ムール貝
ムール貝はイタリア語ではコッツェといい、アサリと同じようにパスタやオリーブオイル焼きにして頻繁に食べる。しかしムール貝は日本ではムラサキイガイと呼び大正時代に地中海から船底などに付いて日本にやってきた。そのご日本全国の海岸の岩礁などに付着していているが、ほとんど食用にはされていない。東京湾のいたる所で繁殖し、特に浦安海岸のテトラポットなどを覗くと大量に見つけられるが、これを採って食べる人など今だに聞いたことがない。この先海産物などが減少すれば注目されるのではないかと期待する声もある。数年前に東京のイタリアンレストランでムール貝のオイル焼きを頼んでみたが、日本産なのか黒い貝殻が大きい割には黄色の身の部分は小さく味も良くなかった。
ところで日本は海産物が豊富でありがたい。こんなムラサキガイを食べなくても、もっと旨い貝はいくらでもある。ホタテ、タイラ、ミル、アカ、ホッキ、アワビ、サザエなど種類も豊富だ。以前パリで店頭に海産物が飾られている高級レストランでに入って食事してみた時のこと。このレストランは生牡蠣が旨くて有名ということで頼んでみた。牡蠣は二種類あり身が薄いのと厚い貝、「厚くふっくらしている牡蠣の方が美味しい」などと連れと話し、満足して高いお会計を払って帰った。しかしそのころ実はこの牡蠣、「日本の広島産の牡蠣で毎日JALで空輸されて来る」ということを通訳の人からあとで聞いた「なんだよ!わざわざパリまで広島産の牡蠣食いに来たのか、それじゃあ高いわけだ!」
ヨーロッパでも地中海沿岸の人々は魚や貝などの海産物をよく食べる。欧米人はタコは食べないと言われるが、イタリア人でも南の人はタコを食べるようだ。前にナポリに旅行した時に、港の近くの屋台でタコの足のスープを飲んだことがある。透明の厚いガラスコップにスープと小さなタコの足が一本入っているだけ、値段は50円位だった。味は旨くなかったが、イタリア人はタコを食べるのか?新たな発見でもあった。でもイタリア人はイカ墨のスパゲッティーがあったり、タコよりもイカを好むようでイカは魚売り場でよくみかけたが、地中海は日本の海ほど魚の種類は多くなく、値段も高いように感じた。ただシチリア島のパレルモに旅行した時に、魚市場で豊富な鮮魚がたくさん並ぶ光景を目にしたこともある。
写真は牡蠣ガラのような自作のお皿、蟹の箸置きにも注目。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
テイスティング
テイスティング
フランスやイタリアで高級レストランに入り、コース料理たのむとまず悩むのがワインボトルの選択である。ワインは銘柄数も多く高級ワインなど日頃飲みつけないので知識が乏しい。ワインリストを見るが分からないので私は味よりも価格で選ぶ。しばらくするとボーイがそのボトルを手に持ち客にラベルを見せ「これでいかがでしょうか?」と確認させる。次に客の目の前でボトルのコルク栓を抜くと、テーブルの誰かにテイスティングを依頼する。ここでワインの知識もあまりないのに、もし「ノン・バ・ベネ(良くないです)」、あるいは顔をしかめるたらどうなるだろうか?「さあ大変だ!」ボーイはその客がワインの味に詳しいと思っている。ボトルを持って厨房に戻り何人かで少し飲んで品質をチェックする。(彼らはプロだ!かっこつけるとここでバレル)
しばらくして、また新たな一本を持ってきてボトルを開栓しテイスティングする。今度は適当に微笑んでベーネ(よいです)といい、会食が始まるが最初の(良くないボトル)会計は誰が持つのか・・・?「高級レストランのワインボトルはボルドー産が多くどれも高い」高いワインを持っているのかどうかが、レストランのステイタス。でも一度栓を開けたワインは価値はなくなるので、レストラン側でもワインの仕入れと管理には気を使っている。高級ワインは何年も寝かせるので同じボトルでも管理が悪いと味に差が出る。そこでテイスティングして味の確認をするわけだが、高級ワインにはあまりなじみのない、日本人に味の微妙な差など分からないと思う。
よせばいいのに以前、イタリアの高級レストランに同行したわたし先輩が、これを気取ってやった事があった。「テイスティングとは本来品質のチェックで、好みの味のチェックではない」口に合わないのは銘柄の選択が悪いあなたの責任で御代はきちんと頂きますと、あとでしっかり(飲んでない良くないボトルの代金)も請求された。結局五人で割り勘したが、「味も分からないくせにカッコつけやがって、あのボトル代金ぐらい自分で払えよ」であった。イタリア人でもたまに会計の時に客とレストラン側で、この支払いについて口論している場面に出くわすことがある。でも客が品質チェックでよほど微妙な味の差まで追求できないと、レストラン持ちにはならない。テイスティングはあくまで儀式と捕らえた方が無難であると思う。
写真、自宅のワイングラスを並べてみました。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
つくし
つくし
なんとなく日差しも強くなり、春の気配を感じるようになると土手などの陽だまりに顔を出すのがツクシとヨモギである。子供の頃はツクシを摘んで帰り額の部分を取り除き熱湯で霜降って、お浸しにして食べた記憶がある。しかし最近では殆んどツクシなどお目にかかったことがない。今の若い人はツクシを食べたことない人が多いのではないか?ちょっとほろ苦く日本酒のツマミには良いと思う。ヨモギは摘んできて餅に入れ一緒に杵でつくと、草団子になりアンコを絡めれば最高に美味い。むかしヨモギまだ早春の野菜不足を補うクスリとしての健康食品でもあった。柴又の亀屋本舗では草団子が有名で以前は参詣のおりによく買って帰ったが、そういえば最近はずいぶんご無沙汰である。
何年か前にテレビで見た話だが、春になると野山に出かけては野草を摘み、片っ端から天麩羅にして食べる俳優を取材していた。ノートにきちんと写生し食後の味の感想などを記入すれば趣味というよりも、これはもはや研究に近いと思う。事前にトリカブトなどの超ヤバイ毒草さえ憶えておけば、何を食べようがあまり問題はないだろう。昔トリカブト事件という妻三人と次々に結婚しては保険金目当てに、トリカブトを食べさせ殺した恐ろしい男がいたが、たまに腹を下すのもサバイバルと思えばなんてことない!とまあ自分は野草採取などしないので、勝手なことを言っているのであるが。
でも野生の葉で一つ食べてみたいのがカイコの食べる桑の葉である。桑になる赤い実は食べられ、何回か摘んで口に入れたことがあるが、味はベリーのようだった。でも葉っぱもカイコがあれだけ夢中になって食べ、白く丸々と太る葉だ。美味くない分けがない。実は桑の葉は体によく、乾燥させ桑茶にすると健康によいらしい。桑の葉にはアントシアニン、ポリフェノールが大量に含まれていて、老化防止や高血圧にも良いという。かって屋根裏でカイコを飼っていた農家の人話よると、多くのカイコが桑の葉を夢中になってバリバリ食べる音が、天井裏から聞こえてくる言っていた。カイコが奏でるオーケストラどんな音を奏でるのか一度聴いてみたい気もする。
写真は自作のツクシの絵の角皿と桑の葉を写した箸置きです。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
焼き物
焼き物
一般的に焼き物と称する器には磁器と陶器があるが、この区別をはっきり理解している人が意外に少ない。まず原料が違う。磁器は磁石という白い石を砕いて粉にし、水を加えて粘土状にしたものを使用するが、陶器は川や湖の底など泥沼地に溜まった粘土層が、地殻変動などで隆起し、地層となって現れた土の粘土が原料である。
粘土が原料の陶器は土器から進化し、どこの国でも昔から作られてきた。いっぽう磁器は中国が発祥だ。景徳鎮をはじめ磁石の採れる一部の場所で秘密裏に作られてきた。中国が戦乱で混乱すると、代替品として(秀吉が朝鮮出兵の時に鍋島藩など、九州の藩主らが朝鮮から連れてきた、陶工に焼かせていた)伊万里など磁器がヨーロッパに輸出されはじめる。
その後ヨーロッパでも自国生産を目指し王室の保護の下、研究開発が進められマイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ウェッジウッドなど独自の磁器が登場する。今日では磁器の製作はヨーロッパの方が盛んでブランド化もされている。
写真の上が自宅にあるマイセンの皿。下は自作の陶器の皿。この両極端の二枚の皿を良く見比べて欲しい。精巧な型を作り磁土を流し込んで成型し、薄くて完成度の高い美を追求した磁器。自然との一体感大切にする日本人の感性をイメージして、厚くザックリと製作した陶器。料理や用途などによっても違うが、日本料理の基本は食材を過度に手を加えず、自然の味や姿を生かすという。天ぷら、刺身など代表的な日本食を盛ったとき、さてどちらの器が合うのだろうか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)
ワイン
ワイン
「たかがワイン、されどワイン」である。世の中のお酒でワインほどボトル一本の値段に開きのある飲み物はないのではないか。先日友達と工房の帰りにサイゼリアに行きメニューを眺めていると、どの料理も値段がリーズナブル。「なんとデカンタワインの値段が400円程とある」そこで私は好きなピザと赤ワインをたのんだ。通常イタリア人はワインをゴブレットなどでちびちび飲まない。大き目のグラスコップに注ぎ大胆に飲む、それだけワインは彼らにっとっては日常的でカジュアルな安い酒である。日本人は欧州ワインといえばフランス・ボルドー産を連想し、高級品でよく味わって飲むものだと思っている人が多い。
確かにワインの値段はピンキリで幅がある。たまにフレンチなどの高級レストランに行くとワインの注文には悩む。ワインリストを見て頼むのだが、ワイン通でもないので知っている銘柄などほとんどない。赤ワインはポリフェノールを含み健康に良いそうで最近は赤を注文することが多いが、レストランでワインを飲むと酒代が高くつくので困る。酒好きが何人か集まりれば当然ボトル一本ではすまない。何本も注文すると請求が料理代よりも高くなることもあるが、それでいてまだぜんぜん飲み足りない気分で帰る。高いワインボトルは料理の口直しにゆっくりと味わうもので、酔うための酒ではないのだろう。
「しかしサイゼリアのワインのこの味、どこかで飲んだ記憶がよみがえる」かつてイタリアのペルージアという町で語学研修を受けていた頃、休日に車で友人と郊外にドライブにいった事があった。途中で小さなワイン醸造所を発見!立ち寄ってワインを買ったが、ここのワインは量り売りだった。ラベルもなく普通のワインボトルに樽から直接うつすが、値段は一本分で300円ぐらいで安い。四本買いこんで三人で飲んだが、記憶がなくなるほど酔っ払った。このワイン、イタリア語ではヴィーノ・ロカーレといいローカルワインのこと。イタリアにはこのような小さな醸造所が沢山あるが、作る量が少ないので地縁程度で消費されているという。
サイゼリアは私の住む市川市の本八幡が発祥であるので40年も前からなじみがあるが、今後ともがぶ飲みできるワインの提供宜しくお願いします。(
千葉県勝田台、勝田陶人舎)