茶飲み話・サケマス

「これで今年も好きなイクラが喰えそうだ!」ウクライナ戦争により棚上げになった日ソ・サケマス交渉がどうにか締結された。いま日本とロシアの間では日本の経済水域200海里内であっても、鮭を取るには漁業協力費という名目で、3億円位の金を支払う必要がある。理由はその海域で泳ぐ何割かの魚が、ロシアの河川で生まれた可能性があるからだという。

私が子供の頃はまだこのような条約は存在しなかった。そのため日本は船団を組み遠くアラスカベーリング海まで魚を捕りに出かけていた。そして乱獲の末、魚の減少に怒ったアメリカ、カナダ、ロシアなどの国から、北洋での操業を全面的に禁止されることになった。そこで一時はイクラなどは殆んど食卓から消え、赤いダイアと称されたこともある。

「なんで日本はわざわざ遠く北洋まで出かけ、サケマスを獲るのだ」という素朴な疑問を各国は抱く。たしかに鮭は成長し3,4年すれば生まれた川に自然と戻ってくる。それなのにロシアに帰る鮭を横取りするとはケシカラン!と抗議され金を支払う事態になった。

ところで大洋ホエールズという名のプロ野球チームをご存知の方も、最近ではずいぶん少なくなったと思う。そのチームは大洋漁業という大手漁業会社がオーナーであった。遠洋漁業が各国から規制を受ける前は、世界の海でクジラなど魚が採り放題で、多くの利益をあげていたのだ。そして宣伝も兼ね野球チームのスポンサーになったが、のちに業績の悪化で今の横浜ベイスターズに経営を譲った。

「こんなに狭い球場ならホームランたくさん出るよね」と父親にたずねてみた。大洋ホエールズは昭和中期まで、神奈川の川崎球場をベースに試合を行なっていたのだが、当時小学6年生であった私は大洋ファンであった父に連れられて、この球場を訪れたことがある。そして初めて目にした川崎球場は、後楽園球場と比べるととても狭く貧相に見えた。(写真・抹茶をたてやすい順に右から並べてみる。うわさ道理、茶筅ずれの狭いほうが良さそうだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・ウクライナ

テレビをつけると毎日ウクライナの惨状が伝えられ、暗い気持ちになる今日このごろである。何の罪もない市民がロシア軍の爆撃を受け住居をおわれ、多数死んでいる。でもこの戦争、ロシアがなんのためにこれだけの犠牲を払って行なっているのかが、いまいち明確でない。プーチンは最初、一週間もあればウクライナ全土を簡単に攻略できると考えていたようだ。

ところがドッコイ、そう簡単には事が運ばなかった。ウクライナ市民の頑強な抵抗にあい泥沼化する。こうなると数年単位で長引く可能性もある。初期段階では頻繁に停戦交渉が行なわれたが、最近では殆んど開催されない。すると困るのはウクライナ市民と、その影響により高騰する食料などが買えずに飢える、世界中の貧困層である。

でもテレビや新聞などで伝えられるニュースの殆んどはCNNなど欧米系メディアからの情報である。なので必ずしも全ての情報が真実であるとは限らない。日本人の大半はNHKなどマスコミ報道は正義を伝える機関であると認識し、疑うことなどしない。戦前日本も大本営発表などは殆んどが虚偽情報であったように、いつの時代も戦争の当事国は自分に都合の良い情報を流す。そのため正義の味方ゼレンスキーの発言も多少疑う必要もある。

「戦争は一部の人に多くの富をもたらす!」いまウクライナ戦争の影で大もうけをしている人達がいるのだ。具体的には穀物の値上がりによる米国農業従事者やカーギルなどの穀物商社。原油、ガスなどを掘削する最近まで大赤字であった米国シェール会社や石油メジャー。それにロッキードやグラマンなど戦闘機会社や米国巨大軍事産業など、など。

どうですか!このように書けば今度の戦争では悲惨な当事国市民をよそに、武器をたくさん売りまくって稼ぐ、アメリカひとり勝ち構図が見えてくるでしょう。そうです。巨大な財界圧力団体によって当選したバイデン大統領の心中は、綺麗ごとは言うが戦争の長期化を望んでいるのです。ここで古い武器をすべて売りつくし、在庫一掃バーゲンセール!(風が吹けば桶屋がもうかる。砲火が吹けばアメリカがもうかる。ロシアは恐ろしいがアメリカとて。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・銀歯

「銀歯素材8パーセント値上げ」という朝刊記事が目に留まる。厚労省は歯科の銀歯治療で使用するパラジウム合金について5月から値上げするらしい。原因はロシアに対する経済制裁でパラジウムが輸入できなくなり、市場価格が高騰しているからだという。パラジウムは全生産量の4割近くがロシアなのでウクライナ戦争が長引くと影響は大きい。

私が子供の頃は銀歯素材のパラジウムは安価でサンプラといい、これが金歯でなく口元からチラリと覗くと貧乏人とバカにされたもんだ。それが今や金よりも高額で保険適用もされているので、国の医療費負担も大変だという。では金も同様に保険適用すれば、リッチ感のある金歯を入れる人も多くなるのではないか?

昔はこれ見よがしに前歯に高額な金歯を入れる人もいて、まるでパクパクくちを開く獅子舞の獅子のようだと陰口をたたかれた。そういう私も親掛かりの頃の歯科治療はすべて金をつめた。それが自活するようになると金歯は高いのでパラジウムに変わる。かつてイギリスでは医療保険制度が確立すると金歯も無料なので丈夫な歯まで抜いて、後で後悔する事になる金歯にする人が続出した。

「この子は成長したら花王石鹸のお月様マークのような、顎のしゃくれた顔になりますよ!」と突然断言された。それは私が小学4年生の時である。父親が結核を患い東京歯科大学市川病院に入院していた関係で、虫歯になった私はそこで治療を受けることになった。ところが虫歯治療など差し置いて数名の医者がドヤドヤ集まってきた。そして大学教授らしき先生が「これはまずいね!」の一言。

さっそく待合室にいた母親が呼ばれ、説明をうける。私は先天的に前歯のかみ合わせが悪く下の歯が上の歯より前に出る「受け口」というのだ。とりあえず割り箸など噛み上の歯を前に出す試みをすれど、いっこうに直らない。成長期前に直さねば、アントニオ猪木のような顔になるということで、まだ珍しかった高額な矯正治療を2年間うけることになった。親に感謝である・・・。(写真・先日姉が所有していた親父の遺作が我が家に戻る。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・クレーマー・クレーマー

近年日本人の離婚率は急増しており、およそ三組に一組は離婚するという。原因は男性の浮気、DVやギャンブル癖での生活力の欠如、女性の経済的自立や忍耐力の低下、社会的偏見の希薄、シングルマザーに対する公的支援、など様々ある。しかし私は、その主因は戦後劇的に増加した恋愛結婚にあるのではないかと思う。

恋愛で結婚すれば最初はアバタもエクボでウキウキ、しかしじきにアバタはアバタへと戻る。そして時が経つとアバタがオデキの嫌悪感!するともう我慢ならず離婚する。ところが見合結婚ならお互い条件で選ぶので、こんな錯覚は生じない。そして長く共に生活すれば情も湧いてくることが多い。そこで昔は恋愛と結婚は全く別物という考えが主流であったのだ。事実私の親世代は殆んどが見合いで結婚した。

若い頃に見たクレーマー・クレーマーというダスティン・ホフマン主演の離婚をテーマにしたアメリカ映画は衝撃的であった。この映画は1980年に公開されたが、封切られた当時日本はまだ離婚などまれで、非現実的なことと捕らえられていたのだ。一方アメリカでは一足先に離婚が急増し、社会問題にもなっていた。ある日妻からつきつきられた離縁状、そして妻は子供を残し家を出る。そこで主人公は子供の養育と仕事で悪戦苦闘するという筋書きだ。

「どうせ離婚するならアッパレ離婚というのはどうでしょう!」女性にとって理想的な結婚があるなら、また理想的な離婚というのもあるはずだ。例えばむかし伴淳三郎という俳優がいたが、彼は離婚のたびに家や財産をそっくり妻に残し、裸一貫家を出て行った。これなら殆んどの妻はアッパレだと喜び離縁状に判を押す。最近では北野タケシがこのアッパレ離婚にあたると思う。

今チマタには生活困窮のシングルマザーが溢れている。給料の少ない元旦那からは養育費すらもらえず、独り子育てに奔走する。あげくの果てキャバクラ勤めで知り合った、プータロウと寂しさのあまり安アパートに同居。すると可哀そうなのは邪魔になる連れ子である・・・。(70年ほどの人生を振り返ると、見合いで結ばれた時代のほうが、家庭は穏やかであったような気がするのだが?勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・団十郎

市川海老蔵、今夏の団十郎襲名延期!というニュースをみた。最近週刊誌やネットでなにかとお騒がせな、海老蔵が歌舞伎界最高位の名跡である団十郎を襲名するらしい。歌舞伎に特別興味があるわけではないので、どうでも良い話だが団十郎だけはそれなりの人格者が継承しないと、日本の伝統的古典芸能を汚す恐れがある。

「俺はお前らと違って、将来は人間国宝になる男だ。控えろ下郎ども!」と若き海老蔵は傍若無人にふるまった。これに怒った関東連合を名乗るチンピラ集団にボッコられて、大怪我をおわされた例の六本木クラブ事件もまだ記憶に新しい。あの事件で新婚ホヤホヤだった小林麻央さんは、ストレスで乳癌を患ったが海老蔵が心酔する詐欺師のいかさま療法を受け、幼子を残して他界した。

そして妹の子の世話に通ってきた姉の小林麻耶さんにも、あろうことか仮眠中に上からのしかかり乱暴しようとしたという。これは本人がネットで告白しているので間違いない。また今でも独り身をよいことに子供達をほったらかし、夜な夜な女漁りを繰り返しているという海老蔵!こんな男が歌舞伎界の名跡・団十郎襲名は問題なのではないのか。

私が歌舞伎というものを始めて見たのは高校生の時である。「日本人として生まれたからは、歌舞伎くらい教養として知らなくてはだめだ」と歌舞伎好きの父親の勧めで、何度か歌舞伎座を訪れたことがあった。そして最初に見た演目は勧進帳だったと思う。当時主役の弁慶は尾上松禄が演じたと記憶する。そして観劇の後に、亡くなった11代目・団十郎は気品がありすばらしかったなど、いろいろと後講釈を聞いていたので、無頼漢・海老蔵の団十郎襲名など言語道断である。

1960年代はマルチタレントとして新劇でも活躍した松本白鷗筆頭に、同世代の若手歌舞伎役者が多く登場した時期でもあった。先日なくなった吉衛門、菊の助、辰之助、新之助、すこし若く玉三郎に勘三郎と歌舞伎界が華やかであった頃だ。でもこの中では先日なくなった12代目団十郎・海老蔵の親である新之助は、声も悪く大根役者だと父親が酷評していた。(襲名のたびに品格が落ちていく団十郎。まるで歌舞伎界の衰退を拝むようだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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