茶飲み話・テレビ

「テレビの時代が終わろうとしている」。突然こう書くとテレビを見て育った、我々中高年の殆んどの人には信じられないと思う。しかし今の若い人達はすでにテレビなど視聴していない。スマホ片手にネットで検索すれば、必要なニュースや情報など簡単に集めることが出来る。テレビの欠点はすべての人々の関心に答えるために、ダラダラと均一的に情報を流すことである。忙しい現代人にとってこれに付き合うことはすでに時間の無駄でしかない。

今度の総裁選では女性議員の高石早苗さんも立候補するが、彼女は総裁になれば、NHKの受信料を下げると発言している。私が今一番問題視しているのはなかば強制的に徴収されるNHKの受信料である。私を含めて多くの国民はすでにNHKなどをあまり見ない。それにしてはこの高い受信料は時代に即していないと思う。NHKはニュースや緊急放送に特化して、受信料などせいぜい千円程度でしかるべきだ。

「オシン。おしんー!」と母の呼ぶ声を背中に聞き、奉公に出るオシンは田舎道を連れとトボトボと坂田に向かう。NHKの朝の連続テレビ小説では1983年に橋田寿賀子原作のオシンが放映されると爆発的な視聴率を記録した。なんと最高視聴率が62パーセントであったというので、今では考えられない数字をたたきだしていた。この番組は海外でも放映され、まだ当時貧しかった後進国でも共感を呼び絶大な人気になった。

まだテレビが普及する以前は全ての情報源は父親が握った。夕食時に子供達はお父さんからチャブ台を囲み聞く、世の中の出来事に耳を傾けた。そしてテレビが一般に普及すると、お父さんの座る位置にはテレビが鎮座し、いつしかその情報源はテレビに変わっていった。そしてそのテレビも情報源としての役割を終え、スマホでのネット経由となる。それにつれて父親の情報源としての役割もどんどん低下し、家庭内における尊厳も希薄になっていく。

先日あのテレ朝ではオリンピックの閉会式の夜に、禁止されている多人数での宴会を開き、泥酔女が二階から転落という最悪な事件を起こした。日頃自粛を強く呼びかける立場の局が、自らの違反ではシャレにもならない。最近までテレビや新聞などマスコミは言論を思うように操作した。でもユーチュブの普及によりネタばれになり、テレビの偏向報道が問題になる。すでに時代に合わないテレビは自ら堕落し、内部崩壊を始めているようである。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・電波時計

「ゾウの時間ネズミの時間」という本を昔読んだことがある。体の大きさがかなり違うこの二種類の哺乳動物も、一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギーの使用量は、サイズによらず同じであると言う。人間の目から見るとネズミの方が短命で、はかない一生に見えるが動きが早く、経験する内容はあまり変わらないらしい。でもどちらかを選ぶとすれば、私をはじめゾウを選ぶ人が多いと思う。

「伸ちゃん、ゼンマイたのむね」の母親の声に私は居間にある脚立に乗り、柱時計のゼンマイをキリキリと巻いた。その頃の柱時計はじきに遅れるので、ラジオの時報に合わせて時々長針をゼロの位置に合わせなくてはならない。そしてそのご時が経過すると柱時計が徐々に電池式に変わる。すると時間の刻みは多少正確になり、長針の修正回数も減っていく。近年では時計の殆んどが電波時計になり電池切れ以外は時計に触れることは全くなくなった。

人の一生でも歳を重ねていくと、だんだん時の経過が早く感じるようになると皆さんが言う。同じ時の長さでも、エネルギー発散の強弱や集中力などでそのように感じるのかもしれない。行動が活発だと障害にであう頻度が増し、プレッシャーも強くストレスも多いので、時間の感じ方に差が出るのかもしれない。ならば若い時のほうが、時間の流れが速く感じるのではないかと私は思う。

ストレスという英単語は最近になって日常的に使われ始めたという。確かに我々が子供の頃には、ストレスという言葉の記憶はない。ストレスを日本では「試練」と呼んでいたそうである。でもストレスと試練では意味合いがかなり違う。ストレスは押しつぶされそうなプレッシャーから、逃れるネガティブな意味合いが強いが、試練は重圧を跳ね除け、乗り越えるポジティブな感じだ。ストレスを試練と捕らえていた昔の日本人は「七転び八起き」プレッシャーに立ち向かったが、ストレスに言葉が変わってからの現代人は、試練から逃げる傾向にあると思う。

「時は金なり」というが、人生において時間と金のどちらが大切かと言えば、もちろん時間であると思う。若い頃は金などなくても健康なら、あるていど稼ぐチャンスは転がっていた。しかし老後はどうだろう?時間はいくらでもあるが、金を稼ぐ体力と機会がない。日本人は「年をとってから金の苦労はしたくない」と言い貯蓄に励む人が多い。でも欲を満たす体力がなければ老後の金も「猫に小判」である。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

 

茶飲み話・シャリ

シャリは漢字で「舎利」と書く、もともとは仏教用語で火葬されたお釈迦様の骨の事をさした。でも細かく砕かれた骨の形と白い色が、米粒に似ていたからシャリと呼ばれる様になったらしい。むかしお米は仏舎利に例えられるほど、貴重で尊い食べ物であった証であると思う。

「ついに出ました。これぞ究極の回転寿司!」皿に乗った三貫のニギリでたったの110円。このニギリは通常より少し大きいので、私なら二皿で満腹になりそうだ・・・。数ヶ月前にあの有名な「カッパ寿司」から、具の乗らないシャリだけの握りがメニューに加わったという。なんでも「うちの寿司飯は最上の米を使っているので、是非そのままで食べてみてください」というコメントがそえられた。

確かに寿司屋にとってシャリは命。シャリに自信を持つことは重要であると思う。最近の回転寿司屋では寿司のほか、様々なメニューが混在している。このカッパ寿司でもサイドメニューとして出していたラーメンが知らぬ間に人気となり、いつの間にかメインの座に!結果として何屋だか分からなくなったので、原点帰りのメッセージとして「ほんき寿司」と命名しシャリにこだわったという。

ところで米が貴重だったと言えば、以前中国では米を輸入する外貨もなく貧しかった毛沢東時代に、米の不作が何年か続いたことがあった。そこで原因をスズメの繁殖にあると断定した共産党は、スズメの抹殺指令を全国の農民に告知する・・・。すると日本と違い、どこまでも真っ平らな平野の続く中国の水田では、スズメ退治などたやすい。農民全員が田んぼに出て、缶等を打ち鳴らしスズメを追い立てる。すると止まり木など全くない広大な水田では、飛ぶことに疲れたスズメ達がバタバタ地上に落下してくるという。そこを捕らえれば簡単に駆除できたらしい。

スズメの消えた水田を見渡し「これで今年の豊作間違いなし!」とニッコリ微笑む毛沢東主席・・・。ところが現実はそんなに甘くない。こんどはスズメがいなくなった影響で病害虫が大量発生し、前年よりも不作になったという。その中国では今あろうことか、共産党習近平が毛沢東時代に再び戻そうとしている。中国が内向きになり、軍備拡張を続ければ日本にとって大きな脅威になる。(写真は御飯茶碗。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・箱男

「冷蔵庫の入っていた大きな段ボール箱をスッポリと頭からかぶり、都市を漂流する箱男」時々小さく開けられた覗き窓から外界を窺う。社会から完全に孤立し蓑虫のようにダンボールに身を潜める。私が好きだった半世紀も前に書かれた安倍公房の小説「箱男」からの抜粋である。当時読書に大半の時間を費やしていた私は自分が社会に適用できず、箱男のように社会に馴染めないのでは、と考えた時期もあった。そして会社勤めを始めるとやはり違和感を感じ、じきにフリーランスの靴デザイナーに転進していった。

ところがこれが結果的によかった。暫くすると日本はバブル期に入りブランドの婦人靴も飛ぶように売れる。そこで5,6社の仕事を掛け持ちし「坊主丸儲け!」会社に所属してないので全額が自分の懐に入った。「でも夢は長くは続かない」バブルも崩壊すると徐々に靴の生産などは後進国にシフトし、アパレル産業と共に沈んでいく。

最近一人キャンプというのが流行っているらしい。なんでも車で山野に出かけ、単独でキャンプを楽しむというのだ。またわざわざ自宅のベランダに一人用のテントを張り、その中にこもるのも流行だと聞く。そのためホームセンターではこれらの需要に対応し、様々なグッズも購入できるようである。確かにわずらわしい世間や感染から隔絶し、のんびりと孤独を憩うのも悪くない。でもこの狭い空間が気に入り、出たくないと思えばホームレス箱男の心理となんら変わらない。

狭い箱といえばなんといっても、私が尊敬する千利休の「待庵」に極まる。たった2畳の狭い茶室に一人二人の客人を招き入れ茶を振舞う。あの天下人になった豊臣秀吉までも、同様に狭い茶室に閉じ込めたので、彼は大そう立腹しそのご切腹を命じられる一因にもなった。千利休はなぜ極小茶室を最上の空間として好んだのか、彼の心理の奥底は分からないが、確かに蓑虫生活なら浮世のわずらわしさとは無縁であるともいえる。

「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」人間生きていくには一畳の空間で充分!たとえ天下を治めても二合半の飯以上喰えない。現代でも環境保護のためにも「足るを知る」という心構えも貴重だが、清貧を理想に人々が生活すれば日本国の発展も望めない。でも科学技術の進歩は本当に人々を幸福にするのか?一抹の不安もよぎる。(写真は「湯冷まし」これに熱湯を注ぎ温度を少し下げてから茶をたててます。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・割烹着

私が子供の頃、我が家の隣家の空き地には周辺の家で使用する共同井戸があった。そこでは洗濯や食器洗いなどをする主婦達が集い、井戸端会議の場ともなっていたのだ。まだ食糧難ころで、米の配給など食べ物のことなどが主婦達の主な話題であったと思う。「貧乏人は麦を食え」これは1950年に時の大蔵大臣池田勇人の発言だとされるが、いまこんなこと正直に上から目線で発言したらとんでもないことになる。

「米穀通帳をご存知ですか?」当時米を買うと通帳に記載され、金があっても一家族で決められた量しか購入することが出来なかった。なので食べ盛りの子供が多い家庭は三度の食事にも苦労した。そのころの主婦達の定番衣装は、カスリのモンペに白の割烹着。これで近所の八百屋や魚屋などに、手編みの買い物籠をぶら下げ食材などを買いに出かけた。最近ではビニール袋が有料になると、事前にシッピングバックを持参するようだが、エコを理由にこんなものケチって実際に効果があるのか?はなはだ疑問でもある。

井戸端会議といえば、今は一番先に思い浮かぶのがLINEである。親戚縁者や同窓生などでグループを組み、現況を伝え合う。住んでいる場所は選ばないので非常に便利だと思うが、グループの人数が多いと頻繁に着信音がなるので面倒でもある。しかし常にお互い情報共有できるので、チャットの相手が身近にいなくてもすむ。「俺はラインなどしない」とかたくなに拒否していると、寂しい老後を送ることになるかも。

現代人の井戸端会議はどんどん進化する。でもズームなど映像をともなったリモート会議はすでにあるので、次は仮想空間でお互い出合えるような研究も行なわれている。顔にはゴーグルをかけ、手には特殊なグローブをつけると、対象物の触覚まで感じることが出来るようになるらしい。脳に残る記憶などを呼び出し、死んだ親とも世間話できるという夢物語すらある。

「どうだ、元気にやっているか」。突然、だいぶ前に死んだはずの父親の声にビックリ!どうも俺は三途の川を越えたらい。そろそろお迎えが来ても不思議ではない歳だが、先ほどまでは確か元気であったはず・・・。我々凡人が何も知らないうちに、科学技術は危険な領域まで加速度的に変化していく。

(八年前に楽しみながら作った自宅の坪庭。パズルのように石を配置するのが面白かった。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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