茶飲み話・ネズミ

 

最近アメリカのニューヨーク市では大量のネズミが繁殖し、市民を悩ませているそうだ。とくにコロナ以降リモートワークなどで人々が在宅すると餌となる家庭ゴミが増えて、その数が爆発的に増大した。そのため行政はゴミ回収の頻度を増やしたり、収集時間を短縮したりとその対応に苦慮している。マンションの部屋の中まで進入してくるので、あわてて郊外に引っ越す人も多くいるらしい。

「犯罪者のような人相の悪い捕獲員急募!」そのため行政は2500万円もの年収で専門知識のある捕獲員募集広告を出したが、採用条件の一つに目つき顔つきの悪い人限定という条項を加えた。理由はネズミは人の鋭い眼光に反応し、逃げるので都合がよいとの判断だ。でも専門家によると捕獲にはネズミを刺激しないほうがよいのでは?という意見もあった。

いまアメリカ東部やカルフォルニアの大都市ではネズミのほかにホームレスが増大し、昼間から薬物注射をして路上で寝転ぶ人であふれたいる。そのためゴミが散乱し、鼻をつく異臭に悩まされているらしい。マリファナはすでに合法化され、覚醒剤はほとんど野放しなので都心はまさにカオス状態である。そのうえ銃規制もなく簡単に人が殺される。

「ハーメルンの笛吹き男」ネズミの繁殖といえば子供の頃に読んだグリム童話を思い出す。ドイツの都市ハーメルンで1284年に起きたとされる出来事で、ネズミの繁殖に困った市民がネズミを退治すると公言する笛吹き男に金を払う約束をし、ネズミ退治を依頼した。しかし男がネズミを町から一掃した後、金の支払いを反故にする。そのため怒った笛吹き男は町中の子供を連れ出し、どこかに行ってしまったというお話。

最近日本では街中からネズミが消えた。昔は頻繁にネズミを見かけたので、「猫いらず」という毒ダンゴやバネ式のネズミ捕りを使ってどこの家庭でもネズミを駆除した。でも毒ダンゴは猫が誤って食べ死ぬこともある。ゴミの散乱とネズミの繁殖は一体なので「街清くしてネズミ住まず」である。(日本ではネズミの被害も遠のき、イメージの良いミッキーマウスに変身だ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・ロシア

 

ウクライナ戦争の開始からすでに十ヶ月を経過するが、戦争はエスカレートするばかりで停戦のきざしすら見えない。最近ロシアはウクライナの一般市民を標的にし始め、寒い冬に欠かせない電力網の寸断をねらい発電所などの重要インフラを破壊している。そのため電源を断たれた市民は防空施設など一箇所に集まり、身を寄せて暖をとる。ロシア・プーチン政権は真に国際法を無視した身勝手な蛮行を繰り返す。

「ロシア人は嘘をつくことに罪悪感を感じないらしい!」ロシア人も中国人と同じで、だますより、だまされるほうが悪いという社会通念を持っているという。逆に日本人は嘘を嫌うので、簡単な契約事は口約束だけで成り立つ社会である。重要な取り決め以外はお互いの信頼ですみ、へたに契約書の取り決めとか言い出せば「お前俺を信用しないのか?」と相手の気持ちを削ぐことになるかなり特殊な社会だ。

このような文化の違いはお互いに誤解を生むことになる。彼らの常識では約束や条約は破るためにあるので、ロシア人の言動を信じるほうが悪い。事実日本はロシアに戦前の日ソ不可侵条約を初め安倍首相との北方領土返還交渉など、多くの約束事が反故にされてきた。

現在ウクライナのゼレンスキー大統領が停戦に応じないのはロシア人を全く信用してないからである。停戦しても弱みを見せればすぐにまた攻めてくる。もしプーチン政権がクーデターで崩壊しても、日本人が期待するような民主国家になることなどありえない。また新手な独裁者が誕生するだけである。ロシアの国民性を考えれば協調などありえないので、ウクライナ戦争は簡単には終わらないと私は想っている。

ロシア人といえば離婚率が87パーセントでほとんどの夫婦は伴侶を何度か代えると聞く。中には10数回離婚を繰り返す女性もいて、それを自分がモテル証拠と公言するらしい。そういえば数年前に知り合った若いビジネスマンの奥さんがロシア人だったが、帰宅が遅くなる日が続いたので離婚を口にすると「OK!」の一言で出て行ったそうだ。あまりにも簡単な幕切れにあっけにとられたと語った。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

 

茶飲み話・老化

 

「老化を止める画期的な新薬の誕生!」皆さん朗報です。先日民放のテレビ番組「カズレーザーと学ぶ新知識」で老化を止めるワクチンが、順天堂大学の研究チームによって開発されたとの報告があった。なんでもこのワクチンは老化細胞を除去し、各種の成人病に対する効能があるらしい。5年後をめどに登場するこのワクチンを接種すれば、寿命は120歳まで延びるという。

すると団塊世代が80歳になりこのワクチンを接種すればそこで老化は止まる。そしてその状態が40年間も続くことになる。このワクチンを接種するかどうかは個々人の意思に委ねられるが、もし私がそれを選択したら人生設計そのものを根本的に考え直す必要が出てくる。なにしろ経済的にもあと45年間も生き延びる蓄財をしていない。

とうぜん国は年金支給を続ける原資が潤沢にあるわけでなく、生活費の捻出は個々人でどうぞ!ということになるだろう。リッチな人は120歳まで人生を謳歌し、貧困層は何もできずに天寿を全うすることになる。これによりまた新たな格差が生まれるのだ。そのためワクチンはできたが生活保障など社会制度が追いつかず、法整備にも時間がかかるらしい。

もう20年以上も前、あの金さん銀さんが90代でタレントになり、高収入を得ると「そのお金何に使うんですか?」という問いに「老後のために貯金します」と答えたが、120歳まで生きるこれからの90代は、まだまだ現役で金さん銀さんのように蓄財に励む必要がでてくるかも?

私が小学3年生のおり、父親が結核を患い2年日間闘病したが、このときにパスやストマイといった抗生物質が新規登場し、結核が不治の病でなくなった。もしこの時に抗生物質がなければ、私の人生もかなり悲惨なものとなっていたとの自覚がある。医学の進歩は人の人生を大きく変える。(時代は今までの人類が経験したことのない未曾有の変革期に突入した。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・世間

 

「さて今日は何の話題を書こうか?」などと思いを巡らせど、一向に頭に浮かばないこともある。そんな時は素直に漠然とした思考そのものを記述すれば良いのでは?ということで、今突然思いついた「世間」について綴ってみたい。世間とはインド発祥の宗教用語らしいが、現在では世の中や自分の交際範囲を示す言葉となっている。

「そんなことするとお前、世間様に笑われるよ」とは子供の頃、母親の口癖であった。でも私にはこの言葉の意味が今いち良くわからなかった。世間に様をつけ「世間様」、あるいは人に様をつけ「人様」とは母親が常に周囲の人々に配慮し、気遣って生活してきた証であると想う。しかしこの言葉は東京方言の一つだというので、母親のように東京のど真ん中で、隣近所密に生活してきた風習だったかもしれない。

子供のころ粗暴だった私は毎日のように近所の子供達とバトルし、生傷がたえなかった。そのつど赤チンを塗って終了なのだが、時々度が過ぎて深手を負わせることもある。すると母親はすぐに謝りに出向き詫びを入れる。そして立ち戻ると「人様に迷惑をかけるな、世間様に申し訳ない!」とコンコンと説教された。

いまでは世間様、人様などの謙譲語を口にする人もほとんどいなくなった。都会では長屋からマンション、そして億ションに建て代わると、隣に住む人との距離もどんどんと遠くなる。そして中国人などの外国人も多く居住すれば、世間様どころか挨拶もニイハオで、どこの国に住んでいるのか錯覚することがあるかも?最近首都圏の一等地がどんどん外国資本に買われている。

「ニイハオで思い出した」。先日中国のトイレ事情として紹介されていた記事を読んで笑った。一般的に中国の公衆トイレには壁もドアもないらしい。ただ和式便器が横に並んでいる。尻をめくり用をたす姿がお互い丸見えという。ニイハオと挨拶するので、これをニイハオ・トイレと呼ぶらしい。(秋深き隣りは何をする人ぞ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・民度

民度とはその国の国民の文化水準、マナー、行動様式などの成熟度合いを表す尺度である。近年日本人の民度向上が著しい。コロナ後にやって来た多数の外国人はおろか、私自身が痛感するのだから間違えない。10年ほど前まではペットの落し物も道路わきに時々見られたが、最近は犬を飼う人も減ったのか?見かけることはまれだ。側道にはゴミの散乱も少なく、落ち葉や吸殻が時々確認できる程度である。

「なにしろ街が静かで、清潔で、無臭になった!」私の子供の頃はもっと全てが乱雑である。砂利道を歩けば大声で叫ぶ子供の声、クラクションの音、側溝からの異臭、イヌの落し物など枚挙にいとまがない。それが今では下水が整備されてドブの臭いは消え、穴の開いた道路につまずくことも無い。交差点には信号機や横断歩道があり、人々は交通ルールをよく守る。そして家庭ごみも細かく分別され資源として回収される。

これらの変化は長年の行政指導もあるが、家庭や学校教育によるところが大きい。日常生活における人に迷惑をかけないためのルールが徹底し、それを遵守するのが日本人という認識が確立した。そのため赤信号では横断しない、列を作って割り込まない、ゴミのポイ捨てはしない、スイマセン、アリガトウなどの掛け声、コロナが収まっても外出時はマスクをするなどいくらでもある。

でも乱雑な人間関係で成り立っている外国からくる人々には、これらの日本人の当たり前の行為に違和感を覚えるらしい。摩擦が少なく機能的な社会であるが、なにか不自由で堅苦しいと感じるようだ。同じく乱雑な昔の日本社会で育った私たち世代は、彼らの気持ちは理解できる。しかし単純に比較すれば現在の対人関係の方が、過去よりもずっと生活し易いことも確かである。

最近日本人と全く逆で、個人のエゴを最優先するフランス人に親日家が増えているらしい。彼らの間でも「譲り合い精神」の日本は生活し易いそうだ。もしフランスのように通勤時間帯の駅で列を作らず入り口に殺到し、マスクもせずに咳き込む人が隣に座れば、それだけで一日が憂鬱になる。日本人が長年かけて培った日本の常識が徐々に世界にも浸透するとよい!(トップレベルの民度の高い国になった日本。でも貧しくなれば国は乱れる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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