砂時計

「あなたがいないと、生きる力が、失われていく、砂時計・・・」。これは私が青春時代から好きだった「シバの女王」という曲のフレーズの一部である。特にポール・モーリアが奏でる、この曲のイージー・リスニングは好きで、今だに気持ちが疲れると時々聞いている。私が小学生のころ我が家に、たぶん5分計であったと思うが、小さな砂時計がタンスの上にぽつんと一つ置いてあった。

私はこの砂時計を手に取り、何度もひっくり返しては時間を計りながら、眺めているのが好きだった。砂時計の中の白い砂が、細いガラスの窪みを通過する量が殆んど一定で、結果誤差はいつも数秒単位であった。砂時計は各種時計の中でも一番、時の経過をはっきりと目視できるのでよい。むかしの洋画で刑の執行時間決定に、大きな砂時計が罪人の前に置かれていたシーンを思い出した。ひっくり返すことの無い砂時計ほど、不気味なものは無い。

人生とは大きな1個の砂時計と例えることもでき、上の砂が全部下に落ちれば終了する。私の5分計と違って、決して何度も返されることはない。でも有史以来、清の始皇帝を初め多くの独裁者が、どうにかこの巨大な砂時計をひっくり返す手立てはないかといろいろ探求してきた。始皇帝は不老長寿のクスリとして水銀までためしたというが、延命することさえなかった。現在では近隣諸国の独裁者たちも、同じくこの研究には余念が無いらしい。

いま民族抹殺の指令のもと、隣国のウィグル人たちは弾圧により拷問されたり、共産党幹部達の延命のために、臓器提供させられているときく。でもこの程度では巨大な砂時計を多少傾けて、砂の出を緩める程度の効果しかないだろう。しかし医学の進歩も目覚しい将来、巨大な砂時計をひっくり返すことが出来るようになるかも?そうなれば一人の独裁者のために、多くの人たちの自由が永遠に奪われてしまう。

まあいいや!それよりもとりあえず、日本でもワクチンを短時間で開発できる、医療インフラを整えてください。のんびりと砂の落ちるまで、待っている時間はないのです。(勝田陶人舎・冨岡伸一)