厚焼き玉子
自宅のある市川市菅野から県道を北に8キロほど進み、松戸市に入ると八柱霊園という、なぜか千葉県なのに東京都営の広大な霊園がある。東京ドーム20個分の広さもあるこの霊園が、東京都でない千葉県に作られた理由が分からない。たぶん霊園など疎んじられる存在なので、開発された当時の昭和10年頃は、ただの荒地であった江戸川を超えた千葉県の葛飾なら買収も簡単で、反対も無いという乗りで作られたのだと思う。でもこの墓には基本東京都民しか入れないので、千葉県民(松戸市民は例外)にとってはなんのメリットも無い。東京都に隣接する千葉県は昔から、いつも東京都に利用されっぱなし。千葉県にあっても東京ディズニーランド、東京国際空港と千葉はいつも陰の存在なのが気に入らない。でもこの霊園内の入り口には庭園があり、昔から近隣の観光名所のひとつになっていた。
「やっぱ、母親の作る甘い厚焼き玉子旨い!」友だち数人と芝生の上で車座になり、持ってきた弁当の蓋を開けた。この日は私が小学1年生の秋の遠足なので、海苔のひかれた弁当の脇には厚焼き玉子二個(タマゴは高く、卵焼きはご馳走だった)が詰められていた。当時の小学校では春は歩きで、秋は電車やバスを利用した年に2度の遠足が企画されていた・・・。舗装されてないぬかるんだボコボコ穴の続く県道を、バスがゆっくりと前進する。大きく揺れる体を座席の肘掛に捕まりなんとか体制を保っていた。するとやっと右手に霊園の塀が現れて一息つくと、バスは入り口に到着した。しょせん霊園なので別に観光スポットがあるわけでない。ただひとつの目玉は芝山だ!ここを子供達が横になりゴロゴロと上から転がり降りる。私はこの遊びが気に入り何回も繰り返す。
「楽しかったねー、そろそろ帰ろうか」バス停を捜し列に並んだが、ポケットを探って血の気が引いた。「あれ、あるはずに小銭がない!」友達にも聞いてみたが皆もいくらか無くなっていた。「これじゃあ、帰れないぞ」急いで芝山に戻って捜したが、一銭も見つからない。「よし、歩いて帰ろう」そろそろ日も西に傾き始めていたので急がないと!バスで来た道の記憶をたどり小走りに歩き続けた・・・。(実は遠足で行った霊園の芝山が気に入った私は翌年、友達数人とバスを乗り換え霊園を再度訪れたのだった)大好きだった芝山を皆で転がっているうちに、ポケットの小銭が消えうせた。しかし小学2年生の子供にとって8キロもの知らない道の行程は実に不安一杯、途中道に迷ったが中山競馬場近くにあった、高い電波塔が目印となり、2時間程で無事に帰宅することができた。
仕事からスポーツまでデジタルで済ます時代がコロナでより増幅している。移動しない、行動しない、直接交流しない人達の未来は明るいのか?
(勝田陶人舎・冨岡伸一)