ポッキー

最近朝起きてテレビをつけるのが気が重い、コロナや株価暴落など明るい話題が全くないのだ。そこでなんとなく30年以上も前、日本がまだバブル景気で沸いていた頃のことを思い出してみた・・・。「こんな駄菓子で、金取るのかよ!」と目の前のテーブルに置かれたチョコポッキーを眺めて苦笑い。チョコポッキーが出始めて暫くすると、スナックバーや安めのクラブのお通しには、このポッキーがよく使われた。店に入りテーブルにつくとキープボトルのウイスキーと共に、まず登場するのがタンブラーのブッカキ氷に刺された、2,30本のチョコポッキーであった。見た目にはなんとなくお洒落で感じも悪くない。でも100円のポッキーをタンブラーに刺すと何十倍にも跳ね上がるのには閉口だった。

確かにウイスキーにはチョコレートがあう、だが余りにも簡単なツマミで馬鹿にされた気にもなる。氷に刺した冷たいポッキーはチョコレートが硬くなって常温よりも旨い。でもカラオケなどに夢中になると食べる頃には氷が解けてくる。水に浸かったポッキーはべチャべチャで大半は廃棄される。どうせこの手のクラブには最初からツマミなど期待してないのだが、このポッキーと籠に入ったポテトチップでは、いくらこの商売でも安易すぎる。しかしケチをつけると「それではフルーツでも切りましょうか?」と言われたらヤバイ!それこそフルーツの値段はママの気分次第で全くの時価、いくら請求されるか分からなかった。

「おはようございます!」仕事帰りのОLホステスバイトの文ちゃんが午後7時頃にご出勤。バブル当時どのクラブにもアルバイト女性が多くいた。隣に座った文ちゃんに小声で「時給いくら貰っているの?」と聞いてみた。「ううん、と間をおいて3700円かな」とのこと。三時間席に着き軽く酒飲んでオジサン達の話相手をすれば1万円か!これでは確かに飲み屋の料金は高いわけだ・・・。(その後じきに浮かれて札束が飛び交っていたバブルは突然崩壊する)そして倒産の嵐がやってきて、就職氷河期へと時代は進んでいく。今の働き盛りのおじさん達は気の毒だ。接待交際費なども余りなく会社の金で飲み歩くこともない。

インバウンド、人手不足と多少盛り上がった景気も、今年に入るとまたしてもコロナウイルスに端を発した株価など、資産バブルの崩壊が始まった。チョコポッキーが数千円に化けた時代など、遠ざかるばかりである。

(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

花屋

駅まで通う道に面した「花のワルツ」という名の花屋が近年店を閉めた。原因は分からないが、たぶん経営不振によるものであろうか?毎日店の前を通るが別に客足が減った感じもなかった。でも周りの人に聞くと何処の街でも花屋の閉店が多いらしい。花は生き物なので切花にすればじきに枯れる。コンスタントに売れなければ当然廃棄する量も多くなり採算が取れない。そこで通常花屋は仕入れ値よりもかなり高値で花を売るので、完売できれば花屋は儲かる商売だ。しかし暮らしに余裕がなくなってきた昨今、生花を飾る風習も希薄になってきた。我が家の仏壇も以前は生花を切らさなかったが、知らぬ間に造花になっている。私も還暦の頃までは趣味のダンスなど祝いの席に花束を抱えて出席したが、ジジイが花屋で花束の見立てなど洒落にもならないと思っていた。

「冨岡さん、明日お願いね!」大学生の頃、姉が習ってた池の坊華道の先生と知り合った縁で、私も華道を習い始めことがある。たがこの世界は男性が非常に少ない。まして車を運転していたので荷物運びには最適だった。そこで先生の華展にたびたび駆り出された。当時華道教師の免状は女子の嫁入り支度の一つで習う女性が大勢いた。ところがそのご伝統的な日本家屋の新築減少で、床の間などを作らない洋式の住宅が増える。すると次に華道に代わってフラワーアレンジメントの一大ブームがやってきた。生花は狭い床の間から皆の視線をあびるテーブルの中央へとその活躍の舞台を移した。「でも花の命は短い!」気がつくとそのフラワーアレンジも今では殆んど話題にも上らない。

最近彼岸の時期にはコンビ二でも生花を見かける!昨日霊園の近くのコンビニに立ち寄ったら、お墓に供える花が一対で販売していた。「あなたもこんな所まで下りてきたのか」花好きの私は心の中で花に問いかけた。いよいよ生花の需要も盆、正月と彼岸の時期物となってしまうのか?これでは確かに花屋の店舗は必要ない。ところが最近葬儀に出席すると、以前には余り見られなかった、全面生花で飾られた祭壇がやたらと多い。これってひょっとすると、花業界の生き残り策かもしれないと思う。また近年花の栽培農家では食用の花の開発も盛んらしい。花のサラダなど需要が少しづつ増えてきているという。花を散らしたサラダは確かに綺麗であるが、愛でる花から食べるへと時代は進んでいくとも思えない?

今コロナの影響で歓送迎会、卒入学式の自粛で花の需要が全く途絶えたという。そのため大量の花が廃棄されている。これでは花業界も死活問題で廃業倒産も多そうだ。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

缶詰

缶詰といえば現在は全てがアルミ製なので、上部のプルトップを指で引けば誰でも簡単に開けることができる。しかし半世紀程まえまで缶詰は全てが鉄製であった。そのために缶を開けるにはいつも苦労をともない、缶切りという専用の道具が必要であったのだ。この缶切りにはいろいろユニークなものが存在していた。蓋の中央に穴を開け缶の淵に沿って切り進むもの、缶の蓋のサイドガードをテコに切り込んでいくタイプと数種類の缶切りが自宅の食器棚にも入っていた。しかしいずれの缶切りも子供や女性には扱いが難しく、私が中学生にもなると母から頼まれ、缶切りはいつしか私の仕事になっていった。当時明治屋などの果物の缶詰はとても人気があり、特に白桃の缶詰は私の大好物であった。

そして同様に当時は缶ビールも鉄製で、持ち運びには便利だが缶の匂いがするので敬遠されていた。しかしそのご軽いアルミ缶ビールが登場すると、ビンビールの需要は徐々に減っていく・・・。「こんちは米屋です。お餅もってきました!」ピンポンと呼び鈴を押し、返答があったので玄関を開け、ビニールに入ったつきたての伸し餅二枚を上がり口に置いた。金を受け取り勇んで外に出ると、一緒に餅配達をしていた店主に「伸ちゃん、商人の入り口は勝手口でしょうが!」と注意を受けた。そういえば我が家に出入る酒屋、米屋、農家直配の八百屋もみな勝手口から来ると納得する。高校時代の数年間、暮れになると先輩の米屋の餅つきバイトに駆り出され、その日はディレバリー担当になっていたのだった。

かつて我が家の勝手口を頻繁に利用していたのが、サザエさんの三河屋さんほど若くない、御用聞き斉藤酒屋の店主である。当時ビンビールは重いので通常は酒屋に配達を頼む。そのため我が家の勝手口の横にはビンビールケースがいつも置かれていた。空き瓶が溜まると不在の時でも、酒屋は勝手に中身の入ったビールケースと交換していく。ところが缶ビールの普及により、コンビニでも簡単にビールが買えるようになると、徐々に御用聞きの需要も減る。そしてある日この酒屋、突然断りもなく夜逃げ同然で店ごと消えた。「最後まで付きあってあげたのに」と年老いた母は呟いた・・・。地球の気候変動がおかしい昨今「缶詰」の存在がいやに気になるこの頃である。

子供のころ鉄の空き缶二つの中央に穴を開け、ヒモを通してポックリを作りよく遊んだ。ポコポコ音を立て歩くと缶のなかに土がつまり立ち往生、こんな遊び知る人も少なくなってきた。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

フキノトウ

「明日喰う飯に困る!」バブル崩壊以降経済の長期停滞で賃金は上がらず、金に悩む人は多いと思うが、喰う飯に困るという人はまだ少数ではないだろうか?現代人は食料危機などほとんど経験が無く、食い物は冷蔵庫を開ければ何かある。無ければコンビニに出かければよいと日常食料の心配をすることはなくなった。しかしこんなこと人類の歴史をたどれば稀なことで、人は常に食べ物を確保することに終始していたのだ。江戸時代まではたびたび飢饉があり、特に1782年の浅間山大噴火の降灰では太陽光が遮断され、気温低下で天明大飢饉が起こる。そのとき全国では数万人が餓死したという。そしてまた1815年インドネシアに位置するスワンボ島のタンボア山大規模噴火は「夏のない年」といわれ世界的に大凶作をもたらした。突然の火山噴火は怖い!いきなり飢えと隣り合わせになる。

9年前の東日本大震災では米が無くなるという噂で店頭から米が消えた。あの時は私も車で米を求め何件かのスーパーを巡ったが、買えずに手ぶらで帰宅した。いま起きれいるマスク、トイレットペーパー不足は食糧へと連想が進む。皆さんがなんとなく買占めに動けば食料パニックも誘発する。今回のトイレットペイパー騒動も、ある市の職員がネットに偽情報を流したことによるようだが、皆がナーバスになっている時にはルーマーも真実として伝わる。でも本当に怖いのは気温低下による凶作で、もし過剰人口の世界が凶作になれば食料を巡って動乱や紛争が起こり、たくさんの人が死ぬことになるだろう。その原因は二酸化炭素排出による温暖化でなく、大規模火山噴火やコロナ(黒点)減少による太陽活動の低下による寒冷化が考えられる。

話が飛ぶがもう何億年も前、かつて地球は全球凍結(地球の全てが氷で覆われる)していたこたがあるらしい。氷河期到来などで一部が凍り始めると氷は太陽光をはね返し、地球は熱を吸収しなくなる。するとますます寒冷化は進みより多くの陸地が氷で覆われ、最後は地球全部が氷結するとのことだ。そして一旦全球凍結するともう永遠に氷が解けることはないそううだ。しかしこの状況を救ったのが火山の大規模噴火で、広範囲な降灰によるものであったという。確かに雪国では春になると雪解けを早めるために竈の灰を畑にまく・・・。そろそろ春も訪れ、溶けた雪の間からヨモギなども芽吹く季節になってきた。しかし流行り病の蔓延で何処もどんよりと濁った空気感!もういい加減にして欲しいとつぶやく。

工房の窓を開け外を眺めると、春の陽光を浴びお隣さんの庭には沢山のフキノトウが覗く。ニッコリ!久しぶりに明るい気分に。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

マスク

もう今から40年以上前になるか?中東で突然戦争が勃発し、湾岸諸国からの石油供給が途絶えた。石油資源のまったく無いわが国は、海外からの原油輸入が百パーセントで、そのうち中東からの輸入は80パーセントを超えていた。「ガガーン、いっきに石油不足!」原油価格は急騰し、日々ガソリン価格もうなぎ登りで人々は我先にとガソリンをチャージし、スタンドには長い車の列ができた。そのころ私の関係していた靴メーカーでも接着に使用するボンドが、通常値段の5倍でも入手困難となった。そのうえ石油製品の高騰はもとより、トイレットペーパーまで買い占められなくなる始末。なぜトイレットペーパーが店頭から消えるのか?その因果が理解できなかったが、製紙会社は燃料として重油を多く使うので、操業に支障がでるとのことだった。

そしていま再び「トイレットペーパーがなくなる!」の声が上がり、店頭からティッシュなど紙類が消えかけている。うわさではトイレットペーパーは中国からの輸入なので、サプライチェーンが寸断された状態では品薄になるというのだ。しかし実際には95パーセントが日本製であるという。マスクの連想でサニタリーなど衛生用品にも不足感が出て、それが食品全般まで波及しはじめている。まだ先の見えないコロナウイルスの世界的流行は、いよいよパンデミックに突入か?もしアフリカ、インド、中南米など医療の劣悪な地域に拡大したら、とんでもないことになる。そしてこのことはコロナウイルスが寒冷でなくても感染拡大する証拠となり、日本では夏になれば収束するという希望的観測も消える。

「学校が休みになったから!」と孫が宿題を抱えて我が家にやって来た。今の若い世帯の殆んどは共稼ぎ、急の休みで子供だけの留守番に頭を抱える世帯が多い。するとまず頼るのは祖父母の実家であろうか。しかし実家に頼れない世帯は大変だ。「学童で預かりますよ」では防疫上学校とあまり変わらないのではないか?でもこれを機会にまだ職種は限定されるが、テレワークを推進する会社もではじめた。仕事は可能な限り自宅でこなし、会社には出社しない。そうすれば交通費や都会の高い賃貸オフィスも必要とせず、経費節減にもなる。コロナウイルス蔓延の休校で、いま急に注目されているのが通信などネット使用による自宅学習である。両親も自宅でのテレワーク、子供も通学のない学校や塾の出現など、近未来は職場や学校、家庭環境をも劇的に変えるかも?

たいした経済発展もなく平らかな時代であった平成。しかし令和に入ると立て続けに事件が起きる激動期に世界は移行した。政治経済の歯車が磨耗し、あちこちでギシギシと大きな異音をたてる。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

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