茶飲み話・レインボウ

「どうにかならないですかね。十把一絡げに高齢者というレッテル」まだまだ元気なのに高齢者と呼ばれると、とたんに体からエネルギーが抜けていく。今年のテーマの一つである「人生百年時代」とはある意味でありがたいが、一律に高齢者という呼び名で束ね、元気な人たちまで隅に押しやるのは社会にとっても損失である。「実り世代」とかもっと良い呼び名で、長く社会参加を促がせば医療費など財政の負担も少なくてすむ。

「病は気から」。年など忘れ生きがいを持って生活すれば、老化の進捗もゆっくりと進む。それには自らも年を意識せずに行動することが大切だと思うが、高齢者と呼ばれるとその心もしぼむ。行政自らが65歳で高齢者、75歳で後期高齢者と規定すれば、百歳まで35年間も高齢者としての立場で、生活しなければならないのだ。今後高齢者という名称は80歳過ぎでよいのでは・・・。

いっぽう政治家はもっと若い人のほうがよい。それは長らくその地位に安住すると既得権しがみつき、変革の妨げになるからだ。日本の行く末など若い人達が決めればよい。政治家は70歳定年制を導入すべきである。古い価値観の温存で日本は世界から取り残されていく。わが千葉県も最近団塊世代の無能な森田健作から、若い熊谷知事に代わりだいぶイメージが変わった。

べつに維新の支持者ではないが、大阪を中心とした維新の政治家は相対的に若年齢なので溌剌として見える。高齢化社会が進んでいるわが国で、多くの高年齢者達が投票所に足しげく通い、「おらが先生」の老害議員選出では、ますます若者の意見は政治に反映されない。今すぐにでもスマホ投票などを導入し、若い人の政治参加を呼びかけるとよい。とにかく現状では高齢者優位の年齢間格差が広がるばかりだ。

「うーん、難しいね!なかなか良い言葉が見つからない」。普通に使われているシルバー世代も地味なので、その上のプラチナ、ゴールド、あるいはビンテージではどうか?自分的には現役世代と80歳以上の高齢者を繋ぐ「ブリッジ世代」や「虹世代」あるいは「実り世代」も悪くないかな?いづれにしてもあらゆるハンデキャップが人権侵害なら、まだ元気なのに高齢者というネガティブなレッテルも差別ではないのか。(後期高齢者でなく、レインボウ・ジェネレーションとか呼ばれれば気分も晴れる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・ブログ

私が日々の過ごし方などを記述し、ブログとして発信するようになってから、早いもので5回目の正月を迎えた。当初は自分も何か新しいことにトライすべきと始めたブログ書きだが、現在では文章主体のブログなども、すでに時代遅れである。今はユーチューブ、インスタグラム、ティックトックなどの映像媒体へと若い人の趣向は移っている。

「マニュアルなど読むと疲れる」とは自身の最近の感情でもある。これは単に視力が落ち、細かい文字が読みにくいからではない。文章を読む事そのものが面倒なのである。そのため近年では書籍や新聞など紙媒体から離れ、聞くだけでよいユーチューブ動画配信などで情報を収集している。でも立ち止まって考えると、このような時代だからあえて過去形の活字媒体でブログ配信する意味あるかも?読むことをスルーすると思考力など衰えるばかりだ。

しかし「百聞は一見にしかず」という言葉がある。これは映像の持つ圧倒的情報伝達力を表した格言だが、最近ではあまり聞かなくなった。今は言葉で説明するより、スマホ片手に「俺の彼女美人だろ」などと、写真や動画など見せれば瞬時に納得する。

それは私の高校時代の思い出である。あるとき満面の笑みをたたえて友人が近づいてきた「俺さあ、彼女できたんだよ。でも彼女がグループ交際がよいと言う」そこでお互い友達一人連れて、四人でデートしようということになったらしい。「彼女の友達も美人だから」と説得されついて行った私がわるかった。「この野郎、俺を騙しやがって!」でも相手からは気に入られ、イヤイヤデートはしばらく続いた。今ならスマホ片手でこんなことも起こらないと思う・・・。

皆さんもお気づきのように、最近私のブログ写真ではスマホやパソコン映像の組み合わせでイメージアップを始めた。代わり映えしない連載では書くほうも読むほうも飽きる。茶碗というリアルな物と、これからより増幅していく仮想現実の合成で、なにか新しい表現の糸口を模索中!私自身も1年後のブログ発信がどう変わるかなど全く分からない。(写真・奥は抹茶碗、手前はグイノミ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

茶飲み話・新年のご挨拶

「みなさん、明けましておめでとう御座います。本年もよろしくお願いします」

いつも私の日常を映した世間話などにお付き合い頂き、真にありがとうございます。こうして歳を重ねていくと徐々に世の中に対する興味がうすれ、チャレンジ心も萎えていくのが常です。しかし現代では今までの老後生活になかった新しいライフスタイルが、テクノロジーの激変によって我々の前に出現しようとしています。これからの老後の過ごし方は、今までの人類が全く経験したことのない未曾有の領域で展開します。でもまだその概要は誰も明確に把握できてはいません。

それは医療から、ロボット工学、バーチャルリアリティと全ての領域へと拡大して、それらを上手く活用すれば衰えていく身体を補完、刷新し、より豊かなリタイア生活を過ごせる可能性があります。それに乗るか反るかは個々人の選択ですが、せっかく目の前におかれた美味そうなご馳走です。「据え膳喰わねば男の辱」とばかりに、何でも喰らうダボハゼになる好奇心も必要かと思うのです。

「猫も杓子もメタバース」今年のチマタのテーマはメタバースです。それだけ今後展開される仮想世界が、画期的であるということの明かしです。これはメタ超という単語とユニバース宇宙という言葉の合成語、すなわち超宇宙という意味の仮想現実のことです。眼鏡をかけて仮想空間に侵入して行くと、そこにはリアルでない別の世界が待っている。たとえば自身のアバター(化身)が仮想世界に誕生したショッピングモールなどを巡り、気に入った商品が見つかるとする。そこで購入ボタンなどをポッチとタップ!すると後日本物が自宅に届くなど・・・。

今までのネット販売との違いは写真でなく3Dなので、手に取り中を開いてより細かくチェックすることが出来るようで利便性が増す。グッチなどのビックブランドではすでにこの実験を開始しており、仮想空間でのショップ展開などを計画中という。こうなると実店舗の多くはますます不要となり、ライフスタイルそのものも大きく変わっていくと思う。

ということで今年も昭和の思い出、近況報告、未来へのアプローチや戸惑いなど、リタイア世代の視点で面白おかしく発信していきたいと思いますので、ご購読よろしくお願いします。これからの時代、特に重要なのは自由時間の上手な活用です。現役世代と違って我々には多くの時間があります。このたっぷりな時間を未来に対応する勉強時間に当てれば、物覚えの悪さを克服し現役世代より多くを学ぶことが出来ます。頭を柔軟に先を見据えて元気でいきましょう・・・。(グッドラック!コメントなど書いていただくと嬉しいです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

 

 

茶飲み話・笑点

日本テレビの番組ではもう60年前から放映されている「笑点」がある。最近ほとんどテレビを見なくなった私も、日曜夕方放送のこの番組だけは欠かさずに視聴している。別に落語ファンではないが、同世代の落語家達が解答する懐かしい昭和の小ネタで笑い、長らく晩酌の友として楽しんできた。中でも笑点メンバーの林家木久翁などは、すでに50年も在籍しており、私たち視聴者と共にそのまま歳を重ね続けている。

「なんでアテントなんだよう!せっかくの晩酌のタイミングに、この宣伝はないないよなあ」と癇にさわる。笑点で唯一の欠点は放映中に流されるコマーシャルにある。どうせ年寄りしか見ていないのでスポンサーの意図は分かるが、お線香、墓の売り出しなど、見ていて暗くなる宣伝が続くのだ。特に元スマップの草薙くんが伝授する、紙オムツのシーンなどを見せられると、他局に変えようとチャンネルに手が伸びる。

フジテレビが大規模リストラ実施!というニュースが先日紙面に載った。華やかで高給取りのイメージを保ったテレビ局のスタッフも、最近の急激なテレビ離れで、給料減額と人員削減の対象になったようだ。いまテレビなどは「笑点好きシルバー世代」しか注目していない。すでに若い人はテレビを見限って、ネットに移行している。

つい最近まで学卒の花形であった女子アナも人気が陰り、女子アナになって有名人と結婚する!という王道も崩れつつある。私の若い頃は新卒女子のあこがれはスチュワーデスであった。まだ飛行機に乗ることが一般的でなかった頃に、紺の制服に赤と白の柄スカーフを首に巻き、JALの帽子をかぶった姿は眩しく輝いていた。でもしばらくしてスチュワーデスがキャビンアテンダントと呼び名が変わると、そのステータスは女子アナへと移行していった。

ところで「これ、おフランスざーますわ」とバックやスカーフを自慢した山の手気取りのオバサン達も、今は思い出の中に留まる。ユニクロとダイソーではミエの張りがいもない。ファッションはディオールにサンローラン、スカーフはエルメス、映画はブリジット・バルドーに、アラン・ドロンとあの頃フランスは良かった・・・。そんな古ネタを笑点メンバーの三遊亭小遊三が笑いに変える「昭和は遠くなりにけり」。(昭和を引きずる番組・笑点。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・トレンドⅡ

私は若いころから流行には敏感で、常にトレンドを意識して生きてきたと思う。小学生の頃にローラースケートが流行ると、最初は姉と一緒に電車に乗って後楽園のスケート場に通い、五年生からは友達を誘った。中学ではアイススケートとスキーに興味を持ち、長野の菅平スキー場にも何度か出かけてスキー学校にも入った思いでもある。高校生になる興味は車とファッションに移る。自宅にスバルがあったので16歳の時には車を乗り、同時にアイビールックが流行ると真っ先に飛びついた。

それから大学生になると当時流行った学生運動でデモに参加し、飽きると船に乗りアメリカにも出かけた。勤め始めてからはパリで日本人デザイナー高田健三の活躍が伝わると、お堅い原油輸送会社を3ヶ月で退社し、全くの思いつきで婦人靴のデザイナーに転進した。このように常に流行には敏感であったが、ポリシーと一貫性などはまるでない。ようは魚も生き方も鮮度が重要と考えていたのである。

「これからは情報化社会になるのか?」たぶんそれは1980年だったと思う。当時仕事がらファッション情報の収集には本屋通いが欠かせない。そこで新刊本などは常にチェックするが、その時一冊の書籍が目に留まった。「第3の波」アルビン・トフラーである。この本は私にとって衝撃的内容だった。人類は農業革命、産業革命そして今後、第3の波である情報革命の時代が来ると明記されていた。

その頃はまだパソコンの普及もなくスマホなどは夢物語である。しかしそれから40年経過すると、ソーシャル・ネット・ワークで世の中は網羅され、まさに情報化革命の真っ只中で生活するようになった。でもさらに時代はドンドン変わっていき、次はバーチャル・リアリティーの世界が拡大する。あと数年もすると人々は現実世界の他に、新たに作られる仮想社会で時間を過ごすようになる。

「私も気がついてみると、世の中にずいぶん遅れてしまった」と先日尊敬する脳科学者の養老孟司さんがポツリと語った。「頭脳明晰な養老さんでも時代についていけないと感じるのか?」と正直驚きでもある。我々世代が生きてきた道は過去のどこかで枝分かれし、後ろを振り返っても既に若者達の姿は全く見えない。彼らは別ルートを選んで進んで行き、熟年層の我々は深い森の奥に取り残されたのだ。(このままここで野たれ死にたくないので、引き返して彼らの後を追ってみたい!勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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