コーヒー牛乳

「そういえば、自分が始めてコーヒーを飲んだのはいくつの時だったけ!」と急に思い立ち記憶をたどることにしてみた。歳を重ねてくるとだんだん朝起きるのがはやくなる。早朝2時半にもなると自然と目覚める。布団の中でグズグズしていても時間が貴重なので着替えをし、階下の居間に降りていく。そしてテーブルの前に置かれた椅子に腰かけとりあえずテレビスイッチをつける。そしてここでお湯を沸かしまずはブレークタイム、必ず熱いコーヒーをコップに注ぐ。さてと当然戦後暫くはコーヒーなどの嗜好品は、外貨の無い日本では通常輸入されるはずも無く、戦前を知らない我々子供達はその存在すら知らなかったはずだ。

昭和30年前半まではどこの家庭でも内風呂などはほとんど無く、多くの人が銭湯に通っていた。そして小学生の3,4年生にもなると銭湯へは親とは別に行く事が多くなる。夕方遊び疲れて帰宅すると「体が汚れているから先に風呂に行って来い!」との指示がでる。そこで親から貰った小銭を握り締め、手ぬぐいを肩にかけ近所の友達を誘い銭湯に繰り出す。ところが当時の銭湯は湯船のお湯の温度が非常に熱い、たぶん45度位あったと思う。でも年寄りは皆熱い風呂が好きで、子供が水を出し温度を下げると必ず怒られる。仕方が無いので我慢をして入るのだが、お尻がビリビリして直ぐに飛び出す。何回か繰り返すと慣れてきてどうにか湯船に浸かることができた。

でも時には年寄りが風呂場から上がり消えることがある。するとそこからが我々の出番だ。水をどんどん出し温度を下げて泳ぎ回る。当時の銭湯の浴槽は熱く湯船が深い大人専用と、浅い一般用の二つあり、その仕切りの部分には下に穴が開いていた。そこでこの穴を潜って通過するのを競い合う!または木の桶を逆さにして湯船に浮かべ浮き輪代わりにする・・・。盛り上がってきた頃にガラス戸を開ける音、大人が入ってきて怒られて終了した。体を洗い脱衣場に上がると、いつも飲み物を売っているガラスケースに目を移す。すると今日は見慣れない茶色の牛乳が棚に置かれている。「何だこれ!」番台のおばさんに聞くと新発売のコーヒー牛乳だという。そこで興味津々一本15円のコーヒー牛乳を買ってみた。紙のふたをキリで開け、ゴックンと一口飲んだ瞬間ほろ苦く甘い味が口の中に広がった!

これが私とコーヒーとの最初の出会いだと記憶する。しかしインスタントコーヒーのない時代本格的にコーヒーを飲むようになったのは、忍んで喫茶店に出入りするようになった高校時代からである。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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