茶飲み話・国防

ウクライナ情勢が混沌とする中で、次に心配なのが中国による台湾侵攻である。そして尖閣急襲と続き味をしめれば、沖縄にも攻め込んでくるかも?沖縄はかつて琉球王国の時代、中国に朝貢を行なっていた。朝貢とは中国皇帝に貢物を差し上げ、その見返りとして返礼品を受けとって帰ることである。この返礼品がとても価値があったので、味をしめた琉球王は500年もの間、朝貢を行なってた。

しかしそれは同時に、中国からすると属国であった証しと認識するらしい。これが今日、中国が沖縄は中国領だと主張する論拠となってる。わが日本も遣唐使の時代に、朝貢とみなされる使節団を中国に送っている。そこで中国は日本も朝鮮新羅と同列としたいのだ。もし台湾併合をゆるせば、つぎは日本に矛先が向いて沖縄から徐々に侵略されることも皆無ではない。

「日本も核武装して自国を守ったらどうだ」とトランプ大統領が数年前に真顔で発言したことがあった。このとき多くの日本人はあっけに取られて言葉を失った。でもアメリカはすでに自国の利益にならない紛争には、介入しないと公言している。なにかあれば安保条約締結でアメリカが守ってくれると期待する日本人!すでにそんな時代終わっているかも?

刻々と送られてくるウクライナ情勢などを眺めていると、軍事力の差で自国を守れない哀しさが伝わってくる。「相手は人間だ、話し合えば解るよ」と対話重視の立憲や共産党の議員はおっしゃる。でも相手のプーチン、金、習は皆「血も涙もない狂った独裁者だ」。弱体国だと無条件降伏するしかない。そのときやっと気がついて鉄砲(近代兵器)持っても、日本人は玉のこめ方(扱い方)一つ知らない。

「あーあ、あの顔で、あの声で、手柄たのむと妻や子が」という歌い出しで始まる私の好きな軍歌「暁に祈る」。今の人は軍歌など全くなじみがないと思うが、私の青春時代にはコンパなどで酒が入ると、硬派の連中の音頭で軍歌を歌うこともあった・・・。軍歌を歌い、戦の妄想をした時代が良いとは思わないが、ウクライナの現状を見つめると、デジタル時代でも祖国や家族を守る心は不変ではないのか。(いよいよ物価高騰、欧米VS中ソ・緊迫、など大変な時代になりそうな予感。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

茶飲み話・国連

ロシアがウクライナに侵攻を開始し、いよいよ両国の戦闘がはじまったが、現時点ではウクライナも抵抗し、事態は混沌としている。だがこれによりアメリカを始め、西側諸国のロシアに対する銀行間取引が停止され輸出規制は強化される。でも今回の戦闘で私が気になるのは、この状況下においても目立たない国連の存在である。近年の国連は緊急理事会を開いても、ロシアや中国の反対で何も決められないでいる。

「誰だこのおっさん、激しい口調でロシアのウクライナ侵攻を非難する」ニュースに流れるこのおっさんは実は国連事務総長だという。先日国連では緊急理事会が開催され、ウクライナ情勢についての解決策が話しあわれたらしい。だがそのさなか国連など完全に無視され侵攻は開始された。国連は今は誰も重要視しない存在である。、殆んどの人が国連事務総長の顔すら知らない。

現在国連はスタッフたちの既得権を温存する、お飾り組織に成り下がっている。最近では日本の常任理事国入りの話も遠のき、誰が事務総長なのか話題にすらならない。そんな無用な国連に日本は常任理事国でもないのに、アメリカ、中国につぐ5億ドルのも分担金を支払っているのだ。このようなオワコン組織は早く解体したほうがよいと思う。

国連といえば私には小学生の頃の思い出がひとつある・・・。1957年当時子供達の間では切手収集の一大ブームがおこったことがあった。そこで私も切手収集を始めたが、それより一年程前に発行されたのが日本が国連加盟した時の記念切手だ。そのため直接郵便局で原価で買うことができず、子供にとっては高額で街の小売店で手に入れた。

「これでやっと日本も戦後のアメリカ統治から離れ、独立国として認められた」と親から聞き、子供ながらに国連加盟は印象深かった。そのご私が国連の事務総長としてはっきりと認識しているのは、1961年から10年間就任していたビルマ人のウ・タント事務総長である。まだ人種差別の激しかった頃、国際組織のトップに色の浅黒い東洋人が任命されるなど、カルチャーショックであった。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・団塊世代

「団塊世代が全員75歳以上、そのとき必ず起こる恐ろしいこと」という見出しで、雑誌週間ポストの広告が朝刊に載るのをみた。その副題に注目すると、独居老人の激増、介護ヘルパーにパワハラ横行、老人ホームで恋愛トラブル、医療逼迫・火葬場不足!確かに団塊世代は人数が多いだけに、いくつになっても様々な社会問題を引き起こす。

私も含め団塊世代気質の特徴として物不足の時代に生まれ、常に生存競争の荒波にさらされていたことで、後の世代よりも打たれ強く貪欲であるのは確かだ。するとこの項目では、介護ヘルパーにパワハラ横行と、老人ホームでの「おばあちゃんを取り合う」恋愛トラブルなどを起こす可能性が高いかも?なにしろ現代の若者よりも血気盛んで、モタモタしていると「トンビに油揚げさらわれる」ことを体感して育った世代なのだ。

「早く嫁さん見つけないとあなたは結婚できません」とわれわれの青春時代には同じく週刊誌に煽られた。当時の結婚は通常3,4歳年下の女性を娶るとが通例で、同じ年カップルなど稀であったのだ。すると男女差の組み合わせがずれて、あぶれる人が多く出るといわれた。ならば団塊世代同士で結婚すればよいでしょう!ということになり、同年齢婚が劇的にふえた。

これを契機に日本では同じ年カップルが通例となり、その後この状態が近年まで続いていた。ところが現代では結婚そのものを否定する人もふえて、年の差婚、バツイチ、子連れ、晩婚、と結婚形態も様々である。そして今の男子はナンパなどあまりしないので、お見合いクラブで結婚相手を探すこともあるようだ。

「嫁さんぐらい自分で探せよ」積極的に片っ端から声かければいいじゃん。外見だけでは相性など分からない。「むかしイタリアで知り合った黒人のラホトは凄かったよ!」校門で待ち伏せて次々に白人女性に声をかけた。断られても平然、「下手な鉄砲」なんだから凄い度胸だ。彼に女性の好みを聞いたら、とりあえず色が白ければグッド。国に連れて帰れば皆が羨む・・・。(イタリア人曰く・女性は皆さん美しい、とりあえず全員に声をかけないと不平等になるだとさ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・慎太郎

先日もと東京都知事であった石原慎太郎さんがお亡くなりになった。慎太郎さんはご存知のように戦後、小説「太陽の季節」で作家デェビューをし、その後日本の行く末を案じて政治家に転進してた。都知事時代にはオリンピック招致に尽力し、開催にこぎつけたがコロナの蔓延で一年順延となり、なおかつ無観客開催では盛り上がりにも欠いた。

そして現在、昨年に続き冬季北京五輪が行なわれていたが、同じくまだコロナ禍なので、出がらしのお茶をいただくような、何かすっきりとしない飲み口になっている。また後味の悪さの原因の一つに、近年オリンピック組織委員会の運営が一部の国や人々に私物化され、利権や賄賂の温床になっている点もある。もっと透明で簡素な運営に変えないと、人心はオリンピックから離れて行く。

話題をもどすと石原慎太郎さんには、あの国民的アイドルであった弟の裕次郎さんがいた。彼はまだ映画が絶頂期の頃、慎太郎さんのはからいで俳優デビューをし、当時としてはその大柄なルックスと人好きのする表情で絶大な人気をはくした。私が小学生の頃にはアクション映画といえば日活で、頻繁に公開される彼の新作映画はどこの映画館も、立ち見客でごったがえす程の盛況が続いた。

「裕ちゃん、サインして」と遠くから声をかけ、蕎麦屋の出前持ちの祐ちゃんを我々子供達がからかう。すると彼はまんざらでもない様子で軽く会釈をかえした。当時チマタでは石原裕次郎の歩き方からファッションまで真似をする若者が激増し、彼の着ていたアロハシャツは一大人気となった。私が子供の頃のアルバムにもアロハシャツを着て、笑顔でウクレレを抱えた写真一枚が残っている。

石原慎太郎といえば三島由紀夫と並ぶ憂国の作家でもあった。私は慎太郎の小説は太陽の季節しか読んだ記憶がないが、彼が傾倒した三島由紀夫は戦後日本文学の一番星である・・・。今ふと思い出す青春時代に読んだ小説一冊を選べば、それは毎年この季節になり降る雪の先に垣間見る、豊穣の海「春の雪」の幻影だ。(写真は抹茶碗型植木鉢です。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・サラダ

「このシャキシャキ感、たまらないね!」とはコンビニで買うハムサンドですよ。つい最近まで、こんな新鮮レタスが挟まったサンドウィッチなど、食べた経験がない。また包装紙も、オニギリのように簡単に開封できグーである。誰が考えたのか?手を汚さずに食べられるのは有難い。こんな細やかな気遣い、日本人にしか出来ないと思う。

でもここでちょっと咀嚼を止め記憶をたどろう。そもそも日本人はいつ頃から、サラダなどの生野菜を口にするようになったのであろうか?すくなくても私が中高生ぐらいまでは、日常サラダを食べていた記憶などないのである。調べて見ると日本人が一般的にサラダを食するようになったのは、化学肥料が普及した1970年代になってからだという。

「いつか俺もセロリの丸かじり、やりてえな」小学生の頃、放映されていたアメリカのホームドラマ「うちのママは世界一」はいつも素敵なママの作る美味そうな料理が卓上に乗るので、垂涎の眼差しで見つめていた。ある時このドラマに登場する同年代、ジェフ少年の姉さんが美容によいのか?当時はまだ日本にはなじみがなかった手に握ったセロリの茎を、サクッと丸かじりする。「姉さんイカシテルじゃん!」でも私がそれを実現したのは大分あとの事である。

サラダといえばいま気にいっているのは、たまに行くサイゼリヤのシーザーサラダである。自家農園で栽培したパキパキの新鮮野菜が、サラダボールに山盛りで運ばれる。「これでいいんだよ、これで」と思わずニヤリ。一般的にレストランに入り、気に入らないのはサラダの盛りの少ないことだ。「葉っぱなど安いのだから、もっとサービスしろや!」

現在野菜など農産物、特に大豆やトウモロコシの価格が上昇している。そこにウクライナで戦闘が起これば、広い平地が続くこの地域は小麦の一大産地なので、小麦価格が暴騰するのだ。原油はすでに高騰し、電気ガス代や食料価格まで急騰すれば、いよいよ深刻なインフレがやってくるかも?(何が起こるかわからないので、とりあえずカップ麺や缶詰など日持ちのする食品の備蓄を心がけよう。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

 

 

 

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