先日我が家の玄関で5分前後の問答の末、妻がニコニコしながら二つのビニール袋を携え居間に戻ってきた。「こんなに貰ったから、ヨーグルト三ヶ月とる事にしたわ!」見ると中に牛乳と飲むヨーグルトが十数本入っていた。そうかやっぱりあのイケメンの若い牛乳拡販員の手に落ちたか!先日私が一人の時に、彼がサンプルで配ったヨーグルトの空き瓶を回収しに来た。「味はどうでしたか?三ヶ月でも良いですからヨーグルトとって下さい。」としきりに懇願されたが「女房に聞かないと私には分からない」と断った。しかしこの断り方が悪かったらしい・・・。再度の訪問となる。コンビニやスーパーで乳製品など何でも買えるこの時代に、まだ牛乳配達という職業が残っていること自体が私には不思議だ。
戦後も暫く経ち世の中が落ち着いてくると、牛乳販売店が街のそこかしこに開店し始める。その牛乳屋は店頭販売よりも主に宅配を収入源としていた。各家庭の門の脇には小さな牛乳箱が供えられ、毎朝その中に新鮮な牛乳が挿入される。でも牛乳配達は大変だった!まだ車やオートバイもあまり普及していない時代のこと、頑丈な黒塗りの自転車に1ケース50本程の牛乳2、3ケースを荷台にくくりつけ配る。特に門の前で重い自転車を止め、その都度スタンドを降ろす作業には力が必要だ。なので女や子供には出来なかった・・・。当時わが家では牛乳を取っていない。そこでその可愛いらしい牛乳箱を羨望の眼差しで眺めていたのだ。牛乳箱の色はメーカーにより異なり、明治は青、森永が黄色、フルヤが確か白という風にそれぞれが色分けされていた。
ところがこの目立つ牛乳箱を狙い、子供達の間で牛乳の窃盗が横行していた。早起きして家主が牛乳を取り出す前に抜き取る。私も年上のガキ大将に誘われて一度この窃盗団に加わったが、母親に見つかりこっぴどく叱られた。でも面白い話もあった。ヨーグルトがまだ出初めの時期で、その存在を知らずにいたチビッコ窃盗団の会話。「きのう小さなビンの牛乳を盗んで空けたら、中が腐って固まっていたから、おれ捨てたよ」「バカヤロー、それヨーグルトといって旨いんだぞ!」との年長の弁・・・。それから暫くすると私も実際にその凝固した牛乳(盗品ではありません)を口にした。「これかー?腐った牛乳って、うめえー!」ヨーグルトとの始めての出会いであった。
ヨーグルトが好きで、明治のブルガリアというアロエヨーグルトを常食している。こんにちヨーグルトの種類は沢山あるが、どれもドロドロで硬くない。昔のしっかり凝固したあのヨーグルトが懐かしくもある。
(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)