春の七草

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、これを春の七草というのはご存知のとおりだが、でも通常野菜として食べるのは、セリ、かぶ(すずな)、大根(すずしろ)くらいだと思う。私はこの中ではせりが好きである。かつて宅地開発が始まる前まで、セリは自宅近くの田んぼのあぜ道にいくらでも自生していた。春先になり田の氷も解けるとセリが芽吹いてくる。それを摘んできて熱湯にくぐらせ、お浸しにして食べた記憶があるが少し苦いので、子供の私の味覚には合わなかった。最近ではセリの一種クレソンが野菜売り場の店頭に多く並ぶが、これは明治時代にヨーロッパから移入された品種が、繁殖力が強く全国に拡散していったという。

私は日本原産のセリはクレソンに比べてたけが低く、色が濃い気もするがせりはこの時期、スーパーに行けば簡単に手に入る。雑草のような野性種と違って丈も長く色もきれいで全く別物。(でもこれはセリと書いてあるけれど本当はクレソンかもしれない)半分に切って鳥鍋などの脂っこい鍋に入れれば、そのシャキシャキした食感と苦味が良い。先日あるテレビ番組で根も食べられると紹介しているのを見た。そこで私も根をきれいに洗い入れてみたが、確かに食べられる。ただスープが少し黒く濁るのが気になる。ごぼうと同じで根からあくが出るのではと思う。

新年も7日になると、この七草を入れた粥を食べる習慣がある。正月の飲食で疲れた胃を休める意味と、昔この時期は野菜不足になるので、それを補うための習慣として続いてきのである。今は真冬も野菜は豊富にあるし、サプリも飲んでる。別に七草粥など食べなくてもよいのではないかと思っている人も多い。でもそうと言わずに、今宵は慣例に従い無病息災、長寿健康を願い、お餅も入れて晩酌の後にさらっと七草ガユを頂くことにする。粥はシンプルなので茶碗にこだわってみる・・・。写真のお茶碗は私の陶芸の先生の奥様、延原恵子さんの作です。三島という手法でロクロ成形の後、粘土が乾燥しない柔らかいうちに花柄の版を押し、線を描き素焼きの後に白化粧をかけ透明釉で焼成したものです。

展示会の時に譲りうけたこの茶碗は、還元焼成のかかりが弱く、地の色が茶色に残っていて、浮き出た白化粧の繊細な線との色のバランスもよい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

年頭のご挨拶

新年に当たり今年の抱負などを少し述べたいと思います。冨岡のブログは微力ながら陶芸を中心にしてもう一度日本の伝統文化や慣習、精神などを庶民感覚で皆さんと共に検証し、これからの時代を日本人としてどう生きるか?考えて見る機会を作ることを目的としています。

第五次産業革命などといわれる技術革新の時代はすぐそこまできています。通信技術や移動手段、英語教育など急速な進展や普及で、グローバルスタンダードといわれる世界基準の浸透は加速しています。この動きは今までの独自な地域社会や文化を飲み込み、その結果人々のライフスタイルと思考を世界規模でに平準化・同質化していきます。沈黙していると日本人としての基盤がこの大波に全て飲み込まれ、消えてしまうのではないか気がかりです。

このような時代を私は否定するつもりはありません。むしろ積極的に受け入れて行きたいと思いますが、日本人としての立ち位置まで失ってしまったら問題です。

国際人になるということは自国の言葉や文化から離れて、無国籍化することではないです。最近日本でも幼児からの英語教育なども盛んですが、まずはきちんとした日本語の学習から始めるべきです。いきなり英語を教え、まともな日本語も話せない中途半端なバイリンガルの日本人になっても困ります。文化や精神は言葉の中にある。言葉を知らずしてその国の文化など、真に理解できないと思います。

今こそ歴史ある日本文化を維持継承し、次世代へつなげることを個々人が考えてみる姿勢こそ重要ではないでしょうか。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

お屠蘇

初めてお酒を呑んだのは、子供の頃のお屠蘇です。本みりんなので、お酒といえるか分かりませんが当時我が家では元旦の朝、家族全員が揃ったところで正月の挨拶をしたあと、父がついでくれたお屠蘇を飲む習慣がありました。朱塗りの銚子に入ったお屠蘇を、同じ朱塗りの杯に注がれ飲むのですが、甘く薬くさいその味はなんとも不思議な感じでした。

でもいつの頃からか、この習慣は我が家からは消えてしまい、その記憶さえ定かではないのです。とうぜん私の子供たちはお屠蘇は飲んだ事がないというので、私の代に廃止したのでしょう。理由は皆が喜ばないから。

暮れにふと思い出し、屠蘇を飲む習慣を復活させようとあの朱塗りの銚子と杯を探してみたのです。ところが家中どこを探してもみつからない。やはり邪魔だから処分したのか?残念だ。

お屠蘇は朱塗りの器でないとだめ。陶器の器では話にならない。唇に触れた時の感じが冷たいし、だいち雅でない。

それで今年はあきらめた。来年のためにまず朱塗りの器を買わなくては。

皆さんのご家庭では新年にお屠蘇を飲む習慣つづけてますか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

手綱コンニャク

「こうやって、この穴に通すんだよ」とまだ小学生であった次女にやり方を教える。コンニャクを小袖くらいの大きさに切り、それを縦に等分し、その中央に切り込みをいれる。そしてその片側の辺を穴に通すと凄く小さな手綱コンニャクに変わる。小さいので数が多く一人では作業が大変、そこで娘にも手伝わせる。私はそのころ大晦日の前の二日間はキッチンに立ち、お節料理を自分で作っていた・・・。実は陶芸の器作りに役立つだろうと、当時赤坂の柳原料理教室に通っていて柳原一成さんから、近茶流江戸懐石料理の手ほどきを受けていた。そこで先生直伝の「お節料理」を自宅で練習のために、調味料量など記述されたノートを眺めながら料理作り励んだ。

そして元旦の朝に家族で食卓を囲むと「数の子は子宝に恵まれる、昆布巻きは喜コンブ、黄色は仏教では魔よけの色で、タイの僧侶の袈裟の色は黄色い。だから伊達巻や錦タマゴは魔よけの意味だ」と先生から聞いてきた通りに能書きを披露する。毎年必ず作ったのは昆布巻き、伊達巻、錦卵、手綱こんにゃく、田作り、くわい煮、栗きんとん、数の子などの10種類弱・・・。しかし最近では大変なので全く作らなくなった。それに20年ほど前から我が家でもそうだが、おせち料理は作るものから買うものへと変わってきた。有名な料理屋から町のすし屋まで、様々な所で販売するようになったので、事前にチラシを見て妻と検討するだけである。

中華風おせち、洋風おせちなどチラシもたくさん送られてくるので、今年はどこのおせちを頼むか迷うが、目安の基準は見た目で旨そうかどうかである。しかしこのお節料理もしょせんは飾り物で、家族も喜んで食べる分けではない。それに昨今のおせち料理は昔のようなゲンカツギの意味もないので、正月料理と名を変えたほうがよい。正月料理ならただ旨ければいい。和牛のローストビーフ、イベリコ豚、ホアグラ、キャビア、北京ダックにモッァレラチーズなど、世界中の高くて旨そうなものを集めてなんでも重箱に詰める。

旨ければいい正月料理、強ければ良い相撲、知らぬ間に少しずつ日本の伝統文化や精神が崩れていくのは残念だ。もう一度原点に戻り、それぞれの料理の意味や由来など、考え手作りしてみたい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

 

元旦

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

我が家の正月は毎年父の描いた、この日本画の掛け軸を飾ることから始まります。この作品は父が半世紀前に描いたもので、夫婦の丹頂鶴が日の出に向かって飛ぶ姿を映したものです。丹頂鶴はいちど夫婦になると、一生おなじカップルで添い遂げるそうで夫婦円満、幸福招来の象徴です。

羽の一枚一枚細部まで良く観察し描いています。その技術と根気はとうてい私には、真似できるレベルではありません。画面を拡大して見たくだされば、ディテールへの執着とこだわりが分かります。

北海道の道東に生息する丹頂鶴は一時期その数が激減して絶滅の危機にあったが、手厚い保護のもとで、どうにかその生息数が回復してきているそうです。かって旅行で釧路湿原に行った時はまだ数も少なく遠くから眺めていたが、最近では群れで飛ぶ姿などが見られるのでしょうか。

今後は朱鷺と共に生息数を増やし、もっと身近に観察できるとよいですね。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

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