茶飲み話・閑居
「小人閑居(ショウジン・カンキョ)して不善をなす」というこの中国故事は、「凡人が暇でいると、ろくなことをしない」という意味だと高校で習った記憶がある。先生に「だから若いお前らは雀荘などによらずに、もっと受験勉強せい!」と言われていた。しかし本当は閑居は間居(独居)で一人住まいをすると、ろくなことをしないという意味らしい。
若い頃は遊びや仕事と活発に行動するので、時間を持て余す実感は殆んどなかった。しかし仕事から解放された年金暮らしの日々は、言葉を変えて「老人間居して不善をなす」ではどうか?「好々爺が一人縁側のロッキングチェアーで日向ぼっこ」では生きている意味がうすれる。そこで「もう一度不良したい」と夢想するが、財力と体力が枯渇では、それもまた苦笑いの中で消える。
一軒おいた隣には私より3歳年上の先輩が、離婚して一人住まいをしている。時々道ですれ違うが、背を丸めどこか寂しそう。会釈はすれども、立ち止まって会話すると長くなるので、なるたけ避けている。どうも話し相手があまりいないようだ。彼がネットを利用して友達10人作っているかどうかを私は知らない。しかしパソコンやスマホを駆使すれは、オンラインで話し相手に不自由することはない。
最近私は時代に乗れないデジタル難民の老人を自分を含め「デジタル認知症」と呼んでいる。いわゆる一般に言う認知症ではないが、まったくデジタル社会に対する知識と認識が欠落している状態である。近頃行政が小学生にパソコンを無料で支給すると言う話はよく聞く。でも高齢者にも、オンラインゲームやネットアプリにつながるパソコンの支給と指導が必要なのでないかと強く思う。そうすれば少しは認知症も減らせ、行政の負担も軽くなる・・・?
なにしろ人類史上未曾有の大変革の時代がやってくる。時代の大波にどう対処するか?私も含め年配者でも他人事ではない。戸惑いながらも、何とか時代を受け入れるすべを収得しないと、無人店舗で買い物もできずに街を徘徊することになる・・・。ワクチン接種の申し込みはスマホでどうぞだって!
(今回から表題を・茶飲み話・とする。コンセプトは茶碗の紹介とシニア世代の日常的な浮世話。書き込みなど御自由にどうぞ。勝田陶人舎・冨岡伸一)