茶飲み話・桐島聡

 

長い間逃走していた桐島聡容疑者がついに逮捕された。彼は東アジア反日武装戦線と名乗る極左暴力集団のメンバーで、三菱重工ビルなどいくつかの爆破事件を起こし、8人もの死亡者を出す罪で半世紀にもわたり指名手配を受けていた。海外に逃亡し、日本には住んでいないと思われたが意外なことに神奈川県に潜伏していたというので驚きだ。

でも彼は末期ガンを患い救急搬送された病院で実名を明かした後に、すぐ危篤になり死亡してしまった。そのため当時の事件の詳細は分からずじまいで、この事件は消滅する。50年近くたった今でも彼の指名手配書は駅や交番の掲示板に張られていたので、追及の手をゆるめない警察の強い執念を感じた。現在はこの手の事件に時効はない。

「欧米の資本主義を直ちに粉砕し、共産主義国の樹立を!」と多くの若者が叫んでいたのが1970年前後である。大学生であった我々団塊世代の多くはソ連や中国などの社会主義国が理想だ!という教育を受けていたため、それを信じて過激な行動に走る若者もいた。私自身も当時は心情的に共産主義に憧れを抱いていたのも事実である。

この背景には日本が太平洋戦争でアメリカに負け無条件降伏をしたため、自由と民主主義という名のもとに、アメリカ人の価値観に従うことを強要される。これにより長く続いてきた日本古来の伝統文化や思想は全否定され、日本人は思考回路を失う。この空白に入り込んだのがマルクスの標榜する共産主義思想である。

この思想には高学歴な知識人ほど共鳴したため、学校の教職員が日教組という組合を創設し、生徒たちに左翼的思想を啓蒙した。すると教育とは恐ろしい!当時の多くの若者が共産主義を理想とするようになったのだ。そして一部の若者は暴力で日本を共産主義に変えることに奔走し、桐島聡容疑者のような過激な行動をとることになる。(半世紀も前の話で記憶も薄れたが、桐島もまた戦後教育の犠牲者でもあるのです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

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