茶飲み話・世間
「さて今日は何の話題を書こうか?」などと思いを巡らせど、一向に頭に浮かばないこともある。そんな時は素直に漠然とした思考そのものを記述すれば良いのでは?ということで、今突然思いついた「世間」について綴ってみたい。世間とはインド発祥の宗教用語らしいが、現在では世の中や自分の交際範囲を示す言葉となっている。
「そんなことするとお前、世間様に笑われるよ」とは子供の頃、母親の口癖であった。でも私にはこの言葉の意味が今いち良くわからなかった。世間に様をつけ「世間様」、あるいは人に様をつけ「人様」とは母親が常に周囲の人々に配慮し、気遣って生活してきた証であると想う。しかしこの言葉は東京方言の一つだというので、母親のように東京のど真ん中で、隣近所密に生活してきた風習だったかもしれない。
子供のころ粗暴だった私は毎日のように近所の子供達とバトルし、生傷がたえなかった。そのつど赤チンを塗って終了なのだが、時々度が過ぎて深手を負わせることもある。すると母親はすぐに謝りに出向き詫びを入れる。そして立ち戻ると「人様に迷惑をかけるな、世間様に申し訳ない!」とコンコンと説教された。
いまでは世間様、人様などの謙譲語を口にする人もほとんどいなくなった。都会では長屋からマンション、そして億ションに建て代わると、隣に住む人との距離もどんどんと遠くなる。そして中国人などの外国人も多く居住すれば、世間様どころか挨拶もニイハオで、どこの国に住んでいるのか錯覚することがあるかも?最近首都圏の一等地がどんどん外国資本に買われている。
「ニイハオで思い出した」。先日中国のトイレ事情として紹介されていた記事を読んで笑った。一般的に中国の公衆トイレには壁もドアもないらしい。ただ和式便器が横に並んでいる。尻をめくり用をたす姿がお互い丸見えという。ニイハオと挨拶するので、これをニイハオ・トイレと呼ぶらしい。(秋深き隣りは何をする人ぞ。勝田陶人舎・冨岡伸一)