茶飲み話・労働

 

「人類は徐々に過酷な労働から解放されることを理想に進歩してきた」。などと書けば、まるで社会学者のようであるが今日はこれを簡単に考えてみよう。昔は労働生産性を上げようとすれば多くの人手が必要であった。そこで半強制的に人を連れてきて作業させたり、極端な場合は奴隷にその過酷な肉体労働を強いた。ところが18世紀になると蒸気機関が発明され、人は徐々に重労働から解放されていく。

そして20世紀に入ると内燃機関から電気が普及すると、各種の家電製品やコンピューターが発明され人々の日常生活を変えていく。そして21世紀にはいるとスマホが登場し、SNSにより情報革命がおきて我々の生活は格段に便利になる。その間、日本においても盆暮れだけだった休日が週休二日になり、リモートなど自宅勤務も許される時代に変わった。

「しかし問題なのはこれからだ!」今話題になっているチャットGPTの進化版が先日発表された。驚異的な学習能力を持つこのAIが普及すると、多くのオフィスワークの必要がなくなり、弁護士などの(士)のつく職業も同時に劇的に効率化され、職を失う人も続出するとの予想だ。そして単純労働は知らぬ間にロボットに代替されている。

そして労働から解放され続ける人類は「一生好きなことだけをしてればよい時代へと進んでいく」。要は全員が好むと好まざると若い時から貴族生活を送れるわけだ。朝起きてゆっくりとメイドの用意したマイセンカップのダージリンティーを啜り、今日は何をしようか?などと考え、静かに広い庭園に目を移す。あいにく小雨模様なので、白いペルシャ猫を抱き書斎の扉を押すといった具合だ。

「お金の問題?」そんな下世話のこと考える必要ありません。貨幣などはなくなり、すべてがデジタル通貨になる。とりあえず国からは毎月一定の金額が生活費としてウォレットにチャージされ、ボランティアや善行などを行えばポイントが加金・・・?この速度で時代が進むと5年後の近未来すら分からない。いったいどんな時代になるやら楽しみであり、悩ましくもある。(このさき時代は悪く言えば総失業社会、よく言えば新貴族社会に向かう。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

茶飲み話・非常識

 

「日本の常識は世界の非常識!」と発言し、日本を欧米型個人主義社会に変えようと尽力していた一人の経済評論家がいた。彼の名はT・K、もう30年以上も前に日曜テレビ討論番組などで見かけた、禿を隠す独特のヘアースタイルとパイプをくわえた風体のアメリカ礼賛グローバリストである。彼は日本のローカルな村社会的国体やイエス・ノウをはっきり言わない国民性などを批判していた。

ところがそれから現代にいたっても日本人の民族性は殆ど変わっていない。でも最近はそのローカルな国体が逆に外国人から非常に評価が高い。日本に行けば何か自国と違う異文化体験できると人気があるのだ。欧米などは国境を開き、移民を大量に受け入れたため自国の文化が希薄化し、ごった煮の闇鍋状態になっている。そのため治安は悪化し、女性が夜一人で歩くこともできない。

「水から投入した昆布は沸騰する前に鍋から引き上げる。次に鰹節を入れたら1分弱で取り出す」。これは日本料理の原点である透き通って透明な「お出汁」の取り方である。濁らない「出汁」へのこだわりは、まさに料理だけでなく日本人の精神的美意識の根源であると私は感じている。日本文化は透明で清楚、清潔で純粋、そして混濁を避けるのが理想なのだ。

日本にはグローバル化の遅れにより、海外に汚染されない伝統、文化がまだ多く残っている。それを楽しみに現在多数の外国人が日本にやって来ていて、大きな観光資源になった。先進国でありながら英語があまり通じず批判も受けるが、言葉が通じないところが外国旅行の面白いところでもある。ウェルカムの気持ちがあれば心は通じ合う。

世界で行きたい国のナンバーワンになった日本に、この連休も多くの外国人達が押し寄せてきた。京都や奈良などの観光都市はもとより、東京や大阪のような大都市までがオバーツーリズムのためホテルの予約が取れない状況が続く。「日本の常識は世界の非常識」という異文化性が、逆に高い評価に変わった。(人手不足から安易に移民を多数入れ、「お澄まし」が「闇鍋」にならぬよう望むところだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・コオロギⅡ

 

最近チマタではコオロギ食の是非が話題になっている。先日、河野大臣がコオロギを試食したあと、将来の食糧危機に対応するための有効な手段であると語ったとか?彼のあいかわらず独断と偏見は一部の保守層から批判を受けている。そもそも日本は少子化なので、よほどの天変地異でもない限り食糧危機など起こらないのではと願う。

コオロギ食を推進するほど食糧不足が心配なら、人口減少はむしろ望むところである。いっぽう過激な環境保護団体の主張は、牛や豚の飼育は動物たちが二酸化炭素を多く排出するので抑制し、排出量のほとんど無いコオロギ食を奨励すべきと訳のわからないこと言う。それならいっそ増え続ける人類を、地球規模で削減するほうが早い。特に教育の行き届かない後進国の人口爆発は、食糧難による争いごとの絶えない未来を予感させる。

「給食のカボチャコロッケにコオロギパウダーがねりこまれていた」。というニュースが先日報道された。「え、ホント!」とびっくりだが、徳島大学と連携するコオロギパウダー・ベンチャービジネスの会社が、地元高等学校の給食にパウダーを提供したという。これに対し父兄からは猛反対の声が上がり、学校も戸惑っていた。

コオロギはエビ、カニなどと同じ甲殻類アレルギー源を持っていて、不用意に食べるとアレルギー反応を起こすらしい。実は私も甲殻類のアレルギーで多く食べるとジンマシンができる。いま無印良品ではコオロギ入りのクッキーを売っていて人気だというが、個人的にはこんなもの喰う人の気が知れない。

今からもう70年以上前の戦後、まだ幼児だった私の自宅近くには稲田が広がっていた。そして秋になると黄色く色づいた稲穂には大量のイナゴがとまる。まだ食糧難であったので、これを捕まえ炒って食べるという人もいた。しかしそれから数年たつと、イナゴが突然消える。原因は農薬散布の開始である・・・。(コオロギ食う前に増え続けて問題になっているクジラを喰えばよいのでは?団塊世代は学校給食の鯨肉を喰って腹を満たした。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・盆栽

 

年を重ねるとなんとなく興味をそそられる趣味の一つに盆栽がある。陽だまりの縁側に腰かけ、手元の盆栽にハサミを入れる姿を描けばその顔が、紅顔の美少年であるはずもい。でも私は若い時からなんとなく盆栽にひかれ、一本の枝の選定にゆっくりと時間をかけ楽しむのもありだ!などと考えていた。そして今まさに、盆栽が似合う年齢に到達したのである。

「でも昔からある盆栽づくりでは面白くない。何か自分なりの切り口はないか?」と考えたあげくたどり着いたのが、お金や手をかけずに自然まかせという方法である。運よく私の工房の頭上には隣の森から伸びた高い木々がそびえ立つ。そしてこの梢からは数種類の木の実や種が秋になると風に乗って運ばれてくる。これを土で満たした盆栽バチで受け取るのだ。

放っておくと盆栽バチには実生の苗で満たされる。そこで時々適当につまんで間引く、実に自然まかせの気長な剪定である。おかげで田園風景を投影する冨岡オリジナルの盆栽が具現化されるわけだ。そして年を経るごとにその閉じ込められた風景は醸成され、目を細めてサイドから眺めると深い森の姿と錯覚できる程になれば面白い。

先週ふと思いついて明治神宮を訪れてみた。自身にとっては半世紀ぶりの訪問なので神宮の森の木々は大きく成長し、原生林の姿へと変貌していた。そして参道を百メートルも進むと都会からは隔絶され、八百万の神が宿る神道の世界へと誘う。そこはわずか百年前に建立された寺社とはとても思えない風格を持ち、静寂で清浄な世界であった。

40代の頃には仏教にひかれ人の生死などを考え続けたが、最近では神道の世界に魅了される。神道の素晴らしさは日々の生活、行動などを規定する教義が希薄なことである。行動様式など規定しないから、日本人は自ら他者との距離間を考え、他人に迷惑をかけないことを前提に独特の人間関係を構築してきた・・・。(写真・上から落ちてきた欅の実生が勝手に芽吹く、数年後が楽しみだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・大谷イズム

 

先月のWBCワールドベースボール・クラッシックでの日本チーム優勝以降、日本人の間でMLBすなわち米国メジャーリーグのテレビ視聴が、大変な人気である。日ごろニュース以外ほとんどテレビを見ない自身も、エンジェルス大谷君の出場するゲームは時間が合えば、欠かさず見ることにしている。この傾向はなにも日本に限ったことでなく、他国でも同様なので恐れ入る。

大谷君の魅力は何もピッチャーとバッターの二刀流での並外れた活躍だけでなく、その大柄で端正なルックスと、彼の人柄からにじみ出る言動にあると思う。バッターボックスに立てばゴミを拾い、ベースに滑り込んで相手の野手のユニホームを汚せば、砂をはたいてあげたりもする。これらすべての行為が自然に出来るので、彼の人気がますます高まるばかりだ。

「郷に入っては郷に従え」の諺もあるように、通常日本人は他国などに行くとその国のカルチャーに準ずる行動をする。一年であるが短期イタリア留学の経験を持つ私も、帰国する頃にはイタリア人の真似をし、身振り手振りのオーバーなジェスチャーを交えての会話を心掛けた。この心理の根底には、どこか欧米に対するコンプレックスが潜んでいたのではないかと思う。

しかし大谷君は違う。アメリカに行っても礼儀作法など日本人の精神文化を決して曲げない。試合中にクチャクチャガムを嚙むこともなく、ヒマワリ種の殻などを吐き出すこともない。確かに欧米は日本より乾燥した気候なので常に喉が渇く。そこでまめな水分補給やガムなどをかんで口の渇きを癒すことになる。でもガムやヒマワリ種は、礼節を重んじる日本人にはなじまない。

「スポーツ史じょう初めて侍魂をアメリカにもちこんだ大谷君!」これに対する評価は非常に高い。最近大谷君によって日本文化が再評価されている。日本人の礼儀正しさやマナーの良さ、おもてなしの心、気遣いなどだ。今まで異質とされてきた日本文化に海外の人々が学ぼうとする、ジャパンスタンダードも起こりつつある。(兜までベンチに持ち込む大谷君の日本文化啓蒙ミッションに対する期待は大きい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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