先週、高校時代の親友4人と勝田台の大利根という鰻屋で忘年会を行った。ここの鰻は価格も手ごろで、焼き加減も程よく年に数回は通う。入り口を入り天井の高い玄関から座敷に通されると「あれ!椅子になってる」と友人の声。見ると確かに畳の上に椅子席が置かれている。「これならいいや」と一同の笑顔。最近よく見かける四足の下の前後に、ソリのように板が付いた畳専用の椅子だ。以前この店は畳に座卓で、股関節が硬くアグラもかけない私にはけっこう辛かった。足を伸ばすと対面の人に失礼なので、中途半端に足を組むがなんとなく落ち着かない・・・。この日は鰻重の他に肝焼きも一本ずつ頼んだ。でも私は好きな肝焼きの串を手に取り口に含むと、いつも一つの疑問が頭をよぎる。
「どう考えても数が合わない気がする!」通常鰻重を頼むと必ずウナギの肝が1個はいった「肝吸い」のお吸物が付いてくる。鰻重には松竹梅の価格差のグレードがあり、梅にはこの肝吸いが付かない。でも殆んどの人は松か竹を頼む。1匹のウナギに肝は1個だけだ。すると肝焼きにするほど、ウナギの肝が余らないのではないかと勘ぐるわけだ。そこでネットで調べてみたら、「こんなくだらないこと私以外に感じる人がいました」それによると常時肝焼きがあるのは、身だけを売るスーパーや魚屋で肝を仕入れてくるのではないか?ということであった。やはりそうだよなあ!ぜったいにどう考えても数が合う分けない。
4年前、我が家では8畳の和室をフローリングに改装した。壁の色もベージュから弁柄色に変えたら京都の町屋風に変身したので、時々ここで客を招いて飲み会をする。50年以上前も父がこだわって宮大工に建てさせた家だが、総ヒノキなので今だにしっかりとしている。近所の住宅地を歩いていると、建て替えのため家を取り壊す光景を目にするが、もったいない気がもする。「日本人は古いものを大切にしない」と外国人からよく言われる。いちど失った技術や建物などは、再構築するのが難しい。これからは海外から多くの人が日本を訪れる。自宅に招く機会もあるだろう。その時に新しいが無国籍の家では感動も少ないのではないかと思う?
肝焼きの謎が解けたので、これからは何処から仕入れたのか分からない肝焼きは食べないことにする。(勝田陶人舎・冨岡伸一)