
コイン

器を作ってみませんか
「伸ちゃん、50銭玉明日からは使えないよ!」と駄菓子屋のオバサンに言われた。まだ三歳ぐらいの幼児の時だったと思う。この日偶然道で拾った50銭玉をにぎって、駄菓子屋に駆け込んだ私にオバサンが笑顔で飴玉一つを手渡してくれた。まだ昭和20年代の中ごろで、戦災の傷跡が色濃く残っていた。新券など紙幣の発行も余り無かったのか、どのお札もシワクシャのボロボロだった。そのころ1円、5円、10円、50円、百円とお金の殆どがお札で、1円と5円玉は穴の開いてない黄銅貨が併用され流通していた。そして昭和26年朝鮮戦争が始まった頃に、ピカピカ銅色に光り輝く新しい今の十円玉が登場する。親からこの十円を小遣いで受けとたった時は嬉しくて、今でもはっきりと記憶にある。
その後暫くすると穴の開いた5円玉、アルミの1円玉、最初の大きい50円玉と硬貨がどんどん新しく出てきて、紙幣が廃止されていく。そして昭和32年に百円玉が銀貨で登場すると、それより大きかった50円玉が穴の開いた小さな硬貨に変わる。そして百円玉も今の白銅貨に変更され、五百円玉も登場し今のコインの形態が整う・・・。現在日本には毎年沢山の外国人が観光で来日するようになった。キャッシュレスを推進しないと余った小額のコインは持ち帰るので、飛行場などで回収しないとコイン不足になる。私が以前イタリアにいた頃イタリアはすでに観光立国で、訪れた外国人がコインを持ち帰り小銭がいつも足りない。そこで飴玉をコイン代わりに手渡されたことが度々あった・・・。
そして現代になると、昨年突然ビットコインへの不正アクセス問題が発生してニュースになる。「ビットコイン(仮想通貨)って一体なんだ!」なんでもネット上で流通している実態の無いお金だそうで、これで物が買えるというのだがそのシステムがよく分からない・・・。しかし偽札の横行するお隣中国では、日本より一足先にスマホによる電子決済が進み、現金を受け取らない小売店も多いと聞く。中国など行きたくもないので私にはどうでも良いが、我々の世代には便利になっているのか、不便になっているのか?(最近あまり車に乗らない私はセルフでのガソリンの入れ方も知らないし、スーパーでのレジにも戸惑う。)やがて近い将来現金は確実になくなるらしい!
銀杏の盆栽が今年も黄色に色づいた。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
「ウォー、凄い!」突然の物音に驚いて、高い梢に止まっていたたくさんのオオカバマダラ蝶が一斉に飛び立った。「こんな光景みたことがない!いったい何万匹ぐらいいるのだろうか?」いずれにしても凄い数だ。(実際にオオカバマダラを見たわけではないが、その蝶はメキシコのミチョアカン州の一箇所に集まって越冬する。)この時蝶たちの羽ばたきにより風が起きた。この僅かな微風が周りの空気に伝わり、それまでとは違った風の動きを作り出す。そして徐々に大きなうねりとなって気象に変化をもたらすと言う。これをカオス理論といい、取るに足りない最初のほんの微細な出来事が、その後全体を揺るがすような大きな出来事に発展していく原動力になるという。だから気象、経済、人生などもなかなか予測が難しく混沌(カオス)としている。
人生でも「もしあの人と、偶然あそこで会わなかったら自分の人生は、全く違った方向に向いていたのではないか?」と思うことが誰も一生のうちに何度かは経験していると思う。この出会いは必ずしも、よい出会いばかりではないのだが!半年ほど前オウム真理教の麻原初め実行犯が処刑されたが、その死刑囚の一人が「自分は何故あんなことをしてしまったのかが分からない」と語っていた。多分大学などで、信者に軽く入会を勧誘された程度の事が始まりだったと思う。それが麻原と知り合い邪悪な深みにどんどんと落ていき、社会を揺るがす大事件の首謀者になってしまう。本当に人の出会いとは恐ろしい。
しかしもしその人に正常な判断力や思考力が備わっていれば、すぐに麻原の魂胆を見抜いて、入会する前に去って行くことも出来た。知らぬ間にズルズルと引きずられて、一部の若者は判断力を失った・・・。良い縁を人と持ちたいと思ったら、まず自分の立ち位置や心がけが大切である。人を上手く利用してなんとかよくなりたい!などと邪悪な欲を持つとろくなことが無い。同じような人種が集まり自分が食われる・・・。「人は匂いで嗅ぎ分ける!」香りの良い人は自分を幸せな気分にしてくれるが、うさん臭い人はどこか異臭がするものだ。でも歳をとると臭覚もにぶり鈍感になる。「臭覚を鍛えましょう。」正当な臭覚を持ってればオレオレ詐欺にもかからないですむ。
香りといえばシソの香りも良い。植えた覚えもないシソの様な植物が紅葉した。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
戦後70年以上も経つと本当に世の中の価値観が変わってきている。日本人という定義もそうだ。ついこの間までは「日本人は単一民族なので、国としてのまとまりがある」などと公に言われていたが、今こんなこと議員が言ったら人権問題で大変なことになる。でも戦後ずっと増えてきた国際結婚は最近では減る傾向にあるというのだ。国際結婚の難しさなどがクローズアップされ、内向きになってきたのか理由はよく分からない。でもいま日本には様々な人種やその子弟も多く住む。日本に住んでいて国籍が日本なら日本人という認識も大分広がってきた。以前の様な人種差別的な言動も殆ど見られない。
「この子って日本人なの?」かつて欧米の語学学校などに視察いくと、日本人のアイデンティティーを捨て、欧米になりきろうと努力している日本人の女の子もよく見受けた。語学研修を受けているうちに徐々に、思考やジェスチャーもアメリカ人そっくりになる。日本文化など聞かれても、総じて日本の事は何もご存知なく興味も持たない・・・。でも最近ではこの様な脱日本人の若者も減っているらしい?逆に内向きで余り外国には興味を持たない。確かに日本は清潔で住みやすいし、日本人の慣習、思考、美意識などは世界から注目されている。しかし彼らが学ぼうとしている日本文化を正しく継承し、それを伝えるために英語を話す必要もある。
我々戦後世代は欧米人に対しどこかコンプレックスを持っていた。これは小さいころ進駐してきたアメリカの政策による所が大きい。日本文化や歴史観の全面否定教育により、自国に対する自信が持てなくなり、アメリカ崇拝の念を植えつけられたためだと思う。子供の頃のトラウマは大人になっても中々抜けない。英語を話す人は偉い人というバカバカしい感覚がどこかに潜んでいて、彼らの顔を見ただけで臆する気持ちが先立った。でも中国人などはこのような感情は無く、どんどん話しかけるので英語がじきに上手くなる。言葉はコミニュケーション手段なので、話さないと始まらない。外国に行かないので英語など話す必要が無いと、開き直っても外国が日本にやって来る・・・!でも一方では翻訳機も劇的に進歩している。
子供の頃、英字ビスケットとういお菓子があった。なんということは無いシンプルなローマ字型を抜いたビスケットで、これで食べながらABCを学んだ。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)
「なんだよこれは?」目の前に出された白いスープに、日本人の友だちと顔を見合わせる。イタリアミラノの靴学校に研修に行っていた時のこと、昼食にはいつも近くの同じレストランに通っていた。するとその店のルイジという名のシェフと知り合いになった。そこで日本から持ってきた醤油の小瓶を差し出しボトルキープをお願いすると、「べーネ!」と快諾してくれた。それから我々がテーブルに着くと、料理と一緒に醤油ボトルを持ってくる。パスタには醤油を少しかけて食べたりしていたが、ある時彼から素晴らしい提案があった!どこで聞いたのか?「日本人はウナギが好きなんだってなあ!今度ウナギの料理、作ってやるから!」とにっこり笑った。
ミラノでウナギの蒲焼が食えるのか?楽しみに待っていると、数日後出てきたウナギはなんと白いスープ仕立て!見ると中にはウナギのぶつ切りが煮込んである・・・。「そうだよなあ、蒲焼など出てくるわけが無い!」期待しいた俺達がわるい!恐る恐るスプーンで口に含むと、奥からルイジがじっとこちらを見ている!目が合ったのでウナギをすくい上げガブリと食いつく・・・。笑顔で旨いというジェスチャーをすると、納得顔で厨房に消えた。友だちが「旨いか?」と聞くので、まあまあだと答えたが「油っこいウナギにミルク入りの濃厚なスープはどうだろう?」と首をかしげた。
私はウナギ好きで毎年、新年に成田不動尊にお参り行くと必ず昼食にはウナギを食べる。成田山の参道には沢山のウナギ屋が並ぶが、その中でも私が立ち寄るのが山門の左手にある駿河屋というウナギ屋である。ここのウナギは非常に旨い!仕事が丁寧で、見た目も美しく身が柔らかでふっくらしている。そしてウナギにかける山椒もまた格別だ!通常山椒の粉は茶色だがここのは緑色で、香りも強く見た目も美しい。会計時にはこの山椒をついでに買って帰り、牛肉料理などにも降りかけている・・・。ウナギを食べると「ああ!日本人に生まれてよかった。」とつくづく感じる瞬間でもある。
最近では外国人もウナギの蒲焼を好む人が多くなった。ウナギの完全養殖が普及する日の来ることを願うばかりだ。(千葉県八千代市勝田台。勝田陶人舎)
私が今まで生きてきた半生で、いつの時代が良いかったか?と聞かれればそれは迷うことなく、30年前のバブル崩壊に至る前の時代を上げるだろう。確かに当時は私も働き盛りで歳も若く活力に満ち溢れていたが、それよりも会社の終身雇用や賃金、社会保障制度などが今より充実していたと思う。日本人は単一民族で一億総中流などと称し、累進課税も強く大金持ちもいなければ貧乏人もいない、どこの家庭でも大体右並びでそこそこ豊かにくらしていた。ところがバブルとベルリンの壁が崩壊すると状況は一変してくる。特に鄧小平の中国が改革開放政策を打ちだすと、その巨大な安い労働力が自由主義市場へと流入してくる。すると労働集約型の多くの仕事と富が日本から中国へと流失していった。
「ええこの靴、これで5千円か?」今まで一定の値段で売られていた靴や衣料品などの労働集約型の商品や雑貨などが、どれも値崩れを起こし安く買えるようになった。このことは消費者にとっては歓迎すべきことであるが、同時に国内の手仕事も減る。大資本のコンビニなども激増し、個人商店や手作業などで生計を立てていた人は転業を迫られた。就職氷河期と呼ばれる時代がおとずれ、日本は失われた20年になる。この間に累進課税がゆるくなり金持ち優遇税制が実行され、消費税が導入される。そのご会社が儲かっても利益は役員の給料と内部留保に回されて、一般従業員の平均給料はほとんど昇給しない時代が続いている。金利や物価も上がらないので、ある意味バランスは取れているのだが。
そして時の自民党政権が、このような構造的な景気の問題を根本的に考えることなく、景気刺激策として膨大な公共投資に資金を投し続けてたため、国はいつの間にか巨額の財政赤字を抱えることとなった。現在赤字国債を含め年間90兆円の国家予算が立ているが、その十倍以上の借金があっては将来年金など福祉に回せるお金も滞る・・・。現在は科学技術などの進歩によりどんどん便利な時代になっている。しかし働く人間にとっては薄利でノルマもきつく、祝日が多い割りには実際には労働時間も短縮されてない。一人の男が働いても家族を養えないので殆どが共働き!女性も子育てと仕事のストレスを抱えて大変だ。もし家族の(幸福度指数)というものがあって指数をはじき出したら、もう日本はとっくに峠を越えて下り坂だと思う。
もうすぐAI、ロボットがあらゆる職場に進出してくると、10年後には簡単なルーティンワークなどの仕事はなくなる。今度は中国人でなくロボットに仕事を取られる・・・!さて、明日はどんな仕事をすればよいのか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)