茶飲み話・余生
こうしてブログなどを日々坦々と書き綴っていくと、時々言葉の選択にとまどう事がある。その中の一つに老後など「老い」の字がある。別にアンチエイジングを標榜しているわけでは無いが、できればこの「老」の字使用はなるたけ避けたい。十把一からげに老後などという言葉で簡単にくくると、ネガティブ思考しか生まれないのだ。
いっぽう充実した「余生」を送るなどと書くと、おなじ意味をもつ老後という単語より、だいぶイメージは爽やかになる。「なるたけ年より若く見られたい!」などと望めば、どうしても過剰な運動などで無理が生じるが「爽やかに生きたい」なら、少しの気遣いでよいので自然体でいられてる。
それと「年を取る」という言葉もあまり使いたくない。年を取ると綴るとどんどん寿命が減る一方で、丘に立ち二度と登らない夕日を望むような心境になる。ところが「歳を重ねる」と書くと、「摩訶不思議!」毎年毎年人生に経験の厚みが増し、その厚さが最大になった時に終焉がやってくる。すると「よーし、どんどんページを重ね、知識のかたまり広辞苑の完成だ」となる。
ところで広辞苑といえば近頃ほとんど見かけない。以前は私の本棚にもあまり手に取られることもなく本棚の文鎮のように鎮座していたが、いつしか昭和の時代とともに消えた。たぶん資源ゴミとして回収されたのだと想う。現在ではスマホのグーグル検索一発タップでなんでも検証可能だ。特に最近の流行り言葉や外来語の検索には、日々更新されているので非常に重宝している。
多少語彙にこだわってブログ書くもよし、自己満足で茶碗ひねるもよし、我流で茶をすするもよしである。本日はこれから3年前に手術した大腸ガンの術後経過の検診に行く。生・老・病・死、仏教における人生の四苦と同居しながら歩む人生もまた楽し・・・。(秋になり私の好きなススキの穂が風にそよぐ季節がやって来た。勝田陶人舎・冨岡伸一)