茶飲み話・ベースアップ
「いよいよ給料の賃上げが始まった!」春闘の季節になり大手企業各社からベースアップのニュースが舞い込む。トヨタ月額28000円、日本製鉄35000円など軒並み大幅な賃金上昇である。そうなると困るのがあまり利益の上がらない中小、零細企業で働く勤労者である。大手企業との賃金格差はドンドン開き、貧困生活が待っている。
でもそれよりもっと大変なのが我ら年金生活者である。諸物価が年々大幅上昇するのに年金据え置きでは、得意なスーパーのセール品あさり程度の安易な生活防衛では焼け石に水になる。5,6年前まで近くの酒類のディスカウントストアー河内屋にビールを買いに行くと、空いていてレジに並ぶことなどあまりなかったが、最近では安売りの食品目当てに多くの人で込み合うようになった。
私の住む市川市菅野地区は比較的に余裕のある人の住む地域であるが、年金生活者も多く忍び寄る物価高には抗しきれないようだ。人は貧困に向かうと二つの異なった行動をとる。一つは節約に徹し支出を抑える。もう一つは長時間働いて金を稼ぐ。すると働けない高齢者は種銭のあるうちに投資で稼ぐことになる。でも素人がいきなり投資などして上手くいかないのも事実である。
そこで常に私が推奨するのはゴールドの貯蓄である。ゴールドはそもそも古来よりお金そのもので、ドルや日本円など紙幣より余程信頼性がある。現在のように中央銀行が輪転機をまわし紙幣を大量に印刷すれば、紙幣の価値が毀損してインフレになるのは「あったり前田のクラッカー!」当然ゴールドは希少価値の高い金属なので奪い合いになり、雨後の筍のように天に向かう。
でも最近のようにゴールドが値上がりすると推奨をためらう気持ちも沸く。そこでまだ値上がりの少ないシルバーを買う手もある。シルバーは実際にはすでに品不足で田中貴金属でも店頭では売ってくれない。現物購入は積み銀口座を開設しコツコツ買うしかない。何もしないのも地獄、株式投資で損をするのも地獄!まあ庶民には少しずつ貴金属貯蓄することぐらいしか無いかもね。(今後やって来る高インフレは甘く見ない方が良いです。勝田陶人舎・冨岡伸一)
豊田商事
茶飲み話・豊田商事
最近のように金価格が上昇し、マスコミでもこの話題が取り上げられるようになると、思い出すのがあの最悪な豊田商事事件である。私がまだ30代であった1980年代の中頃は現在のように金価格が上昇し、金投資がブームになっていた。そこで庶民はそれまでほとんど目にすることのなかった金塊に注目する。そして金銭に余裕のある人は金の購入にはしった。
すると当時「金はこれからもまだまだ上昇しますよ。金を買いませんか!」の巧みなセールストークで電話した後、自宅にやってきて知識のない高齢者に強引に金塊を買わせる悪徳業者が現れた。それが一大スキャンダルとなり世情を騒がせた豊田商事事件である。しかし彼らが売りつけたのは金の現物では無く、その「預かり証」で利子を毎月払うという方法であった。
そして利子は最初は振り込まれるが、ある時からぱったりと連絡が途絶えなしのつぶて!こうして数万人もの高齢者が騙され、その額は2000憶円にも上った。運悪くその金が主に高齢者の虎の子であったため、年金生活が立ちいかず生活苦にあえぐ多くの老人が出現する。そごご問題発覚で豊田商事の社長は暴漢よって惨殺されるが、手元に戻った金額は雀の涙の1割程度の配当金であった。
「かかってきましよ、わが家にも先日金購入を誘う電話が!」最近再びの金ブームで貴金属投資が話題になると、登場するのがこの手の詐欺事件である。現在は電話勧誘の他にスマホなど新手の詐欺事件も頻発しているので、対応を間違えると無一文になる。そこでこの機に及んで再び記憶をよみがえらせたいのが、豊田商事事件などの教訓である。
ただゆったりと一杯の抹茶をいただきたいの一念で茶碗を削り、このブログなども書いている。しかしあまりにも難しい時代に差し掛かっているので、老婆心ながら皆様と情報を共有したく、安全資産であるゴールドにたいする私見など述べております。日々金価格が上昇してますが、これは高インフレが始まるサインなので気をつけてください。(いよいよ金価格が上下に大きく振れる時代になってきました。グットラック!勝田陶人舎・冨岡伸一)
荒城の月
茶飲み話・荒城の月
「春高楼の花の宴、巡る盃影さして、千代の松が枝わけいでし、昔の光今いずこ・・・」。毎年この季節になり桜の花が芽吹くと、必ず口ずさむのがこの曲「荒城の月」である。土井晩翠の男性的な歌詞と滝廉太郎の抒情的な旋律の組み合わせは、聞く人の心を強く打つ響きをもつ。ほろ酔い気分で窓の外に目をやり、おぼろ月でも望めれば「ああ、生きててよかった!」と幸せな気分になる。
あまりにも有名なこの曲に、何か論を挟むほどの教養など持ち合わせていないので、ただ漠然と歌詞をたどっていたが、ふと疑問に思ったのが「植うる剣に照りそいし」の意味である。そこでさっそくググってみると「植うる剣」とは霜柱のことで、霜柱に光る月光という事らしい。喜寿を迎えたこの年になって初めて認識したとはねえ。「荒城の月」が好きだなどと語る資格はないかも。
若くしてその才能を発揮した廉太郎の人の心を打つこの美しく抒情的な旋律は彼が結核を患い、人の世のはかなさを強く認識した結果生まれたのではないかと思う。戦前までは一度結核にかかればほぼ完治する見込みはなく、多くの人々の生命を奪っていった。それは神童も例外でなく、彼らも世をはかなんで散った。私の好きな詩人中原中也や原口藤蔵もしかり、夭折した天才の作品にはどこか凄みがある。
現在では思春期の若者が結核などを病んだり徴兵されることは無いので、多感な時期に死を意識することはまれだ。すると生き方がどうしても平坦になり、ただ時に身を任せて流されることになる。そして40歳にもなると慌てて過去を振りるが時はすでに遅し、貴重なエポックのタイムロスは取り戻せない。一度きりの人生で、思春期に死を意識して「哲学」することの重要性を改めて感じる。
「何を信条にこれまで生きてきましたか?」と問われれば、冗談に浪漫と抒情だと答える。別の言葉では夢と微睡でもよい。でもこれはあくまで日常生活が維持できる前提ではある。がんらい怠け者の性格で仕事に根を詰めることなど不向きだが、さすがに実体のない夢追い人で終わるつもりもなかったのにねえ・・・。(荒城の月を聞き今宵も酩酊で暮れた。勝田陶人舎・冨岡伸一)
金塊
茶飲み話・金塊
最近中国では政府も民間も金購入に走っている。原因は不動産価格や中国株の大幅下落、そしてまた人民元安などがある。中国人の視点では財産を現金で所有すると価値がどんどん目減りするので、世界的に価格の安定しているゴールドに心を奪われる。以前は中高年がゴールドを買いあさったが最近は若者が多いとか?そのため金は品不足になり、中国の国内金価格は国際価格より1割ほど高い。
「あれ、何じゃこれは!」とぶったまげ。近年の金価格上昇に気をよくした中国人達が以前に買って隠匿していた金塊を久しぶりに取り出すと、なんと変色しているという。驚いて削り中身を調べると、なんと鉛に金メッキを施したものらしい。慌てて買った業者に詰問するが知らぬ存ぜぬの一点張りで、ラチが明かないという。かの国は騙される方が悪いのだ。
でもこの金塊には政府が本物と証明する印鑑が押されている。でもこの程度の話なら役所の担当者に賄賂を渡せば済む話だそうだ。金塊などあまり手にしたことのない人は金と鉛の重量差など分かるわけがない。この手の詐欺は日本でも時々起こるが、中国のそれは規模が大きく社会問題になっている。金の現物購入は多少高くても、田中貴金属、徳力本店、三菱マテリアルなど信頼のおける業者を選びたい。
そこで騙されぬよう各金属の比重を調べてみよう。まず金は非常に重いので鉄に金メッキを施してもすぐにバレる。すると比較的安価で重い鉛が使われる。しかしタングステンに金メッキを施せば比重がほとんど同じなので分かりにくいのだ。各金属の比重は以下の通りである。金19,32、銀10,49,鉄7,87,銅8,93、鉛11,36,タングステン19,3,一番重いプラチナは21,45もある。
そもそもゴールドが注目されるなど、ろくな時代ではない証拠だ。ゴールドは戦争や金融危機が大好きなのだ!これから世界が混乱し続ける限りはゴールドは買われる。でも今後世界が平和に向かえばゴールドは売りだ!しかしそんな日が近未来に来るのですかねえ?とりあえずは札束握っているより、ゴールドの方がましな気がする・・・。(世の中が乱れれば、闇夜に金はピカピカ輝く。勝田陶人舎冨岡伸一)
モクレン
茶飲み話・モクレン
寒い冬も終わり厚手のコートをたたむ頃になると、真っ先に大きく白い花を咲かせるのがモクレンである。私にとってモクレンほど思い出深い花はない。なぜかと言えば私がまだ小学生の頃、父親が制作したモクレンの屏風に心を奪われたからだ。子供心にも闇夜に咲く白モクレンの美しさは衝撃的であった。しかし残念な事とに、その後この作品は人手に渡ることになる。
当時父親は結核を病み、闘病生活を3年間続けた。すると我が家の生活は困窮し、生活費ねん出のため父親が制作した日本刺繡の屏風などを、売却することになった。でも幸いな事に新しく開発されたストマイなどの抗生物質の投与で、父親は一命をとりとめることになる。いっぽう人手に渡った作品は、二度とわが家に戻ることはなかった。
「どうしてもあのモクレンの屏風を再び拝みたい!」の気持ちは強く20年前に売却先の持ち主を訪ねてみた。そしてその時に写した写真がこれである。もしこの時父親が病気を罹らなければ、このような作品が10数個も存在した。いま手元にあれば父親の回顧展を開き、皆さんにもお披露目できたと思うと甚だ残念である。持ち主によれば、他の作品はそのご兄弟で分けたというのでその存在は詳しくは分からない。
日本で民芸運動が始まったのが大正15年である。それは手仕事によって生み出される日本の伝統工芸を芸術の域まで高めようという運動であった。発起人は柳宗悦、富本健吉、河井寛次郎、板谷波山などの各氏である。そこで当時まだ30歳前後であった私の父も、日本刺繍作家としてこの運動に加わることになる。そしてその活動先に選んだのが日展の前進で帝国美術院の帝展だった。
「この作品は面白いべえ!」と言ってあの著名な陶芸家、板谷波山に褒められと言う。(この作品ではない)父親から聞いた話だが板谷波山は地方出身なので、ギャラリートークの時に訛のある言葉でで父親の作品を評したという。当時帝展の工芸部門は陶芸家の波山や富本などが全作品の審査員をやっていたので、自分の作品が評価されるか心配な部分もあったと語っていた。(父親が50歳の時に結核にならず、そのまま作家活動を続けたらと思うと心残りである。勝田陶人舎冨岡伸一)