野焼き
毎年一月のこの時期になると、奈良の若草山では野焼きが行なわれるのが恒例になっている。冬の夜空を焦がす火の手を眺めるのは壮観だが、CO2排出にうるさい近年では古来から続くこの山焼きも、地球環境保護の立場から反対の声が上がる可能性もある。また日本各地の田んぼでは刈り取った後の稲ワラを燃やすことが規制され、煙の立ち上がる里山風景を目にする機会があまりない。たまには秋の夕暮れ時など、無風の空にまっすぐに上る一筋の煙をぼんやり眺めて、郷愁にしたるのもわるくないのだが・・・。しかしこのようなわが国の二酸化酸素削減の些細な努力も、アマゾンやオーストラリアの森林火災など世界各地で続く大規模な山火事の前では、焼け石に水どころか何の効果もない。
最近テレビのニュース番組では連日オーストラリアの森林火災の様子が放映されている。消防士の寝ずの消火活動むなしく、もうすでに日本の半分の面積が消失したという。でもオーストラリアの森林火災は最近始まったことではない。乾燥した砂漠気候に近いオーストラリアの植物は常に火災と共に生きてきた。脂分を多く含んだユーカリに代表される植物も燃焼には強く、丸焦げになっても翌年には直ぐに新芽を出し数年で再生されるという。適度な火災はむしろ植物の生育には良い循環をもたらすそうである。しかし森林火災が余り大規模だと、カンガルーやコアラといった動物は逃げ場を失い死ぬ確立が高くなる。特にコアラは動きが遅いので火災から逃げるすべが無く、火傷をおって死ぬケースも多いようだ。
産業革命から300年余り、二酸化炭素の排出により地球の平均気温は一度上昇したが、この原因が二酸化炭素の排出量と関係があるという科学的根拠はないという。地球の平均気温は単に千年で見ても常に一定ではない。1,2度の変動は常にある。この要因はむしろ太陽活動の強弱にあり、黒点観測によると近未来ではむしろ寒冷化を心配する科学者さえもいる。太陽光、風力発電、電気自動車、原子力など温暖化防止ビジネスは毎年売り上げが増加している。温暖化防止を叫ぶと儲かる企業が沢山あるのも事実だ。企業経営者とマスメディアが結託し、金で動くエセ科学者をまきこんで、温室効果ガスとしての二酸化酸素低減を声高に叫ぶと、つい何かの企みを感じてしまう。
恐竜が闊歩して栄えたジュラ紀には地球上に氷は存在しなかった。本当に怖いのは温暖化でなく植物の育たない寒冷化だと思う。(勝田陶人舎・冨岡伸一)