茶飲み話・ワクチン

私のブログは自身の視点で過去を振り返り現在との比較、あるいは現在を基準に将来の推測や対応などをテーマとしている。団塊世代も現役を引退し脇役に追いやられると、世の中に対する興味もうすれ、世代としても発信力がだんだん弱まってきた。最近では今と全く異なる戦後の混乱期など語る人もまれだ。そのためそれらの記憶を残す意味でも、私はあえて文中に子供の頃の事象などを書き込むことにしている。

先日も国府台のスポーツセンターで行なわれたワクチン注射を待つ間に、児童であった頃の記憶を手繰り寄せてみた・・・。「おーい、みんな集まれ!」とそれぞれが勝手に遊んでいる子供達に声をかけた。「さあこれから注射をするぞ」と拾ってきた松の枝の葉を一本抜き取り、年下のA君の腕にちくりと刺す。すると「痛てえ」の声に皆は即座に逃げ出した。私は松葉を指で挟んで追い回すも、すぐに松葉を抜き取った友達からも逆襲される。いつしかお互いに松葉で刺し合う混乱状態になっていた。

このように注射が遊びになるくらい様々な感染症に対する予防注射が、戦後の子供達の腕には頻繁に突き刺された。また当時の注射針は極太で非常に痛く、いまの注射針がソウ麺なら、安くて旨い丸亀ウドン位の太さがあった。また注射器も使いまわしで、針先を脱脂綿でかるく消毒するだけなので、最近保障問題になっている肝炎を移される危険をともなっていた。

ところで今回のコロナワクチン開発は緊急なので、人体での臨床試験も殆んど行なわれずに接種が始まったので不安もつきまとう。現在では新薬などの臨床試験は、コンピューターによるデーター解析で、ある程度シミュレーションできるようになっている。将来コンピュータの性能がもっと向上すると、ワクチンの効能などはより短期に分析できるようになる。すると新薬開発は劇的に早まり、多くの難病も克服されるだろう。

IPS細胞、遺伝子治療、高速コンピューターによる臨床など医学の進歩も留まるところを知らない。いよいよ人類は寿命180歳に向かって歩み始めている。65歳以上が高齢者という文言など早く消去しないと、人生のほとんどの時間が老後ということになってしまう。この先10年後には年金受給も徐々に繰り下がり、70代でもまだ働くはずだ。でもAIやロボットに作業を奪われる一般人は、働く意思はあっても「お前は必要ない」と邪魔にされるかもね?

(茶碗も接写すれば、微細な細胞のように粘土粒子の集合体である。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・天気

「明日天気になーあれ!」と履いている下駄を天空に脱ぎ放つ。すると下駄は前後に回転しながら、コトンとひっくり返って落下した。「チクショウ、明日は雨か?せっかくの遠足なのによう」と落胆し、家に帰って照る照る坊主を軒下に吊るすことにした。私が小学校の低学年の頃までは日常まだ下駄を履いていた。ラジオから流れてくる天気予報などは「当たるも八卦」のへたな占い程度なので、下駄が表面だと晴れ、裏面だと雨、横向きだと雪などと決めて天気を予報した。

先日朝食の時間に「おかえり、モネ」という朝ドラを眺めていると、ヒロインのモネという女の子が気象予報士の試験に落ちるシーンが登場した。たかだか6,7年前の設定であるが、この頃は気象予報士の資格などまだ価値があったのか?と当時を思い返すと資格試験は登場したばかりで人気があり、お天気キャスターを務めていたタレント達の試験合否も話題になっていた。

ところが現在ではグーグル・プレイのお天気アプリを開けば、気象予報士の予測よりもっと正確な雨情報が町や分単位で確認できる。先日も「あと10分後に雨が降ってきますよ」と同行する娘婿に告げられると、正確に10分後に雨がパラパラと降り出してきた。全くグーグルは魔法のようで凄いね!これでは苦労して収得した気象予報士の資格など、あっという間にクズカゴの中に消えていく。

グーグルなどGAFAと呼ばれるアメリカの巨大プラットホームによる世の中の変革は、なかば暴力的にわれわれシニア世代にもその対応をせまる。この両刃の剣は敏感に対応すれば便利で満たされた幸福感を手にいれ、拒絶すれば世捨て人の群れの中に突き落とす・・・。さあシニアの皆さん!10年以上生きるつもりなら、覚悟はよいですか?常にパソコン使用とスマホの画面を指でタップ、スワイプ、フリック、ピンチアウトでの新鮮な情報収集ですよ。新聞などは届いた頃には古聞になっている。

私は長いことファッションを通して現状を分析し、次の流行予測することを仕事にして来たので、元来が新し物好きで変わり身は早いほうだと思う。そのため激変のエキサイティングな未来にも興味深々である。残りの人生も時代対応をあきらめず頑張って生きましょう。(梅雨に霞む遠く森のような青磁釉の茶碗。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・寝転び族

そういえば最近「こいつら全く邪魔なんだよな」と気になっていた通学電車内での、床にわざわざシャガミスマホする学生を見かけなくなった。とくにドア付近にシャガまれると、乗り降りの際に通り道をふさがれイラつく。注意をしようかと思うが、面倒なので他のドアから降りたりしていた。

そして十年以前は道やホームにベッタリ座り、話や飲食などをする菜食主義者ベジタリアンをもじった「ジベタリアン」と名付けられた若者が、日本でも社会現象になったこともある。偏差値教育の弊害でいまの学生は疲れているのか?と見過ごしたが、戦後の食糧不足の時代でもあるまいし、電車到着までシャガんで待つ姿など、だらしなく恰好わるいと顔をしかめた。

「展示中のソファーに寝転ばないでください!」の張り紙を無視し、多くの若者が長椅子を全て占拠する。中国のイケアなどでは最近昼間から就活や受験戦争に負けて、夢の実現をあきらめた無気力者達が店内でごろ寝していという。でも店員はその人数があまりに多いので、注意することをやめたらしい。そのほか公園や公共の場所でも状況は同じで、行政も対策に苦慮しているという。

中国の大都市では摩天楼のような高層マンションが林立している。でもそれらの殆んどが高額の投資物件用で人はあまり住んでいない。入居者も少ないので住んでも空き巣に狙われることが多く不用心だという。その一方地下街では職にあぶれた農村出身者の多くのホームレスが寝そべり道を塞ぐ。いよいよ中国の格差社会は矛盾だらけで沸点に達してるようだ

夢を失った「寝転び族」の多くが自暴自棄になり起き上がったとき、その矛先は共産党に向かうかも。中国の経済成長も終焉を迎えすでに過去のものとなって来た。一割の富裕層と九割の貧困層の階級は固定し、最近の資産価格の上昇では絶望的に格差拡大を続ける。でも監視カメラをいたる所に設置し、不審者の取締りは磐石に見える。そしてスマホでのネットユーザー共産党批判も厳重に規制され何も出来ない。

そこで格差社会に対する新たな若者の抵抗が、無言の寝転びなのかもしれない。(世の中の急速な変化に疲れて、草上に横たわる茶碗。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・出前

「ああ、腹減った。もう40分になるよ」。私の声に押され、母親が中華そば屋に催促電話のダイアルを回す。すると帰ってくる返事はいつも「今やってます」の決まり文句だった。これを当時は通称「蕎麦屋の出前」といい、言い訳の典型とされた。私が子供の頃は飲食店のほとんが店舗より、出前で売り上げを稼いでいた。ラーメンまでも出前で頼んでいたので、届く頃には麺が延びたが別段気にすることも無く、すきっ腹なので喜んで柔麺をすすった。

出前の配達と言えばなんといっても蕎麦屋に極まる。モリ蕎麦を30人分とか飯台に積み重ね、肩に乗せ手で支えながらの自転車片手ハンドルは、まるで曲芸師そのものであった。凄いなこの人!すれ違うその様にいつか落とさないかと心配したが、ほとんど下に散らばったモリ蕎麦など目にすることは無かった。

いまは出前よりもテイクアウトの時代である。このコロナ禍で殆んどの飲食店がテイクアウト導入にふみきる。町内のよく行く創作居酒屋でもテイクアウトを始めたので、何回か受け取りに出向いたが、自宅飲みは酒代が原価なので安上がりでよい。私は酒と肴、どちらかというと酒好きなので酒代のほうが高くつくことが多い。でも店側は肴よりも酒で利益が出るので、酒の売り上げがない営業では儲けも少ない。

話は変わるが、先日流行のウーバーイーツの配達人とそれを受け取った客が口論し、配達員が客をスタンガンで打って怪我をさせるという事件がおこった。因果関係はよく分からないが、怒った客に肩をつかまれたのでスタンガンを取り出し打ったという。事前にスタンガンまで忍ばせ、身元の怪しい若者に料理を運んでもらうのも心配を伴う。配達はやはり信頼のおけるその店の看板を背負った、従業員であるべきだ。食べ物だけに見ず知らずの配達は、異物を混入されるなど疑えばきりが無い。

いまウーバーイーツの配達員の中に、不法滞在のベトナム人が多く紛れているというのが問題になっている。人手不足からろくに身元確認もせずに雇用しているらしい。このコロナ禍では自国に帰りたくても簡単に帰れないのかもしれないが、外国人の不法滞在で治安が乱れるのも日本人としては気になるところだ。(青磁の茶碗を掲載してみた。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・バカチョン自動車

我々が青春時代にあこがれの職業が、カメラマンとデザイナーであったことは前に述べた。特にカメラマンはスタイルだけ簡単に真似できるので人気があった。当時流行のジーンズをはき、長髪でカメラを2台を首から吊るせば、すぐにプロカメラマンに変身する。被写体を求め風を切って街を闊歩し、シャッターをパチリ・・・。この頃人気があったカメラは、アサヒペンタックスなどのピント合わせが難しい一眼レフカメラである。にわかカメラマンが集い、エロとアートの判断基準が曖昧なヌードモデル撮影会も人気があった。アート作品撮るふりして、気取るんじゃないよこのスケベヤロウ!(俺じゃない。笑)

しかしそれから暫くすると、ピントを自動的に合わせてくれる「バカチョン・カメラ」という自動焦点カメラが登場する。すると誰でも上手に写真が取れるのでカメラマンのステイタスは崩壊し、職業として成り立たなくなった。いまではスマホにカメラが組み込まれ、老若男女あらゆる人が毎日多くの写真を撮る。

最近私も歳を重ねたので、買い替えを検討しているのが「バカチョン・自動車」と私が名付ける自動停止や追尾装置付きの車である。この車には多くの場所にセンサーが装備され自動焦点で鈍くなった年寄りの判断力を補う。この車に乗れば2年前に池袋で発生した、あの衰えた上級国民によるブレーキ踏み間違えの、痛ましい事故も防げたのではないかと推測する。

高齢者は通常私も含めて古い車に乗っていることが多い。池袋の上級国民の車も大分年期が入っていた。彼は金持ちのくせに車に乗るのもあと数年だと、バカチョンに乗り換えることをケチって大事故を起こした。先日ディーラーの進めもあり、ホンダショップに家族と最新軽自動車の試乗を行った。「いまの軽自動車エヌボックス・カスタムはすごいね!」室内は異常に広く内装は豪華でまるで高級車だ。しかもターボエンジンで音も静か、ブレーキまで踏んでくれて前後に衝突しない運転アシストときた。

しかしお値段を聞いてビックリ、フル装備で220万円だと!これでは普通車並みの価格である。10年近く乗る現在の車を乗り潰すことを考えていたが、高齢者運転事故多発を考えると迷ってもいられないかもね・・・。高齢者が運転アシスト付きの「バカチョン自動車」購入の場合、買い替えを促がす補助金をもっとたくさん出して欲しい。そうすれば高齢者講習開催よりも事故は減ると思う。

(高齢者には補助金などドンドンばら撒いてください。どうせそのうち先進国はどこも財政破綻するので使ったもの勝ちだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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