コッペパン

去年、市川市八幡の駅前中央通りにコッペパン専門店がオープンした。コッペパンとは日本で独自に進化した日本発祥のパンで、欧米にもコッペパンという名称のパンは存在しないという。今の時代コッペパンだけで商売になるのか?と思っていたら開店して暫くは列を作り混んでいたが、最近では閑散としている。コッペパンを焼き、それを縦に切ってジャムなどのいろいろなペーストを客の好みで塗るだけの、比較的安易な商売だ。パン屋にしては設備も簡単で場所も取らないし売れれば悪くない。コッペパンや食パンは子供の頃からよく食べた。とくにコッペパンは安くて大きいので腹のたしになり人気があった。しかしパンの種類が多くなるとコッペパンは時代と共に消えていく。

むかしはコッペパンにはなんと言ってもイチゴジャムである。でも当時のイチゴジャムは本物のイチゴは高くて使えず、寒天など何か他の材料で作られていたと思う。不自然なあの赤色は食紅で着色され、トロミのある柔らかな透明なペーストはただ甘いだけの元祖擬似食品で、実際にはイチゴなどほとんど入っていなかった気がする。イチゴ無しのイチゴジャムはイチゴの味など殆どしないので、私は余り好きではなかった。しかしそれから少したつとピーナッツバターが新たに登場する。イチゴジャムよりバターの様なコクがあり、私もこのピーナッツバターはコップパンに塗って良く食べた。一時は人気沸騰したが、これも最近ではあまり見かけない。

「へー、そんな食べ方あるのか?」当時、姉が通っていた市川第三中学校の公売のパン屋では、コッペパンにアンコを挟むのが人気だと言う。それを聞いて私が驚いていると、「アンパンの大きいのよ」そうかアンパンの大きいか?なんとなく想像がつたいた。「あんた男が、そんなことで驚いちゃだめだよ」先じつ隣の鈴木君のお弁当を見て、姉は本当に驚いたそうだ。彼がお弁当の蓋を開けたら真っ黒だった「なにー、それ!」見るとベッタリとご飯の上に全面アンコが塗ってあったという。「ひゃー、ご飯の上にアンコか!」これは本当にびっくりですね、お姉さま・・・。しかしこれもオハギの大きいのと思えば有りですか?

今と違って食材不足のむかし、いろいろとユニークな弁当を持ってくる子もいたようだ。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

ポルケッタ

ラーメンには焼き豚!それも煮豚でなくこんがり焼いた焼き豚が良い。以前は街の中華そば屋でも外側に赤い食紅と八角を塗って焼いた焼き豚が入っていた。しかし今では手間がかかるので殆んどが煮豚で、あの側の赤い焼き豚には横浜中華街以外では余りお目にかからない。ところでイタリアの肉屋では子豚の丸焼き、「ポルケッタ」を店頭で焼きながら販売していることがよくある。子豚を丸ごと一匹串に刺し回転させながらこんがりと焼く、ちょっと可哀そうな気もするがこれが実に旨い。店先を通るといつも匂いにつられて素通りできず、つい買ってしまう。それをファストフードのように袋から手づかみで、暖かいうちに食べ歩きをする・・・。ところで家主の家はどこだろうか?地図を片手に捜し歩いた。

日本に住んでいるだけでは分からないことは結構ある。日本人の海外での評判もその一つだった。私は29歳の時にイタリアに一年間住んでいたが、そのあいだに宿を三度変えた。そのたびに不動産に行き空き室を紹介してもらう。当地では家主の許可も必要なのでメモ書きされた家主の住所を尋ね、面談しパスポートを提示する。それを見た家主はニコニコして日本人は大歓迎よ、二つ返事で部屋を貸してくれた。当時イタリアでの日本人の評判はすこぶる良かった。家主が言うには日本人は約束を守るし、家賃の支払いもきちんとする。なおかつ部屋を汚さず入った時より出る時のほうが綺麗なくらいだ、ともまで言った。

だから日本のパスポートを見せれば部屋が空いているのに、家主が貸し渋ることなどまずない。日本のパスポートは水戸黄門様の印籠か?「このパスポートが目に入らぬか?ははー!」だそうで自国民より優先するという。しかし同じイタリア人でもナポリから南の人は殆ど断るのだとか。家賃は遅れるし、突然引っ越して家賃を取れないこともしばしばだという。日本人の次に優先するのは、アメリカ人(アメリカ人は支払いが良いが、部屋をそこそこ汚す)と北部イタリア人、その次にヨーロッパ諸国の人、それからアラブ人、最後に黒人と南部イタリア人だと話していた。ペルージアには語学学校あり世界からイタリア語を習う学生が集まっていたが、黒人などは部屋をなかなか借りれず何人もで雑居していた。

当時は韓国や中国人などの東洋人は殆んどヨーロッパに来ていなかったので、現在の状況は分からないが、日本人の評判が良くないとは聞いたことが無いので、パスポートを見せれば、状況は今もあまり変わらないと思う。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

居酒屋

ケーブルテレビの旅チャンネルで放映している、日本居酒屋紀行という番組はよく見ていた。全国の歴史ある居酒屋や個性的な居酒屋を太田和彦さんが訪ね歩く番組だが、酒好きにはたまらない。時間と金があったら自分も是非一度やってみたいと思う。その土地ならではの、地酒と肴を味わい軽くコメントをする。「なんと贅沢な道楽だ!」でもこの居酒屋という呼び名、私の若い頃はほとんど耳にしない言葉であった。当時は単に飲み屋、赤提灯、焼き鳥屋、ビヤホール、小料理屋などと呼び微妙な感覚で分けていた。しかし1980年代に飲み屋の大手チェーン店が居酒屋と称されると、語呂がよいのか?いつのまにかみんな居酒屋と呼ぶようになった。

でも最近、個人経営の居酒屋が減ってきた。バブル崩壊以降に進出し始めた一部の安価な居酒屋チェーンが急速に出店を拡大し、地元の個人経営の居酒屋を駆逐していった。大手のチェーン店の居酒屋は明朗会計で、広い店舗で個室のように隣との仕切りもあり使い勝手は非常によい。昔は鮨屋でも飲み屋でも明細のレシートがないのでお会計はいい加減で「なんでこんな値段なの!」と思うことが度々であるが顔なじみになると、ツケもきいて金がなくても酒が飲める便利さもあった。(今の若い人はツケのきいた時代などは全く知らないであろう?)店側もたまには貸し倒れもあるので、その分上乗せすることもあったようだった。

「釣はいらないよ、家でも買っておくれ!」これは昔、飲み友達であった先輩山ちゃんの口癖である。彼とはお会計は基本割り勘にはしない、必ずはしごするので交互に払う。値段の高低は微妙に調整していき、千円二千円のつり銭はチップで渡す。(とり合えずかっこつけて帰る)一昔前の飲み屋での金銭感覚は通常こんなもんだが、今はではすっかり変わった。去年その山ちゃんと久しぶりに飲んだが、よく行った居酒屋に入り昔話に花が咲き旧交を温めた。しかし会計は割り勘で、お釣りは十円までしっかり受け取って帰った。当然今では店主の世代も変わり、ツケなどきくわけない。

むかし飲み屋にはいると「いつもニコニコ現金払い」という張り紙が良く見える所に張ってあったが最近はこの張り紙、見かけることはない。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

ズッキーニ

いまズッキーニはどこのスーパーの野菜売り場でも普通に見かける。この野菜はイタリア料理が定着した後に、少し遅れて日本の市場に登場したわりと最近の野菜である。パスタのトマトソースをたのむとこのズッキーニが入っていることが多い。ズッキーニはイタリヤの野菜でキュウリに似た外見だが、水分が少なく食感は固めのナスのようだ。油を吸い込むので炒め物や、ズッパ(野菜スープ)に入れると旨い。ズッキーニとは二個以上のときの複数形なので、本当は単数形のズッキーノと言うべきなのに、なぜか日本ではズッキーニという複数形が定着してしまった。今もズッキーノと書いて変換ボタンを押しても変換されず、ズッキーニと入れると変換される。

「ズッキーノ!」とイタリアの子供達はよくこう叫んでいる。これは(カティーボ、ばか!)に近いことばで[バカヤロウ!」という意味の日常よく使う言葉だ。人のイメージとは面白いもので人種、民族を超えて共通しているイメージ言葉もある。日本人でも「ウリ野郎、ドテカボチャ、ボケナス」と言われたら、当然バカにされたと感じる。そのた最近使われるピーマンは頭が空っぽのことで、フィノッキオこれはセロリに似たイタリア野菜でイタリア語では同性愛者ホモの隠語だ。だいたい野菜にたとえる呼び名にはろくなものがない。人に言われて良いイメージの野菜などあるのだろか?と考えてみると大根、ゴボウ、ナス、ニンジン、白菜、キャベツ、ウドと全部だめか?

去年アメリカの大リーグで、日本から移籍したダルビッシュ投手が相手チームの選手に目じりを指でつり上げる侮辱行為を受け、問題になったことがある。これは一般的に東洋人は目がつり上がっているので、東洋人を見下す行為である。私はこの行為を一度イタリアでやられた経験がある。むかしミラノの街のバス停でバスの来るのを待っていた。すると5,6歳の女の子がわざわざ私の目の前に進み出て中指で両目じりを吊り上げた。なんだこのバカはと思ったが「ズッキーナ!」(女の子なので語尾がAの女性形)と心で罵倒し目をそむけた。遠くで親がこちらを見ていたが知らんぷりを決め込む。まさか親に支持され、わざわざ近寄ってきたとも思えないが、異人種の中にいればこんなこともたまにはある。

写真はパスタにも使える深めの皿。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

餃子

しばらく食べてないと食べたくなる物の一つに、ラーメンと共に人気のある餃子も入るのではないかと思う。その餃子で浜松と宇都宮が消費量日本一を競っているというニュースを去年テレビで見た。以前焼き餃子のルーツを中国に訪ね歩くというテレビ番組を見たが、どうもそのルーツがはっきりとしない。本場中国では餃子は全て水餃子で、焼き餃子は殆ど存在しないというのだ。焼き餃子は中国では残り物のイメージしかなくまともな扱いをうけないらしい。何年か前に日本の焼き餃子専門店が中国に出店したが、数年で撤退したことがあった。結局その取材でもはっきりとした結論はでずに番組は終了したが、推測によると戦前に満州の何処かで食べられていて終戦後引き上げ者が、日本に持ち込んだらしいということだった。

焼き餃子は我々が子供の頃は中華料理店のメニューにはなかった。私が焼き餃子と初めて対面したのは60年近く前の小学生の高学年の頃、中野のおばさんの家へ遊びに行った時のことである。昼時に従兄弟のお兄さんに、「伸ちゃん、美味いもの食わしてやる!」と連れて行かれたのが、中野駅近くの中華料理屋だった。(当時まだ焼き餃子を出す店は無く、私の記憶ではたぶん中野周辺が焼き餃子の発祥の地ではないかと、勝手に推測するのである)店は混んでいたが初めて食べる餃子の味の美味しさには、びっくりした記憶がある。それから数年たつと急速に焼き餃子の人気が広まり、次第に地元の普通の中華料理店のメニューにも加えられるようになった。

半世紀近くも前、北欧からシベリア経由で帰国する列車の中で知り合ったデンマーク人のマリアンヌという女性と知り合う。彼女は出版会社の特派員のボーイフレンドをわざわざ日本に尋ねるために来日するという。帰国後に鶴見に住む彼ら滞在先を訪ねたり、自宅に呼んで交流していたが夕食の時間になったのでなにが食べたいか?彼女に聞いてみた。するとその答えが意外にも「ニョーザ!」。「え!なに?もう一度いってよ」。「ニョーザ」。「ああギョウザか!」餃子なら安くていいやと駅近の中華店に連れて行った。「なんで餃子なんか知ってるの?」と聞いてみると、彼と川崎の餃子屋には数回行ったそうで餃子が大好きだといっていた。

最近では外国人の皆さんも餃子が人気があり、中国でも流行る可能性があるという。ラーメンの次は焼き餃子のグローバル化もありそうです。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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