茶飲み話・幸福感

 

最近私のブログでは危機感を煽るような記述が多いが、別に平穏な老後に水を差すつもりもない。長年仕事柄、一歩先を見てトレンドを予測し、将来の対応などを助言してきた習性がぬけないのだ。でも一歩先の未来など誰にも分からない。所詮人生などなるようにしかならないと全てを受け入れ、達観して日々を過ごすことが出来れば何の問題もない。ところが底をつく財布を眺め、平然としていられる強いメンタルにはなかなか到達しない。

先行きを心配し不安感を抑えられずに現在を生きるなど、こんなつまらない老後など意味がない。人は誰もが幸福に生きる権利がある。人生金がすべてではないので、健康で好きな趣味などに没頭できればそれで良しだ!と生きられる人もいる。でも通常は貧困でも平然と生きられる人は少ない。江戸時代のように庶民はおしなべて貧困なら三食事足りれば愚痴も出ない。つい隣家と比較するので現状を臆することになる。

日本では昭和の末期に「1億総中流」という一瞬歴史的にみて、社会階層が消えた時代があった。とりあえず働けば誰もが豊かに暮らすことが出来たのだ。今のように超金持ちもいなかった半面、貧困世帯も目立たなかった。ところがその時をピークに再び日本社会は格差社会に戻ることになる。現在では金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏にの道を歩んでいる。そしてこれから先はこの傾向がより一層強まる。

そして近未来は新しく出来上がった社会階層が固定化し、一度落ちた貧困層から抜け出すことは殆ど不可能となる。なぜならば給与所得だけでは食べていくのがやっとで、富を蓄える余裕などなくなるからである。でも今はまさにその転換点でまだ間に合う、しかし数年後にはもう手遅れになる可能性が高い。「船が出るぞー」と声高に叫べど乗り遅れた船と歴史は二度と戻ってこない。

幸福感は人それぞれで微妙に違う。でも「お金で全ての幸福は手にできない、しかし不幸の原因のほとんどはお金の問題である!」という言葉は真実だ。これから世界的に金融危機がやって来る。半年先か数年後かは分からない。今は令和の米騒動で千円、二千円の話で盛り上がっているが、こんな少額なコメの値上がりで騒いでいては、これからの時代にとても対応できない。(年金額が上がらず、諸物価が毎年20パーセント以上も値上がりすればどうなるかだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

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