板チョコ

「油断大敵、火がボウボウ。」火の燃える様を表す言葉がある。私の子供の頃、この言葉は皆さんよく使っていた。たぶんむかし江戸の町は火災が多かったので、子供にも火の扱いに気をつけるよう、いましめとして伝承された言葉だと思う。焚き火や花火など子供たちが火遊びをし、火災になる頻度も高かったのでは?と勝手に推測していた。しかし実際にはこの言葉の持つ意味は全く逆である。油断とは神社などで夜間よく見てないと灯明の油が断たれることで、ボウボウとは亡亡で火が消える様子をさすという。注意を怠ると油が無くなり火が消えるよ!という教訓だそうだ。近代になり自動車のエンジンにエネルギーとして原油が使われると、油の重要度は日増しに高まった。

現代の油断とは原油が断たれるという意味にか変わった。日本では残念なことに原油を殆んど産出しない。そのため中東の国々から遠路タンカーで石油を運んでくるが、途中にはホルムズ、マラッカ海峡や中国がサンゴ礁を埋め立て領有権を主張する南シナ海など、幾つかの難所を通る。先日そのペルシャ湾マラッカ海峡で日本のタンカーが何者かに攻撃され被弾した。「さあ、大変だ。またかつてのように石油の供給が止まりオイルショックがくるかも?トイレットペーパーが無くなるぞ!」直ぐにスーパーに出かけようという考えが頭をよぎる。でも冷静になるとなぜ石油の輸入が滞ると、トイレットペーパーをなぜ買いだめするのか?その因果関係もよくわからない。日本では過去に中東で戦争が起きるたびに、石油の供給が滞る石油危機を何度も経験している。

最近世界中がトランプさんのツイッターに翻弄されている。先日も「ホルムズ海峡などタンカーの安全航行は受益国で行なうべきだ。もうアメリカは感知しないので後は皆さんで!」と遠まわしに発言した。自国でシェールオイルの開発が進むアメリカは、中東の石油依存もなくなる。「日本は中国、インドなど他の受益国と有志連合を組みシーレーンを確保せよ」でもこの話、日本にとっては問題がある。有事のさい敵を攻撃すると憲法9条に底触する可能性が高く、簡単に自衛艦を派遣できない。「じゃ、どうすんのよ!」政府は早く憲法9条を改正する必要がある。戦後70年以上アメリカの進駐軍に国防を委ねるという甘えも、そろそろ終焉に近い。「ギブミー、チョコレート!」もうこれ以上アメリカにはチョコレートのおねだりにはできない。

先の参院選では改憲論争が余り盛り上がらなかった。でも有事は刻々とせまる・・。子供の頃好きだった明治の板チョコしばらくご無沙汰だ。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

“板チョコ” への2件の返信

  1. 「油断」といえば、いろんな説があるようですが、私は、仏教に興味があるので天台宗の「不滅の法灯」という法話を呼び起こします。比叡山延暦寺の根本中堂の1200年以上灯し続けられているその「灯り」。原始的な単純な構造です。毎日毎日世話をし、消えないよう、消さぬように油断無く守られています。そういえば、今、日本語で「諦める」といえば、自分の願いごとが叶わずそれへの思いを断ちきる、という意味で使われるのが一般でしょう。しかし、仏教用語で「諦める」は「諦観(たい(てい)かん)」といった熟語の「つまびらかにみる」にみられるように、「明らかにする」が本来の意味だそうです。単に「あきらめる」だけであれば、悔い、怨み、愚痴が残りますが、ものごとの道理をわきまえることによって自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念するという思考のプロセスをそこに見出せるからです。日本政府には、内外情勢を「諦観」しつつ「油断」無くエネルギー政策を実施して欲しいものです。

    1. 八木さんならではの深い見識コメントありがとうございます。参考にさせていただきました。現在日常使われている言葉でも、本来の意味とは間違って解釈されている用語など多々あるとおもいます。以前若いときに母親に注意された言葉がありました。それは「孫にも衣装」です。「あんたバカだね!孫ではなくそれは馬子のことで、粗末な身なりの馬子(馬喰、バクロ)でも綺麗な衣を身にまとえば、それなりに見えるということだ!との指摘。「なるほどそうなのか!」とそれ以来記憶に残った。そういえばその頃家業の手伝いで市川の自宅から、日本橋三越までの母親との車での道中。馬喰町にさしかかると昔この辺は江戸の外れ、バクロが住んでいた田舎だった。それにこの先の御徒町はオカチの住んでいたところ。「オカチって何だ?」という私の問いに下級武士で大名行列の前で徒歩で歩く奴さんのことさ。江戸っ子で竹を割ったよな性格の、京橋、木挽町生まれの母親は何かにつけてその出身地を自慢した。でも木挽町とてキコリの町だったと苦笑い・・・。

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