
菊

器を作ってみませんか
先月末、ご近所の八木さんから菊の花を頂いたが、この菊の色が変わっている。緑色なのである。奥さんが育てたということだが、こんな緑色の菊、以前にはなっかった。この色では虫もこないので、受粉できるのか?などと思案するが、たぶん今流行のバイオ技術などを、用いたものであろうか?
菊の花は食用になる。先日、NHKの海外向け放送を見ていたら、築地の料亭「田村」の主人が菊の花の料理方法の実演をしていた。まず、花弁をむしり取り熱い湯で軽く下湯でたあと、ざるに取り水を切る。さらに両手で絞るとなんと、あんな沢山投入したのにほんの少しの量になった。それをボールの中に入れ三杯酢で味付け、菊の花模様の染付けの器に美しく盛り完成。手順はざっとこのようだ。
国際番組で紹介するのであるから日本に花を食べる習慣のあることが、よほど珍しいのであろうか?たしかに海外では観賞用の花の料理など聞いたことがない。
写真の背景の掛け軸は、私の父が描いた菊の絵の日本画で、晩年の80代の作品だ。父は染色、日本刺繍、日本画などを職業とし、日展にも出品。工芸家として活躍していた。絵の菊は花弁の細く長い種類で、名前は細管と言ったか?定かではない。
伝統的な菊の絵と今の菊、並べて比較してみた。
最近、白無地の磁器の器が大人気だ。ニトリなどの家具屋から、百円ショップまで安価で売られている。この現象は、フランス料理の「器はキャンバス」という考えからきているのではないだろうか?西洋の油絵は白い布のキャンバスの上に画家が、思い思いの発想で絵を描き、作品を仕上げる。
フランス料理も同様に、料理人が自分のセンスで食材を盛り付け様々な色のソースでアクセントをつける。大きめの白い器に、ソースをまるで絵画を描くように皿の余白に美しくたらしていく。そのために模様や柄などは言語道断、全て邪魔。
料理人の感性が、その料理の決め手になってこそ、料理人の腕の見せどころ。皿はまさに真剣勝負の白いキャンバスなのだ。
このような理由で日本でも、急速に普及してきた白い器だが、日本人は盛り付けのアクセントに、ソースをあまり使わない。味は最初からつけられていて、各自がお好みの味に、皿の上で調整するという発想が無かったのだ。そのため一汁三采が全部白いお皿に、ただなんとなく盛られている。白なので統一感は取れる。でもいつも同じで個性や変化が無くつまらない。
そこで同じ白い器でも岩に薄く雪が積もったような、ざっくりとした自然味あふれる白い器などいかがだろうか?
お茶を入れる道具には「急須、ポット、ヤカン」などがある。私の感覚では、急須は注ぎ口の正面から見て右側にとってが付いている。、ポットとヤカンは後方か上にハンドルが付いているもの。しかしこの区別の仕方は厳密ではない。
右側にとってが付いている急須。実はこれ左利きの人には非常に使いづらい。右利きの人が急須を左手で持ってお茶を注いで見れば分かる。注ぎ口が外側に来てお茶の出を確認しづらい。でも注ぎ口が反対側に付いている急須など余り見たことが無い。そこで以前、私の長女に頼まれて「とってが左に付いた急須」を作ったことがある。
人類の約一割の人が左利きだそうだ。私は欧米人の方が、この確立が高いのではないかと思うのだが定かではない。日本ではかって不便だからと「左利きのほとんどが右利きに矯正した」のでそう見えるのかも知れない。哺乳類は殆どが左利きで「ゴリラやチンパンジーも左」ようやくネアンデルタール人から「右利き」が増えたらしい。でもその理由を私は知らない。
そこでこの写真だが、急須がとっての上に直立している。これは急須の重量の中心、これを物理では何と言うか知らぬが、重心を保つ1点に丸いとっての中心の延長線が重なる位置に、とってが付けられているから。これでないと、急須を持って回転させた時、変な重さを感じて注ぎにくい。
ぜひ、ご自宅にある急須で試してほしい。立たなければよっぽど変わったデザインか失敗作です。
皆さん大変です。昨日風神さんがやってきて「なぜ俺を最初に紹介しないのか」とお怒りです。「風神・雷神」常に我らは一対。それに「世間では常に俺が先なのに、なぜ俺を飛ばして雷神を先にしたのか理由を言え」の一点張りです「別に他意はない、たまたまそうなった。大変申し訳ない」との謝罪でどうにか収めました。
いま風神さんに暴れられると困ります。紅葉して枯れかけている工房の前の森の木々から、大量の落ち葉が飛んできて片付けるのが大変。
それで、今日は予定を変更して工房の守り神、風神さんを紹介することになりました。
どうですか?怒らせると恐そうでしょう。