「働けど、働けどなお我が暮らし、楽にならざり、じっと手を見る」。この石川啄木の有名な短歌は、彼が明治時代に貧しい東北の寒村に育った環境から生まれたが、最近はなにかリアリティーを感じるのは私だけであろうか?つい数十年前までは日本も豊かで、サラリーマンとしてまじめに働けば家を購入し、奥さんも専業主婦で家族4人の生活が保障されていた。しかし現在では一人暮らしのサラリーマンでさえ、独身貴族などと呼べるほどリッチではない。
失われた30年と呼ばれた長いデフレ時代に、日本経済はほとんど伸びず気が付けば先進国の地位を滑り落ちている。最近ではお隣韓国にさえ平均賃金で追い抜かれるのではないかと危惧されている。これらの主な原因はバブル崩壊で不景気な時期に消費税や所時税を上げ緊縮財政にこだわり、思い切った景気刺激策を行ってこなかったためである。
「幸福の全てはお金では買えない。しかし不幸の殆どはお金が原因である」と言うが、確かに人々の日常生活が満たされていれば争いごとなどあまり起こらない。でも近年、女性も生活のためにフルタイムで働くようになると仕事でのストレスを抱える。すると些細な事で夫婦げんかが絶えず離婚に至る事が多い。今の若い人は仕事や家事で働き回るが、豊かさからはドンドン遠のいていく。
石川啄木の短歌のように身体を動かし、いくら働いても暮らしなど楽にならないのだ。じっと手など見てる暇はない。直ぐにスマホやパソコンを開き、世界の情報にアクセスしお金の流れを探るのだ。そして自らの預金を投資に回し、お金を増やす。でもこれは簡単な事ではない。豊富な知識と運が必要だ。なんとなく生きていればどうにかなった時代はすでに過ぎ去った。
世の中、二極化が激しく進んでいるが、労働と時間を売る勤労者は貧困にあえぎ、投資などでお金を増やすごく一部の人はリッチになる。ようは資本主義も終焉に近づき、マネーゲーム社会に突入している。最近小学生の投資サークルが活況らしい。子供がトヨタ株買って儲かったなどと語るのだ!(労働が神聖で価値を持っていた時代から、自動化が進み労働では対価が得られない未来へと進んでいく。勝田陶人舎・冨岡伸一)