ソフトサラミ

列車がゆっくりと国境近くの操車場に入って行く・・・。もう二日間、モスクワからウィーンへ行く国際列車の寝台車の中で缶詰めだ!さすがに疲れてきたが、オーストリアのウイーンまでは、まだ丸一日の行程が残る。寝台車は四人部屋でモスクワから同行の山本君と、祭司服を着た二人のイタリア人神父さんである。食堂車のついてない車内での食事はそれぞれ別で、私はモスクワや途中駅で買ったパン等をかじる。一方神父さんの食事は豪華だ!持参した硬そうな丸パンとチーズやハムなどを切って食べている。なるべく見ないようにしていたが、貧乏そうな日本人の若者達が可哀そうだと思ったのか?その中のソーセージを切り分けてくれた。

「へー、これ最高に旨いねえ」山本君と顔を見合せてニッコリ。なんていう名のソーセージか分からないが、魚肉ソーセージくらいの太さで白っぽい色をしていて、味は柔らかいサラミのようだった。言葉が通じないのでとりあえずグッドだと礼を言った。「しかし何やってんだ、早く出発しようよ」列車の窓から下を覗くと、ソ連とヨーロッパでは軌道の幅が違うらしく、左右から伸びたアームで列車を持ち上げ車台を交換している。「なんでこんな大変なことをするんだろう?」隣にヨーロッパの軌道の列車を横付けして、乗り換えればすむことなのになあ。もう車台を変えるのに3時間もかかっている。

やっと作業は終了したらしく、列車が再び走り始めた。ヨーロッパに入ると徐々に風景が違ってくる。ソ連は平坦な白樺林が何処までも続き、家も少なく変化がまるでなかった。しかしヨーロッパに入ると山間部が多くなり、赤い瓦の家々が点在し、まるで絵葉書を見ているようで美しい・・・!いよいよもうじきウイーンに到着か。気持ちは高まるが、不安感も増してくる。スペインへ行く山本君ともそこでお別れだ。いよいよ見知らぬ土地で、異人種の中での一人旅が始まる!でもウイーンからパリまでは、また列車を乗り換えて丸一日もかかる。

半世紀近く前、ソ連経由でパリに向かった時の思い出。6年後イタリアで生活し、もう一度食べてみたいとあのソーセージ探してみたが、見つけられなかった。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

焼きオニギリ

自宅から5、6キロほどの距離のところに中山競馬場がある。ここには小学校の歩き遠足や自転車でもよく遊びに行った。当時は開催日以外は自由に中に入れたので広い場内は格好の遊び場であった。トラックの内側は芝生が植えられ、手入れが届き綺麗だった。遊びつかれて青々とした芝生に寝転んでいると、気持ちが良い。遮るものが全くない五月の快晴の空をじっと見ていたが・・・。「やばい!」思わず手で草を握り締める。急に空の中へどこまでも落ちて行きそうな錯覚に襲われた。「飯食うか?」突然、友だちが視界に入る。ゆっくり起き上がるると、彼の母親が持たせてくれた醤油の浸みた焼きオニギリを一つ貰い食べたが、広々とした空間で食べるオニギリ味はとても旨く感じた。

「キ、キ、キー!」ブレーキ音の後。「バリー、ガチャン!」後から坂を下る友達の自転車が突っ込んだ・・・!その帰り道、中山は坂が多い。当時は車も少なく皆で自転車で坂を駆け下る競争をする。すると友達の一人がカーブを曲がりきれず古い割り竹の垣根を突き破り、その家の縁側の先まで突進した。「あれー、どうした?」心配して止まって振り返ると「すいません!」と詫び、友だちが自転車を引きずり急いで、2メートルくらいポッカリ開いた垣根の穴から、すぐに飛び出してきた。「まずい、逃げろ!」一目散に逃げ帰えったがまるで漫画だった。思い出すと今でもふきだしてしまう。

しかし友だちの自転車は塀にぶつかった衝撃で、ハンドルが硬くなってしまったが、塀がブロックなどだったら本人が大怪我をしていたに相違ない!塀を壊されびっくりする家主の顔を想像するとおかしいが、我々の世代の男の子はみな逃げ足が早かった。喧嘩、悪戯も日常茶飯事、いつも生傷が耐えない。そのたびに真っ赤な赤チンを塗られる。私もいつも赤チンを塗っていたので、私は赤チンしか効かない体になってしまったらしい?いまだに透明なマーキロでは効きが悪く、なかなか化膿が止まらない。でもあの赤チンなぜなくなったのか?水銀が入っているから製造禁止になったという噂だが、あれは本当なのであろうか?

赤チンすなわちマーキュロクロム液は有機水銀剤の水溶液であるという。2019年についに全面製造禁止となるそうだ。

(千葉県八千代市勝田台。勝田陶人舎)

サツマアゲ

大きな石臼の中で杵がゴロゴロ音を立てて回転している。先ほど丸ごと投げ込まれた魚がみるみる細かく潰れて、ペースト状になっていく・・・。じっと見つめていると「はーい、お待ちどうさま」おばさんの声に呼ばれた。新聞紙で作られた紙袋のサツマアゲを受け取ると、揚げたてはまだ熱い。袋に染み出てくる油を気にしながら、急いで自宅に帰る。私が子供の頃、家の近くに「網虎」というサツマアゲ屋があった。ここではサツマアゲを手作りしていて、昼食のおかずにとよくお使い行っていた。特に小さな丸いカレーボールが大好きで喜んで食べていた記憶がある。しかしこのサツマアゲ屋しばらくすると繁盛していたのに店をしめた。最近ではこのサツマアゲ、オデン種でしかお目にかからないがサツマアゲも揚げたてにまさるものはない。

「伸ちゃんー、落ちたぞ!」昼食中に突然のえー坊の声だ。「すぐ行くー!」急いで飯をかきこみ外に飛び出す。道に出て見ると遠くでオート三輪が泥にはまり動けないでいる!この頃、我が家の前の8メートル道路の中央にはドブ川が流れていて、左右の側道は2メートル位しかない。おまけに砂利道で梅雨時など雨がたくさん降るとぬかるむ。ここをオート三輪が通り、脱輪してドブ川に落ちそうになるのだ。するとここからが我々ガキどもの出番だ。「危ないから退いてろ!」のおじさんの声を制して、オート三輪に近づく。何度もこの光景を見ているので、脱出の方法はおじさんよりも熟知している。

「まず、滑り止めに後輪の下に砂利を敷かなくてはだめだよ」道から砂利をかき集める。再度エンジンかけ試してみるが、後輪が滑って状況は変わらない。「それでは道板を車輪下にかおう」シャベルで後輪の前のドロを除き、探してきた板をかう。またエンジンをかけると、なんとかなりそうだ「あとは、皆でふっちゃげよう!」(持ち上げる、知らないうちに土方言葉なっている)通る人を呼びとめ皆で後ろから押すと、ようやくオート三輪は泥穴から抜け出した。そしておじさんは笑顔で去って行くが、この救出劇が面白くてたまらなかった。オート三輪が通るとドロにはまるのを密かに期待して見ていた。

手作りサツマアゲ屋は船橋駅前に大きな繁盛店があって、何回かわざわざ買いに行ったこともあるが、京成の船橋駅高架工事と共に店を閉めた。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

菜っ葉

「わー、すげえ!あんなに荷物いっぱい、担げるのか・・・?」かつて京成八幡駅から9時頃ローカル電車に乗ると、一番後ろの車両は一般人が乗車できない行商専用車両であった。成田方面から来る農家のおばさん達が、野菜やオモチ等を大きな籠やダンボールに詰めて東京方面に行商に行く。仕切られたカーテンの隙間から後部車両を覗くと、歓談しながら飲食したりとても楽しそうだ。電車が江戸川を越え東京都に入ると、それぞれ停車駅ごとに身支度を整えた数人が重い荷物を担ぎ徐々に降りていく。それにしても凄い荷物の量だ。体重50キロ位のオバアチャンが自分の体重の重さはあるだろう、荷物を担ぎ上げて平気で歩いていく。

オバアチャン達のテリトリーはほぼ決まっていて、それぞれ馴染の客がいるらしい。この行商は関東大震災の後から始まったらしく、もうかなりの歴史があるようだ。焼け野原の都心にモンペをはいて割烹着をつけ野菜を背負い届ける。この重要な役目はそれから数世代継承されてきた。車のまだほとんどない当時はこの京成電車が唯一の輸送手段であったのだ。宅配などが発達し必要性が減ってもオバアチャン達はずっと野菜を運び続けていた。でも最近気がつくと見かけないので、調べて見たら5年前に廃止されたらしい。「非常に残念だ、あれは千葉のローカル文化だったのになあ」はたから見ているとオバアチャン達は大変で可哀そうだと思っていたが、人との触れ合いを本人達は意外と楽しんでいたようだ。でもさすがに皆さん歳をとり、後継者などもいるわけがない。

京成電車はこの通称「菜っ葉電車」のおかげで、千葉の田舎電車とからかわれて来た。でも菜っ葉電車がなくなって、その泥臭いイメージが変わるのであろうか?しかし最近特急電車に乗ると大きな荷物の菜っ葉オバアチャンは消え、成田空港から都心へ向かう大きなスーツケースを引きずる、たくさんの外国人で混む国際列車だ。千葉県生まれで千葉県育ちの私としては、「落花生と酪農の田舎ちゃん!」この千葉県民のイメージ、好きだったのになあ・・・。交通機関や情報伝達網が整備され全国的に時間差や地域差がなくなっていくと、何処に行っても変わらない。それでは全く面白くない。東京都の隣に位置するが「チバの女がチチ搾り!」といわれ、酪農県の田舎者と馬鹿にされるぐらいのローカル性、大切にしたいですよね!

子供の頃、我が家には近くの農家のおばさんが、リヤカーを引き野菜の行商に来ていた。ところが周辺が宅地開発されると皆さん金持ちになり、離農していった。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

初鰹

「目に青葉山ホトトギス初鰹」これは江戸時代の俳人・山口素堂の俳句で正確には「目には青葉・・・」だそうで季語が三つも入っている、この俳句はかなりイレギュラーであるという。黒潮に乗り関東南岸を素早く通過するカツオの群れは、捕獲が難しく江戸時代は大変高価であったそうだ。江戸っ子は勝魚(かつうお)と縁起を担ぎ「妻子を質に入れても喰え」と非常に珍重したそうである。しかしこの初鰹を私はあまり好きではない。カツオの臭みと、油の無いさっぱりした味覚には魅力を感じない。昔の人は肉など食べなかったので脂分を嫌っていたらしい。当時はマグロも赤身が人気で油濃いトロは味が卑しいとされていたという。しかし現代人の我々は味覚が違う。

カツオも秋風の吹く頃、餌の豊富な北の海から丸々太って産卵のために南の海に戻る、下り鰹は旨い!トロの様なピンク色の身と、ネットリと油がのったその食感と味は、トロ好きにはたまらない。いぜん初鰹一匹を市場から買ってきて自分でさばいたことがある。カツオは大きいので捌くのが難しい。良く切れる出刃包丁でうまく捌かないと身がグチャグチャになり残念な結果に終わる。三枚におろしたら、刺身にする前に腹の部分にいるアニサキスという寄生虫の確認が大切だ!鯖、鰹、イカなどにはアニサキスと呼ばれる2センチ位の白い小さな線虫が寄生する。潜る力が非常に強いので人間の胃壁なども突き破る!イカは光にかざすとアニサキスの確認ができるが、丸まっていると分からないこともある。でも冷凍ものは死んでいるで大丈夫らしい。

[先日、何もなかった?」一緒に酒を飲んだ友達から数日後に連絡が入った。「大変だったんだよ」彼は続けた「あの日家に帰ると腹が痛くて七転八倒、急いで医者に行いったが先生に、何か青魚の刺身食べたでしょう?」と聞かれたという。「シメサバを食べた」と告げると。「原因はそれだな」と言い、薬を処方され飲んだらじきに回復したといっていた。そういえばあのシメサバ、酢の浸かりが浅く生のような状態であった。一言注意してあげればよかった。「良く噛んだ方がいいよと!」私はアニサキスのいそうな刺身は良く噛んで食べる・・・。これ刺身好きの常識!噛んでかみ殺せば別に飲み込んでも問題ない。料理人も良く見ているがたまには見逃すこともある。

鰹の刺身は生が良いのか?ワラを燃やし火で炙り皮に焦げ目をつけるか、二択であるが私は後者を選ぶ。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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