早いものでこのブログを書き始めてそろそろ3年になる。最初テーマも決めず漠然と書き始めてみたが、連載をするうちに食べ物を通して戦後の日本人の日常生活の変遷を、振り返ってみたいと思うようになった。直近の今は伝染病で混乱しているが、去年までの日本人の生活は私が幼児だった70年以前と比べると、あまりにも豊かで便利すぎた。だがこんな時代がそれほど長く続くはずがないと、最低限の物資で生活した経験のある私は首を横に振る。近年のように地球が何億年もかけて貯めた地下資源を取り出し、増え続ける人口増に対応するために短時間で浪費すれば生態系など破壊されに決まっている。将来にわたっても人類がこの地球の留まり、持続可能な生活スタイルを考えてみれば敗戦後の生活のようにもっと物を大事にし、食べ物やエネルギーの消費を抑えて生活する必要があるのは明白である。
「奥さん、俺は先週練鑑(ネリカン・練馬鑑別所とは少年院)から出てきたばかりでねえ」と顔に傷のある怖いアンちゃんが風呂敷包みからゴム紐を取り出し、買ってくれと凄む!私が子供の頃は「押し売り」がよく家々を回って来た。当時のゴム紐は品質が悪く、パンツなどを履いているとじきにゴム紐が伸びてくる。そこで物を大切にしていた人々は、ゴム紐だけを交換しなるべく長く使用するので、ゴム紐はどこの家庭でも必需品であった。「ネリカン出てきたばかり」という脅し文句のセリフで、普通の主婦は高いゴム紐を買わされる。でも私の母親は京橋生まれの江戸っ子で威勢が良い「冗談お言いでないよ!」とタンかを切り押し売りを撃退した。なにしろ電話もパトカーもろくに無い時代で警察官もこの程度の事には感知しない。
私は中学は私立中学に進んだが、当時の公立中学は先生の言うことも聞かない悪童が地域により大勢いた。なにしろ人けのない道で、ナイフを出されて最初に近所の子供にカツアゲされたのが小学3年生の時だ。そのころは喧嘩による殺傷事件や恐喝が頻繁に起こる。すると警察に捕まり彼らの一部はしばらく少年院に入ることになる。「お前、麦シャリ喰ってきたか」聞いた話によると少年院ではご飯は麦飯で、独特の臭いがしたという。麦シャリを食ったかどうかは彼らのステータスで、お互いにそんなことを自慢にした。そこで伯をつけるためにわざわざ暴力事件を起こし、ネリカンに入る者さえいたのだ。でも近年は少年犯罪も徐々に減り、今ではそのネリカンの収容人数も当時の十分の一で、犯罪の多くも覚醒剤などだという。
令和に入ると日本の繁栄も終焉し、いよいよ歴史が巻き戻されていく予感がする。幼少期を思い出し記述することにより、こんな時代もあったのか?とこれからやってくる食難の未来と比較して欲しい。(勝田陶人舎・冨岡伸一)