茶飲み話・キミプチ

「おい、おい、それってマジかよ。知らなかったなあ!」突然驚きの書き出しですいません。もうご存知の方も多いのかもしれませんが、無知な私には初耳でした。「でも、何か変だと思っていたんだよね、以前から」。「だって電子レンジでチンしても全く固まらなで、トロッとしたままだ」ここまで書くと感の良い人はピンとくるのでは?

そうなんです。コンビニで買う牛丼やパスタの上にのる、あの美しい色の半熟卵の黄身ですよ。「あれって、実は擬似食品で本物ではないという」キューピーが業務用に独自開発した、油などでブレンドした黄身ソースだそうです。商品名を「キミプチ」といい一般には販売していないらしい。

それに弁当にのる半切りのユデ卵。あれも同じく擬似食品というのだ。外側の白身は硬く、内の黄身は絶妙の半熟「こんなこと絶対に出来るわけ無い」料理好きの人なら誰でも疑問をもつと思う。それによく買う卵サンドの卵までも合成だと聞くと、卵好きの人にはもう開いた口がふさがらない。

「どうせ私をだますなら、だまし続けてほしかった」バーブ佐竹・女心の唄。そういえばむかし唇が厚く、決してハンサムとはいえないが、どこか色気のあるバーブ佐竹という歌手がいた。この曲は昭和39年ヒットだというので、かなり古いナツメロである。でも彼はこの唄一曲でテレビから消えたので、ご存知の方は少ないと思う。

私の人生を振り返ってみると、騙したことも、騙されたことも殆んど記憶にないのは幸いである。日本人は相対的に真面目な人が多く、嘘を嫌う文化を持つ。ところが近隣諸国の人々は「嘘も百回言えば真実になる」とか「騙す方より、騙されるほうが悪い」が常識である。日本は島国でよかった!強いて言えば太平洋のど真ん中ハワイあたりにあれば、もっと良かったと思うこの頃である。

(今朝は卵の殻が割れたような、この茶碗を使った.。食べ物までが知らぬ間にバーチャルになる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・閑居

「小人閑居(ショウジン・カンキョ)して不善をなす」というこの中国故事は、「凡人が暇でいると、ろくなことをしない」という意味だと高校で習った記憶がある。先生に「だから若いお前らは雀荘などによらずに、もっと受験勉強せい!」と言われていた。しかし本当は閑居は間居(独居)で一人住まいをすると、ろくなことをしないという意味らしい。

若い頃は遊びや仕事と活発に行動するので、時間を持て余す実感は殆んどなかった。しかし仕事から解放された年金暮らしの日々は、言葉を変えて「老人間居して不善をなす」ではどうか?「好々爺が一人縁側のロッキングチェアーで日向ぼっこ」では生きている意味がうすれる。そこで「もう一度不良したい」と夢想するが、財力と体力が枯渇では、それもまた苦笑いの中で消える。

一軒おいた隣には私より3歳年上の先輩が、離婚して一人住まいをしている。時々道ですれ違うが、背を丸めどこか寂しそう。会釈はすれども、立ち止まって会話すると長くなるので、なるたけ避けている。どうも話し相手があまりいないようだ。彼がネットを利用して友達10人作っているかどうかを私は知らない。しかしパソコンやスマホを駆使すれは、オンラインで話し相手に不自由することはない。

最近私は時代に乗れないデジタル難民の老人を自分を含め「デジタル認知症」と呼んでいる。いわゆる一般に言う認知症ではないが、まったくデジタル社会に対する知識と認識が欠落している状態である。近頃行政が小学生にパソコンを無料で支給すると言う話はよく聞く。でも高齢者にも、オンラインゲームやネットアプリにつながるパソコンの支給と指導が必要なのでないかと強く思う。そうすれば少しは認知症も減らせ、行政の負担も軽くなる・・・?

なにしろ人類史上未曾有の大変革の時代がやってくる。時代の大波にどう対処するか?私も含め年配者でも他人事ではない。戸惑いながらも、何とか時代を受け入れるすべを収得しないと、無人店舗で買い物もできずに街を徘徊することになる・・・。ワクチン接種の申し込みはスマホでどうぞだって!

(今回から表題を・茶飲み話・とする。コンセプトは茶碗の紹介とシニア世代の日常的な浮世話。書き込みなど御自由にどうぞ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

乙女

「命短し、恋せよ乙女」という歌いだしの「ゴンドラの歌」という歌謡曲が大正時代に流行ったと聞く。吉井勇作詞だというこの曲であるが、私の青春時代の思いで曲のひとつでもある。ビートルズ世代と言われた私には直接関係が無いが、当時友達であった7才年上の先輩が、このゴンドラの曲が好きでよく口ずさんでいた。そして「冨岡君、彼女いるの?今の時間を大切にしろよ、青春はすぐに過ぎるぞ!」が彼の口癖だったからだ。

二十歳の頃に結核を病い何年か療養していた彼は、若くして命のはかなさを実感してしまったらしい。しかし結核が完治した後も、彼自身は恋愛して所帯を持つわけでなく、独身のすえ50歳前に他界した。

「楽天。モバイル!」という叫び声が突然イヤホンする耳に刺さる。「なんだここのガナリ声は」ビックリすると同時にショッキングピンクの映像が目に焼きつく。刺激強すぎ!「ちょっと、やめてくれないかな、こんなのありかよ」いくらコマーシャルでもマナー違反だよ楽天さん・・・。でも乙女といえば20年以上も前には上品で可憐なイメージだったこの宣伝の米倉涼子さんも年取ると、ただのヒステリックなオバサンに成り下った。可憐だった自分のイメージを崩す宣伝など受けないほうが良いと思う。

いっぽう私が気にいっているコマーシャルは、見知らぬ乙女が絨毯の上で寝転び、回転するだけの「クリモト・クリニック」の宣伝である。広告代理店で働いていた女房はこの宣伝くだらな過ぎて腹が立つというが、私はそうは思わない。ほとんど経費をかけない宣伝のわりには単純で、かえってインパクトがあるのは笑える。

3社の寡占状態では携帯の料金もあまり下がらない。ここに楽天が新規に参入すれば金額が安くなるかも?でも視聴者無視のごり押し宣伝はかえって逆効果ですよ。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

アリス

「不思議の国のアリス」。幼い少女アリスが白いウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどと出会いながら冒険する・・・。今から150年ほど前にイギリス人のルイス・キャロルによって書かれた児童本の夢物語である。でも私が子供の頃には全く架空の物語だと思っていたが、最近では「いや、そうでもないらしい・・・」

皆さんご存知の般若心経のなかで「色即是空・空即是色」すなわち我々が生きている現実世界は実際には仮想で、仮想だと思っていた幻想の世界が実は現実であるという、凡人にはなんだかよく分からない仏教観が記述されている。しかし近年では仏陀が説いたこの概念が、真実として実感できる時代となって来たような気がする。テクノロジーの急速な進歩は、現実と幻想の境界をますます曖昧にしている。

「あんた、なに見てるのよ!」と覗き込む。先日我が家に遊びに来た、寝転ぶ孫の手元に注目。子供達も小学生になるともう年寄りなど相手にしない。各自が勝手に画像の中に入り込み、各々がモンスターと格闘するのだ。こちらも遊び相手などをせずにすむので楽でよい。そういう私も近頃は自宅にいるときは自室にこもり、殆んどの時間はパソコンやスマホを眺めている。外に出ると感染症の危険があるというので、ますます映像が友となる。

もう飛行機で物騒な海外などに出かける必要もない。スイッチオンのアイコンタップで何処にでも行けるのだ。先ほども懐かしいイタリアのベニスでゴンドラに乗る映像を見た。テレビ画面はますます巨大になり映像は鮮明になるばかりだ。子供の頃に小さな白黒テレビで見た「カネタカ・カオル世界の旅」ではリアリティなど全く感じなかった。でもその番組を見て海外に出かけることを夢見た。

もうすぐ5Gの時代がやって来る。するとより鮮明でクリアーなスクリーンを前にすると、身近な日常生活などまるでつまらない。リモコンタップで何処にでもいけるし「不思議の国のアリス」にもなれる。ますます広がるスクリーンの中の仮想空間。私にとってこの世界こそリアルという錯覚に陥る・・・。

(これもグイノミです。勝田陶人舎・冨岡伸一)

砂時計

「あなたがいないと、生きる力が、失われていく、砂時計・・・」。これは私が青春時代から好きだった「シバの女王」という曲のフレーズの一部である。特にポール・モーリアが奏でる、この曲のイージー・リスニングは好きで、今だに気持ちが疲れると時々聞いている。私が小学生のころ我が家に、たぶん5分計であったと思うが、小さな砂時計がタンスの上にぽつんと一つ置いてあった。

私はこの砂時計を手に取り、何度もひっくり返しては時間を計りながら、眺めているのが好きだった。砂時計の中の白い砂が、細いガラスの窪みを通過する量が殆んど一定で、結果誤差はいつも数秒単位であった。砂時計は各種時計の中でも一番、時の経過をはっきりと目視できるのでよい。むかしの洋画で刑の執行時間決定に、大きな砂時計が罪人の前に置かれていたシーンを思い出した。ひっくり返すことの無い砂時計ほど、不気味なものは無い。

人生とは大きな1個の砂時計と例えることもでき、上の砂が全部下に落ちれば終了する。私の5分計と違って、決して何度も返されることはない。でも有史以来、清の始皇帝を初め多くの独裁者が、どうにかこの巨大な砂時計をひっくり返す手立てはないかといろいろ探求してきた。始皇帝は不老長寿のクスリとして水銀までためしたというが、延命することさえなかった。現在では近隣諸国の独裁者たちも、同じくこの研究には余念が無いらしい。

いま民族抹殺の指令のもと、隣国のウィグル人たちは弾圧により拷問されたり、共産党幹部達の延命のために、臓器提供させられているときく。でもこの程度では巨大な砂時計を多少傾けて、砂の出を緩める程度の効果しかないだろう。しかし医学の進歩も目覚しい将来、巨大な砂時計をひっくり返すことが出来るようになるかも?そうなれば一人の独裁者のために、多くの人たちの自由が永遠に奪われてしまう。

まあいいや!それよりもとりあえず、日本でもワクチンを短時間で開発できる、医療インフラを整えてください。のんびりと砂の落ちるまで、待っている時間はないのです。(勝田陶人舎・冨岡伸一)