トンノ

「ここでは絶対に手荷物から目を放すな」かって列車に乗り、イタリア半島からメッシ―ナ海峡を渡りシチリア島に一人旅すると、車内で同席したシチリア人にきつく注意されたことがある。そしてそのあと覚えたてのイタリヤ語で話しを続けると彼から「日本人はトンノ・クルード(マグロの生)を食べると聞いたが本当なのか?」と真顔で言われたことがある。「そうだ」と答えたら信じられないという顔をして何度か首を横に振った。地中海でもマグロはたくさん捕れるが、当時からその水揚げの多くは高値でマグロを買い取る、日本に輸出されていた。シチリア島の海岸沿いにある古都パレルモでも、マグロがたくさん水揚げされる。漁港では漁船が漁から帰り桟橋に接岸すると、捕獲したマグロを岸壁に並べておくという。

これは現地の商社マンから聞いた話だが、あるとき彼が遠くからそれらのマグロを見張っていると、一台のパトカーがやってきて彼の前を通過し、マグロの置かれた先で停まったという。すると車の中から二人の警官が現れて、並べられているマグロの一匹を何を思ったのか?突然二人で持ち上げ狭いトランクの中に運び入れようとしている。あわてて飛んで行き注意すると「あれ、捨ててあるんじゃないの」と悪びれもせずに言い放ち、肩をすくめ立ち去ったと言う。「まったく警官でさえこれだから全くシチリア人は信用できない、油断もすきも無い」と苦笑しながら話していた。

確かにイタリヤの警官は日本と違いかなりいいかげん。私もイタリアに留学する時に、車を運転する機会もあるかと、日本でわざわざ高い手数料を払い国際免許を申請し携帯していった。それなのに現地で知り合った長く住む日本人に聞くと「国際免許など全く必要ないよ。日本の免許証でも良いし顔写真の張ってある漢字の身分証明書を見せて、これが日本の免許証だと示せば簡単に納得する」のだという。大きな事故でも起こさない限り、めんどくさいので日本の警察のようにいちいち調べないらしい。私の若い頃は日本の警察もかなり適当で、かっては交通違反などしても、気分次第で許してくれることもあった。でも今はそんなことは全く無い。なにを言っても聞いてくれないので時間の無駄である。

トンノとはイタリア語でマグロのこと。マグロの獲りすぎで、世界中でまぐろの数が激減しているというが、マグロがいなくなる日が来ないことをねがう。写真の絵は父のデッサン。刺繍をするための下書きです。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

花瓶

床の間に花を生けるのも我が家では私の役目だ。お花を頂いたりすると、適当な花瓶を納戸から探し花を生けるのだが、先日「庭の植木」だけで生けてみた。家の庭は数年前に手入れが大変と、殆どの木を抜いてしまった。今は樹齢80年位の細い葉の紅葉だけしかない。それで塀越しに伸びたお隣さんの椿と南天の枝を拝借して、どうにか格好を付けてみた。

この花瓶は20年前に笠間の陶芸市で買いもとめたもので、高橋春夫さんの作品。高橋さんは当時は年も若くまだ無名であったが、現在はご活躍のようだ。鉄分の多い粘土を使用して、上部は轆轤成形の状態を残し、下に行くほど徐々に削りを深くし糸尻の部分は、8角にカットしている。濃い目の白化粧のかかりもよく、私の好きな花瓶の一つである。

最近は日本でも欧米のように花を飾るというと、綺麗な花の咲いた草花が多くなった。華道のように花木を生けて、全体のバランスをとるために花のない枯れ枝までアクセントに使うなどいう手法は欧米にはない。

やはりこれも自然観の違いか、日本人は昔から綺麗な花を見るのではなく、花瓶に生けてある木や花で表現された自然の投影を眺めていて、その状態が美しいかどうかを判断していた。

これはフラワーアレンジと華道との違い。フラワーアレンジはテーブルに置いて四方から見る。華道は三方仕切られた床の間の正面から眺める。見ると眺める日本語は難しい。

ところで最近の新築住宅は床の間を作らないという。だから掛け軸が売れない。華道も習う人が減っている。池坊保子さん相撲界の事などに口出しせず、旦那と共に華道の普及にもっと尽力してほしい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

 

 

ドブロク

「ここはいったい何処なんだ・・・?」人の良さそうな数人の村人に取り囲まれてしまった。そして戸惑う私に口々にしゃべりかけてくる。「へえ、日本人なの、どこから来たの、東京?」。「ここは長野の山奥なのか」でも家並みは日本的だが、なんとなく風景が違う。立ち止まり躊躇していると、「冨岡さん、こっち、こっち!」という古(コー)さんの手招き。振り返り向かいの家へゆっくり歩くと、村人もゾロゾロと「そんなに日本人が珍しいのか」それにしても皆が流暢に日本語で答えて、日本人と大差ない。聞けばこの部落、日常会話は日本語だという。特に年配者はその傾向が強いらしい。終戦後日本人がこの部落を訪れたのは初めてで、日本人と話すのは久しぶりだという。

もう38年ほど前になるが、当時私は靴生産の依頼で台湾の台中によく通っていた。言葉が分からないので、いつも高砂族出身の古さんという人に通訳を頼んでいた。そんなあるとき彼から明日、実家に帰るので一緒に来ないかという誘いをうける。翌日は祝日なので快諾し、その朝タクシーで彼の故郷へむかった。台中から山間部の東の方角に登って行くと、景勝地として有名な日月潭という美しい湖に突き当たる。この湖畔を右手に見ながら通り過ぎ、曲がりくねった狭い山道をなおも進むと、突然視界が開け小さな部落が現れた。「へー、こんなとこ台湾にもあるのか、まるで日本の山奥の部落だ」民家の連なる広場で止まると、古さんに続きタクシーを降りる。

日本家屋のような古さんの自宅に入ると家族が歓待してくれた。特に彼の父親は日本人として従軍経験があり「俺は南方で米軍と戦った、日本には今だに戦友も沢山いるぞ」と笑顔で話す。そして奥の部屋に通されて驚いた、なんと床は畳で座卓が置かれている。嬉しくなり座卓の前にすわり窓越しに庭など眺めて待っていると、「こんな所までよく来たなあ、さあこれでも飲むか」彼の父親が大事そうに抱えてきたのが、甕に入ったドブロクである。それをドンブリに大胆に注いでくれたので、恐る恐るひとくち飲んでみた。お米の粒がまだそのまま残っているので薄い粥をすすっているようだが、甘酸っぱくて旨い。これが昔、日本の農家でも作っていた本物のどぶろくか?日本では酒税法で禁止されているが、台湾では山中の高砂族だけに許されている特権だと語っていた。

そして杯を重ねその後どうなったかは、ご想像におまかせする。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

春の七草

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、これを春の七草というのはご存知のとおりだが、でも通常野菜として食べるのは、セリ、かぶ(すずな)、大根(すずしろ)くらいだと思う。私はこの中ではせりが好きである。かつて宅地開発が始まる前まで、セリは自宅近くの田んぼのあぜ道にいくらでも自生していた。春先になり田の氷も解けるとセリが芽吹いてくる。それを摘んできて熱湯にくぐらせ、お浸しにして食べた記憶があるが少し苦いので、子供の私の味覚には合わなかった。最近ではセリの一種クレソンが野菜売り場の店頭に多く並ぶが、これは明治時代にヨーロッパから移入された品種が、繁殖力が強く全国に拡散していったという。

私は日本原産のセリはクレソンに比べてたけが低く、色が濃い気もするがせりはこの時期、スーパーに行けば簡単に手に入る。雑草のような野性種と違って丈も長く色もきれいで全く別物。(でもこれはセリと書いてあるけれど本当はクレソンかもしれない)半分に切って鳥鍋などの脂っこい鍋に入れれば、そのシャキシャキした食感と苦味が良い。先日あるテレビ番組で根も食べられると紹介しているのを見た。そこで私も根をきれいに洗い入れてみたが、確かに食べられる。ただスープが少し黒く濁るのが気になる。ごぼうと同じで根からあくが出るのではと思う。

新年も7日になると、この七草を入れた粥を食べる習慣がある。正月の飲食で疲れた胃を休める意味と、昔この時期は野菜不足になるので、それを補うための習慣として続いてきのである。今は真冬も野菜は豊富にあるし、サプリも飲んでる。別に七草粥など食べなくてもよいのではないかと思っている人も多い。でもそうと言わずに、今宵は慣例に従い無病息災、長寿健康を願い、お餅も入れて晩酌の後にさらっと七草ガユを頂くことにする。粥はシンプルなので茶碗にこだわってみる・・・。写真のお茶碗は私の陶芸の先生の奥様、延原恵子さんの作です。三島という手法でロクロ成形の後、粘土が乾燥しない柔らかいうちに花柄の版を押し、線を描き素焼きの後に白化粧をかけ透明釉で焼成したものです。

展示会の時に譲りうけたこの茶碗は、還元焼成のかかりが弱く、地の色が茶色に残っていて、浮き出た白化粧の繊細な線との色のバランスもよい。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

年頭のご挨拶

新年に当たり今年の抱負などを少し述べたいと思います。冨岡のブログは微力ながら陶芸を中心にしてもう一度日本の伝統文化や慣習、精神などを庶民感覚で皆さんと共に検証し、これからの時代を日本人としてどう生きるか?考えて見る機会を作ることを目的としています。

第五次産業革命などといわれる技術革新の時代はすぐそこまできています。通信技術や移動手段、英語教育など急速な進展や普及で、グローバルスタンダードといわれる世界基準の浸透は加速しています。この動きは今までの独自な地域社会や文化を飲み込み、その結果人々のライフスタイルと思考を世界規模でに平準化・同質化していきます。沈黙していると日本人としての基盤がこの大波に全て飲み込まれ、消えてしまうのではないか気がかりです。

このような時代を私は否定するつもりはありません。むしろ積極的に受け入れて行きたいと思いますが、日本人としての立ち位置まで失ってしまったら問題です。

国際人になるということは自国の言葉や文化から離れて、無国籍化することではないです。最近日本でも幼児からの英語教育なども盛んですが、まずはきちんとした日本語の学習から始めるべきです。いきなり英語を教え、まともな日本語も話せない中途半端なバイリンガルの日本人になっても困ります。文化や精神は言葉の中にある。言葉を知らずしてその国の文化など、真に理解できないと思います。

今こそ歴史ある日本文化を維持継承し、次世代へつなげることを個々人が考えてみる姿勢こそ重要ではないでしょうか。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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