茶飲み話・民度

民度とはその国の国民の文化水準、マナー、行動様式などの成熟度合いを表す尺度である。近年日本人の民度向上が著しい。コロナ後にやって来た多数の外国人はおろか、私自身が痛感するのだから間違えない。10年ほど前まではペットの落し物も道路わきに時々見られたが、最近は犬を飼う人も減ったのか?見かけることはまれだ。側道にはゴミの散乱も少なく、落ち葉や吸殻が時々確認できる程度である。

「なにしろ街が静かで、清潔で、無臭になった!」私の子供の頃はもっと全てが乱雑である。砂利道を歩けば大声で叫ぶ子供の声、クラクションの音、側溝からの異臭、イヌの落し物など枚挙にいとまがない。それが今では下水が整備されてドブの臭いは消え、穴の開いた道路につまずくことも無い。交差点には信号機や横断歩道があり、人々は交通ルールをよく守る。そして家庭ごみも細かく分別され資源として回収される。

これらの変化は長年の行政指導もあるが、家庭や学校教育によるところが大きい。日常生活における人に迷惑をかけないためのルールが徹底し、それを遵守するのが日本人という認識が確立した。そのため赤信号では横断しない、列を作って割り込まない、ゴミのポイ捨てはしない、スイマセン、アリガトウなどの掛け声、コロナが収まっても外出時はマスクをするなどいくらでもある。

でも乱雑な人間関係で成り立っている外国からくる人々には、これらの日本人の当たり前の行為に違和感を覚えるらしい。摩擦が少なく機能的な社会であるが、なにか不自由で堅苦しいと感じるようだ。同じく乱雑な昔の日本社会で育った私たち世代は、彼らの気持ちは理解できる。しかし単純に比較すれば現在の対人関係の方が、過去よりもずっと生活し易いことも確かである。

最近日本人と全く逆で、個人のエゴを最優先するフランス人に親日家が増えているらしい。彼らの間でも「譲り合い精神」の日本は生活し易いそうだ。もしフランスのように通勤時間帯の駅で列を作らず入り口に殺到し、マスクもせずに咳き込む人が隣に座れば、それだけで一日が憂鬱になる。日本人が長年かけて培った日本の常識が徐々に世界にも浸透するとよい!(トップレベルの民度の高い国になった日本。でも貧しくなれば国は乱れる。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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