カケウドン

「二足三文」という言葉がある。これは江戸時代に宿場町で、ワラジ2足が三文という安価で売られていたことに由来する。昔から履物は衣服に比べると非常に安価だった。なにしろ織物と違い手間がかからず、材料が藁や木では値段のとりようも無い。ところが明治になって欧米から革靴が入ってくると、履物に対する感覚も徐々に変わってくる。特に軍隊では軍靴のニーズが強く、革靴の重要性は増していった。そして戦後アメリカ軍が進駐し、欧米文化が再び流入すると一般女性も下駄やゾウリからパンプスなどの革靴を履くことが流行していく。特に米兵と関係を持った女性達はいち早く洋装に衣替えし、銀座の靴屋で赤いパンプスなどをこぞって購入した。かつて銀座通りの一等地には「ワシントン」を初め靴屋が多かったのはそのためである。

「ココノモン半なんですけど、雑誌に掲載された靴のサイズありますか?」デスクの電話をとると、四国の山村からだという、一本の電話が女性の声でがかかってきた。1971年に婦人靴の百貨店問屋に入社した私は、デザインなどを行なう企画部に席を置いたが、電話交換手が在庫問い合わせ電話を間違って私に回した。「九の文半ていったい何センチなんだ?」子供の頃は靴のサイズなどはまだセンチでなく「文」という単位が使われていた。しかしさすがに小学時代メートルに法改正してからは、徐々に文や尺の単位は使われなくなっていたので正直とまどった。それにせめて9文(きゅうもん)と言ってくれればよいのに(ここのもん)とは余計に分かりにくい。でもここでは在庫確認が出来ないので管理部に電話を回した。

私が靴業界に席をおくと同時に、女性達の間では冬場ブーツを履くことが大ブームとなる。ブーツはたくさんの革を使うので単価が上がる。編み上げブーツから始まった皮革ブーツの流行は、乗馬ブーツのようなジョッキーブーツでピークに達した。なにしろ若い女性のサラリーが4万円位のときに、ブーツの値段は3万円前後していたのだ。そしてこれらのブーツが百貨店では飛ぶように売れていく。おかげで会社のボーナスも3度出て、ファッション産業は未来産業である!とまでいわれていた。ところがそれから20年も経過すると、中国から安い靴が大量に輸入されるようになる。すると靴の価格も昔のように安価になり、元の「二足三文」の時代へと戻っていった。しかし江戸時代の1文は約12円位と言うので、実際には三文で草鞋2足が買えたかどうかは疑わしい。

江戸時代の宝暦の頃(1750年代)カケウドンの値段は6、7文であったという。いま駅蕎麦のカケウドンの値段は300円位なので、1文の価値は50円ぐらいになるのかも?(勝田陶人舎・冨岡伸一)