茶飲み話・エッセンシャルワーカー

 

「エッセンシャルワーカーとは、最低限の社会インフラ維持に必要不可欠な労働者を指す」まあ簡単に言えば、これからやってくるAIやロボットの社会進出に代替されずに、必要不可欠で生き残る職業人であるともいえる。一方、省力化が簡単で同じ事を繰り返すルーティンワークは、早晩社会から消え去る運命にある。

「今ほど職業選択が難しい時代もない!」安易に単純作業の仕事を選択すると、5年後にやってくる技術革新の大変革の大波に飲み込まれ、職を失う可能性が非常に高いのだ。かといってAIを使いこなし、コマンドを打ち込む能力を持つ人もそれほど多くない。いまはとりあえず人手不足で、飲食店などは従業員の確保に困っているが、ある日突然この問題は解消される。

そこで10年後にも確実に存在する職業は何かを考えてみる。まずは警察官や消防士などと公務員、医者、看護師、介護士などの医療福祉専門職、土木工事やインフラ整備、建築関係の技術者、鉄道、物流など交通機関の一部従業員、農業、漁業、林業などの一次産業従事者。腕のよいコック、料理人など技能職。ようは先端産業の技術者でなくても、AIやロボットに代われない仕事をすれば生き残る。

ではこれらの範疇に入らない、ごく一般人はどう暮らせばよいのか?それは簡単な話で、自分が好きなことをして過ごせばよいのだ。これからの世の中が今までとは人類史上決定的に違うことは単純労働はAIやロボットがやるので、人々は単純労働から解放される。暇な人はメタバースで楽しむのもよし、陶芸などの趣味に没頭すればよい。最低限の生活は国がベーシックインカムで保障してくれる。

日本人の悪いところは働かないでいると罪悪感を感じることである。これからは我々は二宮尊徳でなく、大手を振ってオハラ庄助さんになればよい。そのかわり潰すようなシンショウはないので、朝湯と朝酒はむりかもよ・・・!とまあ相変わらず今回も冗談半分に書いています。(まだ数年の猶予があるが、どうしたもんかね?これから先の余生。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・核戦争

 

ウクライナでの戦争も早いものですでに一年が経過するが、いっこうに停戦の気配すらない。すでにロシア、ウクライナとも弾薬や兵器が底をつき、戦況はこう着状態に陥っている。このまま欧米がウクライナに、さらなる武器援助をしなければ現況のまま戦火はなんとなく鎮まる可能性もある。しかしそれでは領土を強奪され、多くの戦死者をだしているウクライナ国民は納得しない。

先日もドイツなどNATO諸国が新たに最新鋭の戦車を、アメリカが戦車とミサイルを追加で援助し、戦争はますますエスカレートする気配が濃厚だ。すると兵器が底をつき始めたロシアがとる次の一手は、核爆弾の使用ということになる。すると米、欧を巻き込んでの核戦争に発展することもあり、世界は第三次世界大戦に突入することになる。

「鳥も通わぬ、八丈島へ」私が大学一年の当時、伊豆七島の南に位置する八丈島はまだこのように形容されていた。友達の姉さんが嫁ぐこの島へ、私は夏休みを利用して2週間ほど滞在したことがある。竹芝桟橋から丸一日船で揺られると早朝八丈島に着いた。当時はまだ港の整備が遅れ、船からは小さなハシケに乗り換え上陸した記憶がある。

そこでもし日本も第三次世界大戦に巻き込まれたらどこに逃げるか?と頭をめぐらすと小笠原諸島の次にこの八丈島が頭に浮かぶ。おなじ離島でも中国に近く米軍基地のある沖縄諸島は、核弾頭が降ってくる可能性が高い。かといって北海道はロシアに近いし、青森県には米軍のミサワ基地がある。福島は原発があるし、関東は横田、厚木などの基地、北陸は攻撃の標的になりやすい原発が乱立する。

世界ではどこの国が一番安全か?という最近のデーターによると、まずヨーロッパではグリーンランドにアイスランド、アイルランド。それと比較的安全な南半球は、まずはニュージーランド、タヒチなど島国。南米ではチリやアルゼンチン、などだという。でも一番安全なのは南極大陸の昭和基地かな・・・。(この年になると八丈島に逃げるのもおっくうで、一瞬で死ねるなら爆死もよいかもね。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・チャットGPT

 

皆さんは「チャットGPT」という新しいSNS検索ソフトの登場をご存知ですか?最近急速に普及し始めたこのソフトを使用すると、今まで便利ツールであったグーグルでさえ、その使用頻度が落ちるといわれている。確かにこれを使用すれば、時代がすでにAIに支配されていて、人類はそのシモベに成り下がりつつあることが実感できると想う。

「幸福とは何か?」と例えばグーグルで検索すると、まずは一般的な百科事典に出てくるような「恵まれた状態にあって、満足に楽しく感ずること」などという常識的な回答にいきつく。でも幸福感など人によって千差万別なのでこれでは漠然としていてとらえどころが無い。

しかしチャットGPTは我々の話し相手になってくれるので「幸福とは何だと想いますか?」などとAIに語りかけることができるのだ。するとAIは通常幸福とは「心が満ち足りた状態ですが」あなたは今幸せでは無いのですか?などど返してきたりする。そこでAIを相手に個人的な幸福感などをより具体的に語り合うことが出来るらしい。

こうなると親や学校の先生などに悩み事などを相談するよりも、AIとチャットするほうがずっとマシになる。「ああ、これによってまたカウンセラーやセラピストの仕事も減っていくのか?」でも今はまだ文章テキストでのやり取りなので、どこまで普及するのか未知数だが、これで会話が出来るとなるともう他人に聞いたり、相談することも必要なくなる。

でもこうしてネットを通じて対話を繰り返せば、個々人の思考や嗜好、健康状態などの情報がAIに把握される。すると民主主義国家の日本ではまだしも独裁国家では、場合によっては要注意人物のレッテルを貼られ、突然拘束されることもありえる。(こうしてブログなどで長期間自由に発信するのも良いが、すでに自身の凡庸な思考などもどこかでデーター管理されている。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・キャンサー

 

この年になれば別に驚くことではないが2月の始め、私は築地の癌センターに肺癌切除で一週間はほど入院をしていた。自身は3年半前に大腸がんで同じく同院にて大腸ガン削除をしているので、これで二度目となる。前回はステージ1の初期であったため、抗がん剤や放射線治療も行なわず一週間ほどで退院した。でもまさかこんな短期間でまた肺癌になるとは想わなかったが、今回は転移ではなく別の種類の初期ガンであった。

「ガンは不治の病で恐ろしい!」でもこんなイメージは昭和の話で、今では早期発見なら別に何というこことは無い。私は半年に一度CTで全身を輪切りにし、克明に調べているのでガンが進行し、手遅れになることなどありえない。去年の暮れに主治医からCT画像を見せられ、「ここにあらたな小さなガンがあります!」との指摘をうけショックを受けたが、迷うことなく手術を決めた。

ガンは健康な人が体の不調を訴え、病院に駆け込んだ時が一番やっかいだ。初期のガンは自覚症状など全く無いので、症状が出た時はもうかなり進んでいる。するとだいたいステージ3、か4で削除しただけではおさまらない。次に抗がん剤や放射線治療が待っている。でも入院しているほとんどの人が抗がん剤治療を受けているので、現在は抗がん剤を投与すれば直る確率は高いといえる。

「デジタル時代の現在、自身の身体もどんどんデジタル化しないと!」とは私の考え。もう何年も半年に一度CT画像と血液検査のデーターを電子カルテに蓄積し、日々の体の変化を経過観察しているので初期ガンの発見などいとも簡単だ。今回も術後に担当医からは「これでとうぶんガンの心配など全くする必要ない」と断言され勇んで退院した。

しかしガンもあと数年すれば、免疫療法など切らずに直せる画期的ながん治療が普及する。この数年を乗り切れば医学の劇的な進歩により、ガンや若返りのワクチン登場で寿命120歳が見えてくる。その時は自身のゲノム解析まで克明にデーター化され、いつどんな病気にかかるかまで分かるようなる。(あと5年健康でいましょう!老後はどんどん長~~くなる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・デジタル・ツイン

 

近ごろ私のブログでは横文字の表題をつけることが多くなった。今日もまた「デジタル・ツイン」などという中高年にはあまり耳障りのよくないテーマで綴り始めている。それは私が無意識的に、これからの老後は従来のように、平穏な日々を送ることが難しのでは?と感じているからである。これほど世の中が急激にデジタルシフトが進むと、流れに乗らなければ買い物一つできない。

「住民票の発行はあのタッチパネルでどうぞ!」先日も住民票をとりに市川市役所に出向くと、誘導されたのが数台並ぶタッチパネルだった。マイナンバーカードを指定の場所に置きパネル操作を続けると、1分程で住民表のコピーがプリントアウトされてきた。確かに慣れると便利だが、病院や市役所までがデジタルでは家に篭って生活していると、えらいことになるの実感だ。

そこで「デジタル・ツイン」とは、現実の世界をまるでツイン・双子のようにコンピューターを使って、バーチャル空間にリアルと全く同じように再現するシステムである。まあ平たく言えばビル建設などで、仮想空間の中に同じ建物を作り、人の導線や使い勝手、堅牢度などを事前に検証できるシステムである。これなら実際に立てた後に生じる諸問題の多くが解決される。

これはまた医学の世界でも開発が進み、人体の複製を作って薬やワクチンの効能や、手術の手順などを確認するツールとしても用いられ始めている。何かおかしな話だが、現実に存在している自分自身と、もう一人別にバーチャル空間にデーター化された自分が存在し、眼に見えない身体内部などは、バーチャルな自分自身の方が、よりリアルに可視化できるのだから「おそれ入谷の鬼子母神!」

「これ遺影に良いのでは!」とは正月に家族で映した写真に対する娘の冗談。でも考えてみれば遺影の写真など、もう時代遅れだ。今やビデオやDVDの動画すら過去形で、これからは肉体が死んでも双子のバーチャル冨岡伸一はデーター人間として生き続ける。私は葬儀の挨拶などは彼にやってもう予定だ。(20年後の葬儀などはどうなっているのですかねえ?勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

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