茶飲み話・坊主頭

われわれ戦後生まれの団塊世代が子供の頃に髪床屋に行くと、ほとんどが前髪を真直ぐに切りそろえた坊ちゃん刈りか、丸刈りの坊主頭であった。少年時代から自分のスタイルにはなんとなくこだわりを持っていた私は、丸刈り坊主頭が大嫌いでずっと坊ちゃん狩りで徹した。しかし問題なのは中学生である。当時は公立中学をはじめほとんどの中学が校則で男子は丸刈りと決められており、それから逃れるすべはなかった。

ところが自宅近くの私立市川中学だけは、ダンディなロンドン帰りの校長先生の判断で、数年前から調髪が許されていたのだ。そこで担任の先生の「お前には無理じゃねえ?」の言葉を押し切り、生まれて始めてちゃんと机の前に座り受験勉強に取り組むことになった。するとみるみる成績が向上し卒業する3学期にはなんとか受験に通った。

「お前はやれば出来るんだね?」と担任に渡された三学期の通知表を開いた時の驚きは今でも忘れない。そして中学に進むと、東大出たてで若い担任の吉岡先生は「冨岡君、冨岡君と」なにかと褒めてくれた。でも明らかにヒイキされるのも、目立ちたがり屋でない私には少々負担に感じたのだ。ところが2,3年と学年が進むとまた根っからのサボり癖が目覚め、だらだらと成績が落ち込んいき、再び勉強に集中するのは高校二年生の後半まで待つことになった。

その頃のなると急激な時代の変化とともに公立中学や高校でも、坊主頭の校則が撤廃され、髪を七三に分けるため櫛をカバンに忍ばせて登校することが流行した。そしてアメリカからはどんどん新しいカルチャーが流入しそれをまねる。特にアメリカの私立探偵テレビドラマ「サンセット77」に登場するガレージボーイ「クーキー」の髪型と櫛の使いこなしのまねをした。

そしてその時代に若者の間で流行ったのが、新しく登場した整髪料「バイタリス」である。それまでは男性の整髪料といえばベタベタとしたポマードが主流で、どくどくの油の臭いがした。しかし子供の頃からの行きつけの床屋では、流行の髪型「ケネディーカット」は対応できないので、若い店主の床屋「オリオン」に鞍替えする。(千円床屋に代えた今でも頭髪にはこだわりを持っている。最近ではソフトモヒカン刈りで!とオーダー。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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