秋晴れの9月下旬、小学3年生の遠足では京成電車に乗り佐倉市の臼井まで、栗拾いに出かけたことがある。当時の成田線は津田沼を過ぎると人家もまばらで、林や畑の田園風景がダラダラと広がっていた。その頃の臼井駅は今より佐倉側に500メートル程先にあり、印旛沼も干拓する前で直ぐ側に眺めることができた。駅を降り向かいの木々に覆われた丘に登っていくと、上には落ち葉の引きつめられた少し開けた場所がある。まさかこんな所で栗を拾うのか?疑問に思い頭上を見上げても、そこには苗木の細い栗の木があるだけである。そして先生の合図で子供たちが一斉に、落ち葉の上に落ちている栗を拾い集めた。

「なんだよ、こんなの有りかよ」誰かが撒いたイガの無いバラ栗を、ただ集めるだけで子供騙しもいいとこだ。せっかくイガから栗をはずす道具まで持参してきたのに!と呟くも周りの友だちは別に気にしている様子も無く、喜んで落ちている栗を集める。栗拾いはあの棘のあるイガから栗を外すのが面白い、ただ落ちてる栗を拾い集めるだけなら幼児でもできる。ばかばかしいと思いながらも持ってきた小さな袋に詰め込んだ。私は栗が好きで秋になると自宅から少し遠出し、宮久保の丘にある私有地の森にも勝手に入り込み、ヤマ栗を採取したので栗の事なら詳しい。どうみてもその撒かれた栗は小粒で、売り物になるような大きさではないようだった。

「この野郎・・・!」突然遠くからの声にビックリして木から飛び降り、友だち数人と一目散に逃げる。でもおじさんも必死で追いかけてくるが、道は直ぐに切り立った崖につきあったった。まずい後ろからは叔父さん、前はガケ絶体絶命だ!捕まったらヤバイ20メートルの崖を降りるしかない。掴む物もほとんど無い崖を後ろ向きに下り、後はなんとか滑り降りた。見上げると叔父さんはあきらめて立ち去っていった。胸をなでおろすも、皆な擦り傷だらけだった。戦後暫くすると市川の田畑は宅地開発が始まり、あちこちの丘が切り崩されて土が埋め立てに使われる。そのためこの様な危険な崖も多く存在した。直ぐ後にこの近くの崖で同級生が3人生き埋めになって亡くなると、学校から崖には絶対に近づくなという通達がでた。

塀のない私有地の森に入り込み9歳の子供がヤマ栗を採取し、おじさんに追いかけられて崖から飛び降り死んだとする。でも当時の感覚では子供が悪く、裁判にもならなかっただろう。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

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