トマトジュース
「伸ちゃん、ジョニ黒の水割り3つねー」とオネエさんの声。するとバーテンダーが手早く作った水割りを盆に載せテーブルまで届ける。大学を卒業しヨーロッパ放浪の旅から戻った私は、新聞広告を頼りにとりあえず銀座のクラブでボーイのアルバイトをすることにした。そこはとうじ銀座のタイメイ小学校の前の路地を入ったところにあった「楡」という名の小さなクラブである。カウンターの中にはマスターとバーテンダー、ボックス席が四つあり2、30代の女性が5,6人ほどいたと思う。女性に手渡すグラスの持ち方を見て、カウンターに戻った私に「グラスの口元は絶対に手で持つな、それはボーイの基本だよ」とマスターから注意を受けた。それからは人に手渡すコップ類の飲み口には、手で触れないようにしている。
「伸ちゃん、V8(ブイハチ)お願いね」とまたオネエさんの声。今度はブイハチか、でもブイハチっていったい何だ?ブイハチとはアメリカの缶入りトマトジュースことで当時まだ珍しかった。これならカゴメのトマトジュースと違い客は単価を知らないので高額請求できる。女性達はあまり酔うと仕事にならないので、途中でお酒の代わりにこれを飲んで酔いを調整していた。当時ブイハチは輸入品なので高かったが、今ではコストコに行けば、カゴメのトマトジュースよりも安く買えるのではないか・・・?なれないとトマトジュースほど口に合わないジュースもない。子供の頃は苦手だったが、歳を重ねるとトマトジュースの味にも慣れた。
坊ちゃん育ちでプライドの高かった私は、それまで人にコキ使われたことがほとんどなかった。ハイハイと二つ返事で素早く動く、初めての経験をけっこう楽しんでいた。父親は別に反対もせず「若い頃は色々経験したほうがよい」と笑っている。しかしそれを聞いた長女が心配だったのか、旦那に相談したらしい「へー、あの伸ちゃんが銀座でボーイねえ!」と興味を持ったらしくある晩突然「いたぞー、ここだ、ここだ」という声と共にドヤドヤと義兄と5、6男が店の戸を開けなだれ込んできた。席にすわり水割りを一杯ずつ飲むと「頑張れよ」と声を残し馴染の店へ向かうのか、早々に夜の銀座に消えていった。でもいくらなんでもここまで自分を落とすこともないか?ボーイは馬鹿らしくなり三ヶ月でやめた。
トマトは好きだったがトマトジュースは余り好みでなかった。しかしトマトジュースも飲み続けるとけっこう癖になる。むかしは塩をふりかけ飲んでいたが、ジュースの味が変わったのか?今ではこの習慣もなくなった。
写真のバックは陶器で作った自作のバックです(勝田陶人舎・冨岡伸一)