チェリー

いよいよ今年も桜の開花シーズンがやってきた。日々寒さも徐々に和らぎ心も和む。浮かれて桜の名所などにも繰り出したいところだが、今年はまだ旅に行く予定なども無い。とりあえず工房の屋根を覆う桜でも眺めながら、缶ビールでも開けて一人花見でもするか・・・?ところで古来より桜を詠んだ詩は数あれど、「明日ありと思う心のあだ桜、今宵は嵐の吹かぬものかは」浄土真宗の開祖親鸞のこの詩が私は特に好きである。青春時代に自我目覚めると、将来の漠然とした不安などに杞憂して生きるようになった。すでに70年ほど娑婆にいるが、本当に明日の事など分からない。突然雲行きが怪しくなり空から雷鳴が轟くようなことは数度あったが、ただ直撃は免れたので今日こうして能書きをたれている。

ところで桜といえばとりあえずはサクランボでもある。子供の頃はサクランボなどこんな可愛く気のきいた果物なんて、食べたこともなかった。中学時代だったか?二十歳を過ぎたばかりの長女が何を思ったのか、突然そのころ登場したサントリーのカクテル教室に通い始めたのだ。そして家に帰るとイッチョマエにカッコつけてシェーカーを振る。「姉ちゃん俺にも飲ませろよ!」と買い揃えたカクテルグラスに注がれた、得体の知らない飲み物を口にすると、中にラム酒に漬けた真っ赤なチェリーが一個入っていた。ところがそのチェリーの旨かったこと。「もう一個くれ!」せがんでみたが「これ高いんだよ!」と一蹴された。当時チェリーといえば殆どビン詰めで、生のチェリーなどあまり無かったのではないか?

「今年もまた美しく咲く桜を見て私はとても・・・。」さて!皆さんは続きの文をどう書きますか?たいがいは「感動した。」とか「嬉しかった。」とかの順文ですよね。ところが稀に「悲しかった!」と逆文をもってくることもあるわけです。十数年後には人々の仕事のかなりの部分がAIやロボットに奪われてしまう。すると「多くの人が仕事を失い、無用者階級になり下がって国から支給されるベーシック・インカム(最低生活保障)を受けての生活となる」などの恐ろしい未来予測の本なども多く出回っている。でもAIにはとりあえずまだ、この逆文は当分理解できないらしい。人間の感情はとても繊細で複雑、ロボットなどに簡単に負けるはずがない。すると感性などを研ぎ澄ましていていれば、平凡な頭脳でも何かの仕事にありつけるかも。

今日は工房を開設し始めたころ20年前に製作した桜のプレートを掲載。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

© 2024 冨岡陶芸工房 勝田陶人舎