した。しかしあの長島さんは体を病んでも今だに健在である。長島さんといえば集中すると他のことが頭から抜けるので有名だった。逸話として残るのは現役時代に息子の一茂を球場に連れて行いったが、試合後が一人帰宅してしまう。すると息子のいないのに気づき、あわてて連れ戻しに行いった。また世田谷で夢中でジョギング中、帰り道が分からなくなって人に聞いたとか・・・。「いけねー、歩いて帰ってきちゃった」私も自転車で出かけて徒歩での帰宅が数度あった。ぼーっと考えていると肝心なことが抜け落ちてしまうことがある。先日サッカーの本田選手が海外の空港レストランで金を払うのを忘れて、あわてて戻ったという。「日本人か?正直なあんたらは神だ!」と会計人にいわれたらしい。
日本人の嘘のつけない実直で正直な性格。グローバル化が進んでも他文化に汚染されず、後世まで続いて欲しい。(勝田陶人舎・冨岡伸一)