ジェラート

アイスクリームはむかし日本橋三越の大食堂に入ると時々オーダーした。当時アイスクリームはまだ冷凍設備の普及してない時代であつかう店も少なく、今のように簡単に食べることができなかった。銀色に光る金属製の足のついた口広のゴブレットには丸く型でとったアイスクリームがのり、ウエハースが一本添えられていた。アイスクリームとウエハースの相性は、アイスクリームを食べると口が冷え徐々に味覚が鈍くなる。そこでウエハースをかじると、冷えがとまり味覚が戻るとのこと。そんなことを意識して食べたことはないが、アイスクリームのコーンカップにも同じ効果があるという。でも最近日本でもアイスクリームよりジェラートの方が人気がある。(ジェラートとはイタリア語でアイスクリームのこと)でも原料は同じなのにどこが違うのかは詳しくは知らない。

「ボンジョールノ、ドベ・バーイ」(こんにちは、どこに行くの)クラスメイトのナイジェリア人で、お盆のように丸顔の黒人オジェニに道で会ったので握手をし挨拶を交わした。彼はこれからジェラテリア(ジェラート屋)に行くと言う。ジェラートは好きなので私も一緒について行くことにした。道すがら彼と会話を交わすと「日本は石油が出るのかい」。「出ない」。「日本人はクリスチャンか?」。「そうじゃない」。「へー、クリスチャンじゃないのか?」びっくりした顔をしてこう続けた。「ナイジェリア人はクリスチャンでいつも神にお祈りしているから、石油がたくさん出てきて凄く豊かになった。日本人もクリスチャンになって神にお祈りしてみろ!石油がジャブジャブ出てくるから」

単純な会話を交わしてるうちにジェラート屋に着いた。「ええ、ここジェラート屋だったのか?」実はイタリアではジェラート屋は夏場だけの半年間の商売である。冬は閉めているので分からなかったのだ。店の前はすでに10人ほどの人の列が出来ている。初めて見るジェラート屋には、ガラスケースに20種類位のカラフルなジェラートが並んでいて、お洒落で可愛らしい。何を頼むか迷っていると、オジェニが「ミスタ(ミックッス)がいいぞ」というのでミスタを頼む。これと、これと、これ、指でさすと、一つのコーンに三種類のジェラートを乗せてくれた。「旨いねえー、こんなアイス食べたことない!」思わず顔がほころぶ、

日本で売れば流行るかも?40年前イタリアの都市ペルージャでの話である。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

回転蕎麦

[冨ちゃん、向島に面白い蕎麦屋があるから行って見ようよ」まだ私が二十歳代の中ごろ浅草の大手靴問屋の婦人靴デザイナーだった私に、出入り業者の営業の友人が昼食に誘ってくれたことがあった。さっそく彼の車に乗りこむと、渋滞を避けながら裏道をぬけ言問橋を渡り、その先の水戸街道を横切った。それから少し進むと左側の路地の入り口にその蕎麦屋があった。名前は忘れたがあまり明るくない店内に入ると、中央にコノ字型に大きなカウンターがあり、椅子が並べられている。まだ時間が早いのか空席が目立った。促されるままに着席すると、「あれー、何ですかこれは!」目の前には黒い僕石で装飾された、渓谷に似せた小川が流れている。

「面白いから見てなよ!」と彼が言う。暫く待つこと15分、目の前にある小さなランプが点灯した。すると右手から注文したザル蕎麦がイカダに乗って、ドンブラコ、ドンブリコとあちこちにブツカリながらも、優雅にプカプカゆっくりと流れてくる。「へー、誰が考えたのですかねえ!驚きのこのシステム」やっと目の前にイカダが流れてきたので、蕎麦をお盆ごと受けとった。蕎麦の味はまったく覚えてないが、この店の造作はとてもユニークで個性的であった。でもこのアイデアそのご小川が回転するベルトに代わると、寿司業界を根底から変える事になった回転寿司のシステムへと大きく変貌することになる。

そのころはまだ回転寿司屋は東京には一軒もなかった。でも最初に大阪で回転寿司を始めた元禄寿司の歴史は意外に古く、回転寿司屋を始めたのが昭和33年とある。創業者がビール工場を見学した時に回転寿司のアイデアを思いついたという。それから暫くすると回転寿司の元祖元禄寿司の店が東京の街のあちこちでも見られるようになる。コンベアに乗った目の前を通る寿司の目新しさと、子連れで入れる気安さや明朗会計でたちまち東京でも人気が出て、出店が全国に加速していった。その後、回転寿司のシステムの特許が切れたのか?多くの業者が参入し、巨大な市場となって現代に至っている。

日本の子供達の味覚や嗜好が洋食に傾斜していった時代、代表的な日本食である寿司の旨さを子供に伝えてきた、回転寿司の功績は非常に大きいと言えるのではないか。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

コッペパン

去年、市川市八幡の駅前中央通りにコッペパン専門店がオープンした。コッペパンとは日本で独自に進化した日本発祥のパンで、欧米にもコッペパンという名称のパンは存在しないという。今の時代コッペパンだけで商売になるのか?と思っていたら開店して暫くは列を作り混んでいたが、最近では閑散としている。コッペパンを焼き、それを縦に切ってジャムなどのいろいろなペーストを客の好みで塗るだけの、比較的安易な商売だ。パン屋にしては設備も簡単で場所も取らないし売れれば悪くない。コッペパンや食パンは子供の頃からよく食べた。とくにコッペパンは安くて大きいので腹のたしになり人気があった。しかしパンの種類が多くなるとコッペパンは時代と共に消えていく。

むかしはコッペパンにはなんと言ってもイチゴジャムである。でも当時のイチゴジャムは本物のイチゴは高くて使えず、寒天など何か他の材料で作られていたと思う。不自然なあの赤色は食紅で着色され、トロミのある柔らかな透明なペーストはただ甘いだけの元祖擬似食品で、実際にはイチゴなどほとんど入っていなかった気がする。イチゴ無しのイチゴジャムはイチゴの味など殆どしないので、私は余り好きではなかった。しかしそれから少したつとピーナッツバターが新たに登場する。イチゴジャムよりバターの様なコクがあり、私もこのピーナッツバターはコップパンに塗って良く食べた。一時は人気沸騰したが、これも最近ではあまり見かけない。

「へー、そんな食べ方あるのか?」当時、姉が通っていた市川第三中学校の公売のパン屋では、コッペパンにアンコを挟むのが人気だと言う。それを聞いて私が驚いていると、「アンパンの大きいのよ」そうかアンパンの大きいか?なんとなく想像がつたいた。「あんた男が、そんなことで驚いちゃだめだよ」先じつ隣の鈴木君のお弁当を見て、姉は本当に驚いたそうだ。彼がお弁当の蓋を開けたら真っ黒だった「なにー、それ!」見るとベッタリとご飯の上に全面アンコが塗ってあったという。「ひゃー、ご飯の上にアンコか!」これは本当にびっくりですね、お姉さま・・・。しかしこれもオハギの大きいのと思えば有りですか?

今と違って食材不足のむかし、いろいろとユニークな弁当を持ってくる子もいたようだ。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

ポルケッタ

ラーメンには焼き豚!それも煮豚でなくこんがり焼いた焼き豚が良い。以前は街の中華そば屋でも外側に赤い食紅と八角を塗って焼いた焼き豚が入っていた。しかし今では手間がかかるので殆んどが煮豚で、あの側の赤い焼き豚には横浜中華街以外では余りお目にかからない。ところでイタリアの肉屋では子豚の丸焼き、「ポルケッタ」を店頭で焼きながら販売していることがよくある。子豚を丸ごと一匹串に刺し回転させながらこんがりと焼く、ちょっと可哀そうな気もするがこれが実に旨い。店先を通るといつも匂いにつられて素通りできず、つい買ってしまう。それをファストフードのように袋から手づかみで、暖かいうちに食べ歩きをする・・・。ところで家主の家はどこだろうか?地図を片手に捜し歩いた。

日本に住んでいるだけでは分からないことは結構ある。日本人の海外での評判もその一つだった。私は29歳の時にイタリアに一年間住んでいたが、そのあいだに宿を三度変えた。そのたびに不動産に行き空き室を紹介してもらう。当地では家主の許可も必要なのでメモ書きされた家主の住所を尋ね、面談しパスポートを提示する。それを見た家主はニコニコして日本人は大歓迎よ、二つ返事で部屋を貸してくれた。当時イタリアでの日本人の評判はすこぶる良かった。家主が言うには日本人は約束を守るし、家賃の支払いもきちんとする。なおかつ部屋を汚さず入った時より出る時のほうが綺麗なくらいだ、ともまで言った。

だから日本のパスポートを見せれば部屋が空いているのに、家主が貸し渋ることなどまずない。日本のパスポートは水戸黄門様の印籠か?「このパスポートが目に入らぬか?ははー!」だそうで自国民より優先するという。しかし同じイタリア人でもナポリから南の人は殆ど断るのだとか。家賃は遅れるし、突然引っ越して家賃を取れないこともしばしばだという。日本人の次に優先するのは、アメリカ人(アメリカ人は支払いが良いが、部屋をそこそこ汚す)と北部イタリア人、その次にヨーロッパ諸国の人、それからアラブ人、最後に黒人と南部イタリア人だと話していた。ペルージアには語学学校あり世界からイタリア語を習う学生が集まっていたが、黒人などは部屋をなかなか借りれず何人もで雑居していた。

当時は韓国や中国人などの東洋人は殆んどヨーロッパに来ていなかったので、現在の状況は分からないが、日本人の評判が良くないとは聞いたことが無いので、パスポートを見せれば、状況は今もあまり変わらないと思う。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

居酒屋

ケーブルテレビの旅チャンネルで放映している、日本居酒屋紀行という番組はよく見ていた。全国の歴史ある居酒屋や個性的な居酒屋を太田和彦さんが訪ね歩く番組だが、酒好きにはたまらない。時間と金があったら自分も是非一度やってみたいと思う。その土地ならではの、地酒と肴を味わい軽くコメントをする。「なんと贅沢な道楽だ!」でもこの居酒屋という呼び名、私の若い頃はほとんど耳にしない言葉であった。当時は単に飲み屋、赤提灯、焼き鳥屋、ビヤホール、小料理屋などと呼び微妙な感覚で分けていた。しかし1980年代に飲み屋の大手チェーン店が居酒屋と称されると、語呂がよいのか?いつのまにかみんな居酒屋と呼ぶようになった。

でも最近、個人経営の居酒屋が減ってきた。バブル崩壊以降に進出し始めた一部の安価な居酒屋チェーンが急速に出店を拡大し、地元の個人経営の居酒屋を駆逐していった。大手のチェーン店の居酒屋は明朗会計で、広い店舗で個室のように隣との仕切りもあり使い勝手は非常によい。昔は鮨屋でも飲み屋でも明細のレシートがないのでお会計はいい加減で「なんでこんな値段なの!」と思うことが度々であるが顔なじみになると、ツケもきいて金がなくても酒が飲める便利さもあった。(今の若い人はツケのきいた時代などは全く知らないであろう?)店側もたまには貸し倒れもあるので、その分上乗せすることもあったようだった。

「釣はいらないよ、家でも買っておくれ!」これは昔、飲み友達であった先輩山ちゃんの口癖である。彼とはお会計は基本割り勘にはしない、必ずはしごするので交互に払う。値段の高低は微妙に調整していき、千円二千円のつり銭はチップで渡す。(とり合えずかっこつけて帰る)一昔前の飲み屋での金銭感覚は通常こんなもんだが、今はではすっかり変わった。去年その山ちゃんと久しぶりに飲んだが、よく行った居酒屋に入り昔話に花が咲き旧交を温めた。しかし会計は割り勘で、お釣りは十円までしっかり受け取って帰った。当然今では店主の世代も変わり、ツケなどきくわけない。

むかし飲み屋にはいると「いつもニコニコ現金払い」という張り紙が良く見える所に張ってあったが最近はこの張り紙、見かけることはない。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)