茶飲み話・物価高

「いやあ、困りましたね!」なにか世の中が混沌としてきた。コロナもどうにか収束に向かい平静を取り戻すと思ったら、今度は円安による物価高が本格的に襲ってきそうだ。先日対ドルで145円も値下がりし、あわてた日銀が円買いの為替介入を実施して瞬間140円まで戻ったが、またすぐに144円になってしまった。これからますます円安が進み、150、160円になると、我ら年金族の生活は苦しくなる。

それにロシアによるウクライナでの戦争はエスカレートし、追い詰められたロシアが核爆弾を使用するとの脅しをかける。それも原子力発電所を襲撃するかもと言っているので、もし本当にこれを実施したらヨーロッパは大変なことになる。チェルノブイリ原発事故で懲りているはずなのに、狂ったプーチンはなにをするか分からない。北朝鮮からミサイルは飛んでくるし、安部さんの国葬などでもめている場合ではない。

ここにきてロシア国民も30万人もの予備役招集が決まり自らの身に危険がせまると、民衆のあいだでにわかに反戦のムードが高まってきたが、いまさらもう遅い。あんな独裁者を長いこと支持したのはあなたがた!あわてて国外に逃亡するより、早くプーチンをなんとかしろと言いたい。ロシアと長い国境を接するフィンランドでは押し寄せるロシア人の対応に困り、国境を封鎖した。

日本も人道的見地からなどどいい、安易に逃亡者を入国させないでほしい。もし北海道に多くがなだれ込んで定住すると、ここはロシア人が住むからロシア領などと暴言はく可能性がある。ウクライナ戦争はプーチンが存命である限りまだまだ続き、一触即発で明日何が起こるか分からない。あの親日家マイクロソフトのビル・ゲイツ氏は軽井沢に別荘地を買い、大きな屋敷を新築した。でもそのさい大量の土砂が運び出されたので、核シェルターを作ったのではないかと噂されている。

もしこのまま円安が進行し、ロシアからのエネルギーや穀物輸出も途絶えると物価上昇は止まらなくなる。今のうちに日持ちのする食料などの備蓄を心がけ、自宅の庭に菜園を作るのも良しだ。でも私の場合は酒の備蓄だな!酒は日持ちもするし、いざとなれば換金もしやすい。戦後食糧不足のときも酒は米と物々交換できた・・・。(やはり私の予言どうり晩年は動乱期鎌倉時代の鴨長明「方丈記」になるのか?可能性はゼロではない!勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・和

「和を以って尊しとなす」とは「みんなが相手を尊重しあい、認め合って協調することがなによりも尊い」という意味だが、これは現代の日本社会においてもある程度の共通認識として捕らえられている。そしてもっといえば「謙譲の美徳」、「人を先に立てて自分は、でしゃばらない美しい行為」、それにこれは儒教の概念だと思うが、年上の人をうやまう「長幼の序」というのもある。

でも日本人ならだれでも通常当たり前として捉えられているこれら概念が、世界的に見るとかなり特殊なのだ。「日本の常識は世界の非常識」といわれる思考回路は色々あるが、謙譲の美徳などその際たるものである。日本人ほど他の人の気持ちを慮って生活する民族はいない。これら土着の対人関係はいったい、いつ頃から芽生えたのかというと最近の研究ではそのルーツは縄文時代にあるらしい。

縄文時代は気候がもっと温暖だったため、その遺跡の多くが東北地方から出土している。特に有名なのは青森県にある三内丸山遺跡であるが、ここからは多数の竪穴式住居跡が出土し、様々な生活用具なども見つかっている。そして埋葬された人骨も数多く掘り起こされたが、それらの人骨からは争って傷つけられた痕跡など全くないらしい。日本人は古来より譲りあって暮らしてきたようだ。

日本の台地には豊かな自然と豊富な水がある。そして海にも囲まれているために、貝などの食料も常に豊富であった。そこで争いごとも少なく、他の地域を侵略する必要も無いため独特の文化が醸成されてきたという・・・。いよいよ流行り病も収束に向かい、これから円安で物価安のわが国に大挙して外国人がやってくる。彼らにとっては日本の街は安全で清潔で食べ物は旨いし、サービスはタダで至れり尽くせりだ。

「うちの子に教室の掃除や給食の配膳などやらせないでください」中国人など外国人子弟を日本の小学校に迎えると、こう抗議してくる親がいるという。掃除や配膳などは身分の低い人たちの仕事!そんなこと金払って彼らにやらせろ、学校は勉強だけ教えればよいとくる。これは階級社会で育った人たちの典型的な考え方だ。多数の外国人観光客や移民が増えるのもよいが、日本人の伝統文化などは失いたくない。(食たりて礼節を知る。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・余生

こうしてブログなどを日々坦々と書き綴っていくと、時々言葉の選択にとまどう事がある。その中の一つに老後など「老い」の字がある。別にアンチエイジングを標榜しているわけでは無いが、できればこの「老」の字使用はなるたけ避けたい。十把一からげに老後などという言葉で簡単にくくると、ネガティブ思考しか生まれないのだ。

いっぽう充実した「余生」を送るなどと書くと、おなじ意味をもつ老後という単語より、だいぶイメージは爽やかになる。「なるたけ年より若く見られたい!」などと望めば、どうしても過剰な運動などで無理が生じるが「爽やかに生きたい」なら、少しの気遣いでよいので自然体でいられてる。

それと「年を取る」という言葉もあまり使いたくない。年を取ると綴るとどんどん寿命が減る一方で、丘に立ち二度と登らない夕日を望むような心境になる。ところが「歳を重ねる」と書くと、「摩訶不思議!」毎年毎年人生に経験の厚みが増し、その厚さが最大になった時に終焉がやってくる。すると「よーし、どんどんページを重ね、知識のかたまり広辞苑の完成だ」となる。

ところで広辞苑といえば近頃ほとんど見かけない。以前は私の本棚にもあまり手に取られることもなく本棚の文鎮のように鎮座していたが、いつしか昭和の時代とともに消えた。たぶん資源ゴミとして回収されたのだと想う。現在ではスマホのグーグル検索一発タップでなんでも検証可能だ。特に最近の流行り言葉や外来語の検索には、日々更新されているので非常に重宝している。

多少語彙にこだわってブログ書くもよし、自己満足で茶碗ひねるもよし、我流で茶をすするもよしである。本日はこれから3年前に手術した大腸ガンの術後経過の検診に行く。生・老・病・死、仏教における人生の四苦と同居しながら歩む人生もまた楽し・・・。(秋になり私の好きなススキの穂が風にそよぐ季節がやって来た。勝田陶人舎・冨岡伸一)

茶飲み話・洒落

「これって、洒落た茶碗ね!」などと茶碗を手に取り言われると、心の中で「うん、この人わかってる」と思わず口角が緩む。そして「よかったら差し上げますよ」などと簡単に口走ることも。後日「あの茶碗気に入ってたんだよな」と後悔の念も少し。でも喜んで使ってくれればいいや!と納得し、またロクロに向かう。

しかし考えてみればこの洒落(シャレ)の美意識とは何ぞや?と頭をめぐらす。そこでググルと、洒落とは気質や言動があか抜けていて、物事にこだわらないこと、当世風で粋なこと。そして洒落の語源は、長い間日光にさらされて白っぽくなるという「晒る(さる)」と、たわむれるという意味を持つ「戯る(さる)」同じ読み方をする二つの言葉が語源らしい。

若い頃から「カッコよく生きたい」と漠然と意識してきたので、物作りにおいても洒落た作品には引かれる。世の中の大半の人々は精緻な物、あるいは美しい物に魅了される傾向が強いが、すこし天邪鬼な私はこれら単純によさがわかる作品でなく、どこか未完成であるが泰然とした作品が好きです。「なにこれ」と人に一蹴されるような作品でも、実はそれなりの境地があることも。

誰にも理解されない事を独り楽しむ。たとえ自己満足であっても自分が気に入ればそれでよし!という割り切り。べつに茶碗作って生業にするわけでないので、気分は楽チンだ。お金もらって茶碗など作ると、細部の不具合な部分が気になったりするのだ。焼き物は最後の行程を火炎にゆだねるので、窯に入れたらもう修正はきかない。でもこれが陶芸の面白いところでもある。

いっしょう未完な自身が作る未完成な器で茶を楽しむ!もうここまで来ると先を急ぐ旅でもない。ゆったりと流れる晩年の時の経過のように、気の向いた時節にロクロを回す。そのうち何とかなるでしょう。もっと洒落た器も生まれるでしょうと前の森の梢を拝む。(床の間に我が家の宗祖・法然御坊の掛け軸を飾って導きを願う・・・。でも人生って、ほんまよう解らんわ!勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・電気

「あ、ビックリした!」と思わずのけ反りソケットから手を離す。子供のころ濡れた手でコンセントにコードを差し込んだりすると、感電することが時々あった。でも最近の家電製品は感電することなど殆ど無い。しかし眼に見えない電気の存在は感電してみて初めて実感できるので、感電の経験などない今の子供達に電気の存在はどう理解されているのだろうか?

戦後も昭和20年代にはまだ部屋の壁に埋め込まれたソケット口などはない。そこで天井からぶら下がる裸電球を取り外し、そこに二股ソケットを捻じ込み上方からのコードでアイロンなどの電気製品を使用していた。松下電器が作ったこのソケットは当時爆発的に売れて、松下電器発展の礎となる。その後松下電器は日本を代表する大企業となったが、パナソニックと社名を変えると徐々に衰退していく。

もうひとつその頃の松下電器の製品をあげれば乾電池がある。当時の乾電池は今のリチュウムイオン電池と違ってすぐに電気がなくなる。すると乾電池のプラス部分を舌で舐め。ビリビリ感じるかどうかで電気の有無を確認した。実際に電気が残っていると、その反応があるのかどうかは定かでなく、たんなる子供達の迷信であったと思う。その後電池性能は格段に向上し、今ではスマホなどの普及に貢献している。

これから将来、電気の重要性はますます高まる。電気自動車の普及にAIやロボット、ブロックチェーンにメタバース、あげくは電気分解での水素による船舶や航空機までがモーター駆動になると、電気需要の高まりは計り知れない。一方大規模な太陽光パネルの無計画な設置は、景観や森林伐採など環境破壊をともなっている。

そこで最近ふたたび話題に上り始めたのは、原発再稼動と新たな小型原子炉の新設である。先日はイギリスとの共同開発も合意され、10年後を目安により安全で高性能な小型原発が日本各地に建設される予定だという。しかし安全だからといって、もし千葉県に原発建設が推進されたら賛同できるのか・・・?(ゴミ焼却場と刑務所、原発からはなるたけ距離をおきたい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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