茶飲み話・クレーマー・クレーマー

近年日本人の離婚率は急増しており、およそ三組に一組は離婚するという。原因は男性の浮気、DVやギャンブル癖での生活力の欠如、女性の経済的自立や忍耐力の低下、社会的偏見の希薄、シングルマザーに対する公的支援、など様々ある。しかし私は、その主因は戦後劇的に増加した恋愛結婚にあるのではないかと思う。

恋愛で結婚すれば最初はアバタもエクボでウキウキ、しかしじきにアバタはアバタへと戻る。そして時が経つとアバタがオデキの嫌悪感!するともう我慢ならず離婚する。ところが見合結婚ならお互い条件で選ぶので、こんな錯覚は生じない。そして長く共に生活すれば情も湧いてくることが多い。そこで昔は恋愛と結婚は全く別物という考えが主流であったのだ。事実私の親世代は殆んどが見合いで結婚した。

若い頃に見たクレーマー・クレーマーというダスティン・ホフマン主演の離婚をテーマにしたアメリカ映画は衝撃的であった。この映画は1980年に公開されたが、封切られた当時日本はまだ離婚などまれで、非現実的なことと捕らえられていたのだ。一方アメリカでは一足先に離婚が急増し、社会問題にもなっていた。ある日妻からつきつきられた離縁状、そして妻は子供を残し家を出る。そこで主人公は子供の養育と仕事で悪戦苦闘するという筋書きだ。

「どうせ離婚するならアッパレ離婚というのはどうでしょう!」女性にとって理想的な結婚があるなら、また理想的な離婚というのもあるはずだ。例えばむかし伴淳三郎という俳優がいたが、彼は離婚のたびに家や財産をそっくり妻に残し、裸一貫家を出て行った。これなら殆んどの妻はアッパレだと喜び離縁状に判を押す。最近では北野タケシがこのアッパレ離婚にあたると思う。

今チマタには生活困窮のシングルマザーが溢れている。給料の少ない元旦那からは養育費すらもらえず、独り子育てに奔走する。あげくの果てキャバクラ勤めで知り合った、プータロウと寂しさのあまり安アパートに同居。すると可哀そうなのは邪魔になる連れ子である・・・。(70年ほどの人生を振り返ると、見合いで結ばれた時代のほうが、家庭は穏やかであったような気がするのだが?勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・団十郎

市川海老蔵、今夏の団十郎襲名延期!というニュースをみた。最近週刊誌やネットでなにかとお騒がせな、海老蔵が歌舞伎界最高位の名跡である団十郎を襲名するらしい。歌舞伎に特別興味があるわけではないので、どうでも良い話だが団十郎だけはそれなりの人格者が継承しないと、日本の伝統的古典芸能を汚す恐れがある。

「俺はお前らと違って、将来は人間国宝になる男だ。控えろ下郎ども!」と若き海老蔵は傍若無人にふるまった。これに怒った関東連合を名乗るチンピラ集団にボッコられて、大怪我をおわされた例の六本木クラブ事件もまだ記憶に新しい。あの事件で新婚ホヤホヤだった小林麻央さんは、ストレスで乳癌を患ったが海老蔵が心酔する詐欺師のいかさま療法を受け、幼子を残して他界した。

そして妹の子の世話に通ってきた姉の小林麻耶さんにも、あろうことか仮眠中に上からのしかかり乱暴しようとしたという。これは本人がネットで告白しているので間違いない。また今でも独り身をよいことに子供達をほったらかし、夜な夜な女漁りを繰り返しているという海老蔵!こんな男が歌舞伎界の名跡・団十郎襲名は問題なのではないのか。

私が歌舞伎というものを始めて見たのは高校生の時である。「日本人として生まれたからは、歌舞伎くらい教養として知らなくてはだめだ」と歌舞伎好きの父親の勧めで、何度か歌舞伎座を訪れたことがあった。そして最初に見た演目は勧進帳だったと思う。当時主役の弁慶は尾上松禄が演じたと記憶する。そして観劇の後に、亡くなった11代目・団十郎は気品がありすばらしかったなど、いろいろと後講釈を聞いていたので、無頼漢・海老蔵の団十郎襲名など言語道断である。

1960年代はマルチタレントとして新劇でも活躍した松本白鷗筆頭に、同世代の若手歌舞伎役者が多く登場した時期でもあった。先日なくなった吉衛門、菊の助、辰之助、新之助、すこし若く玉三郎に勘三郎と歌舞伎界が華やかであった頃だ。でもこの中では先日なくなった12代目団十郎・海老蔵の親である新之助は、声も悪く大根役者だと父親が酷評していた。(襲名のたびに品格が落ちていく団十郎。まるで歌舞伎界の衰退を拝むようだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・年金減額

「年金生活者への五千円給付案見送り!」。夏の参院選を控え自民党が集票ために、模索していた高齢者への現金給付がとりあえず白紙となった。新年度の四月から0、4パーセントほど減額される公的年金への穴埋めとして議論されたが、高齢者優遇との批判もあり再検討されることになった。現在年金支給は物価上昇率を参考に決められる。そこでデフレであった昨年度は、物価が0,2パーセント減のため、減額されるらしい。

でもさいさん私も書いているように、今年度は大幅なインフレに見舞われる可能性が高い。それなのに昨年の指数を参考に年金を減額したら、強烈な物価上昇とのダブルパンチになる。5千円などとケチクサイこと言わずに、10万位配って欲しい。紙幣など日銀が輪転機回せばいくらでも刷れる。どうせわが国の財政はすでに破綻している。

「中、高年になって後進国から若い嫁さんもらうと大変なようだ!」よほど稼ぎが良くないと死ぬまで貧乏な生活をおくる。現在日本は年金制度が確立していて、これでも高齢者は基本国が面倒を見る。ところが東南アジアや中国では、まだ年金制度が充実していない。すると老後の生活は子供達が面倒見る事になる。そこで親孝行な娘は日本人亭主から金を巻き上げ、せっせと親元に送金し生活を支える。

しかしその日本でも国民年金制度が確立されたのは昭和36年からである。それまでは農家や自営業者には年金など存在しなかった。そのため親の面倒は通常長男が受け持つことが決まっていたのだ。姉三人の末っ子長男として生まれた私も年少の頃から、親の面倒をみる跡取り息子として育てられた。そこで「冨岡君も良いけど小姑3人、親と同居じゃね!」と敬遠された。

昭和の中頃までは日本でもまだ古い慣習にとらわれていたので、長男は通常親が決めた女性と「お見合い」などで相手を決めることも多かった。今の若い人には考えられないが、日本人が自由恋愛で結婚相手を決めるなど、つい最近のことである。年金制度のおかげで長男は家の縛りから開放されたので、多少の減額は我慢するべきか?(劇的な離婚率の増加は花火のように燃え上がって消える、恋愛結婚が原因ですよ、たぶん。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・為替

「なに、1ドル123円だと、これはえらいこっちゃだ!」最近の急速な円安の進行にはビックリする。この主な原因はアメリカ金利上昇にある。FRBのパウエル議長がこれから1年後の米国公定歩合を2.5パーセントに段階的に上げていくと発表した。しかし日本の公定歩合は0パーセントなので、すでに金利上昇しているアメリカ国債を購入すれば2パーセント以上の金利がゲットできる。

すると当然米国債を買おうと日本の銀行や資産家の金がアメリカに流れていく。そして米国債を買うにはとりあえず、円を売ってドルを買う必要があるので円安になる。まずいことに一度この流れが始まると、我も我もと企業や一般庶民までもが米国に資金を移す。すると円安が進行し円を持っていると目減りするので、ますます円安は加速していくのだ.。こうして130、140と進んでいくかも?

円安の急速な進行は輸入物価を引き上げ、激しい物価高を招くので日銀は日本の金利も上昇させようとする。しかし哀しいことに日本は金利を上げることが殆んどできない。理由は1200兆円にも膨れ上がった赤字国債にある。現在の0パーセントの金利を1パーセントに上げただけで、12兆円もの利払いが発生する。日本の国家予算は105兆円なので、実際には97兆円しか使えなくなる。(でも赤字国債の多くは日銀自身が握っているので、例えばの話である)

「結構大変な事態ですよ、みなさん」あなたがもし老後資金2千万も銀行預金で持っていたとしても、1年前からすると円安で実際にはすでに16パーセント320万円も目減りしているのです。円安の進行は日々ゆったりと過ごす、年金生活者の日常をこれから脅かし始めます。これに対し経済音痴の岸田政権は何も出来ずにただ傍観している。ですから個々人で資産防衛するしかないです。

対策としてはドル預金をもつ、米国債を買う、金などの貴金属に投資(貴金属はドル建てなので円安になると通常上昇する)米国株やETFに投資する。などいくつかの方法があるが、突然円高に大きく戻ることもあるので危険も伴なう。でも基本日本の国力は少子化で弱まっていくので、長期的には円安方向ではないにか?(長かったデフレとも、そろそろお別れですかね。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・肥料

ウクライナとロシアの戦闘がいつ収束するのか、現在では全く予測できない状況である。明日かも知れないし、数ヶ月先になるかもしれない。しかしここで困ったことがある。それは春を向かえ、世界有数の穀倉地帯でもあるこの地域で種まきが出来ないと、小麦などの穀物が供給不足になる。現地では戦争によりインフラは破壊され、農業従事者も戦闘に巻き込まれている。

またロシアは現在主要な肥料生産国でもある。そしてその多くが輸出に回されるのでロシアからの供給が止まると、世界中の国々への農業に対する影響は大きい。もちろん日本も例外でなく、肥料不足による反収減少はエネルギー問題と重なり、まさに高インフレに導くダブルパンチである。ウクライナ問題をきっかけに日本も長かったデフレも終わり、物価高に悩まされる新たなフェーズに入っていくだろう。

「日本のトイレって、どこも感動的に綺麗!」とは来日する外国人がだれでも口にする言葉である。ここ二十年で日本のトイレは劇的に変わった。それは市町村単位での下水道の整備とともに進んできた歴史がある。私が幼児の頃は近隣の農家が堆肥を作るため、木桶をリヤカーに乗せトイレの汚物を集めにやって来た。農家ではそれを肥溜めに移し、数ヶ月寝かしてから肥料として畑にまいていた。これは究極の循環型農業であったが、生野菜は食べられなかった。

その後日本でも化学肥料が普及し始める。すると汚物の集配は農家から行政の仕事に変わって行く。そして新たなバキュームカーの登場により手作業の集配は消えた。また近年では下水インフラが整備され、バキュームカーすら見ることもない。肥料不足などと聞くと、たかだか65年前の状況を思い出す。

とこれで私は知らなかったが、窒素、リン酸、カリなどの化学肥料は今では天然ガスなどから生産するらしい。ガスという気体から、どのようにして粉末である化学肥料に変えるのかは知らないが、ロシアによる天然ガスの供給停止は意外なところに影響を及ぼすようである・・・。(写真・春になり盆栽の苔が美しいので掲載。戦争による物価高には注意です。勝田陶人舎・冨岡伸一)

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