茶飲み話・コオロギⅡ

 

最近チマタではコオロギ食の是非が話題になっている。先日、河野大臣がコオロギを試食したあと、将来の食糧危機に対応するための有効な手段であると語ったとか?彼のあいかわらず独断と偏見は一部の保守層から批判を受けている。そもそも日本は少子化なので、よほどの天変地異でもない限り食糧危機など起こらないのではと願う。

コオロギ食を推進するほど食糧不足が心配なら、人口減少はむしろ望むところである。いっぽう過激な環境保護団体の主張は、牛や豚の飼育は動物たちが二酸化炭素を多く排出するので抑制し、排出量のほとんど無いコオロギ食を奨励すべきと訳のわからないこと言う。それならいっそ増え続ける人類を、地球規模で削減するほうが早い。特に教育の行き届かない後進国の人口爆発は、食糧難による争いごとの絶えない未来を予感させる。

「給食のカボチャコロッケにコオロギパウダーがねりこまれていた」。というニュースが先日報道された。「え、ホント!」とびっくりだが、徳島大学と連携するコオロギパウダー・ベンチャービジネスの会社が、地元高等学校の給食にパウダーを提供したという。これに対し父兄からは猛反対の声が上がり、学校も戸惑っていた。

コオロギはエビ、カニなどと同じ甲殻類アレルギー源を持っていて、不用意に食べるとアレルギー反応を起こすらしい。実は私も甲殻類のアレルギーで多く食べるとジンマシンができる。いま無印良品ではコオロギ入りのクッキーを売っていて人気だというが、個人的にはこんなもの喰う人の気が知れない。

今からもう70年以上前の戦後、まだ幼児だった私の自宅近くには稲田が広がっていた。そして秋になると黄色く色づいた稲穂には大量のイナゴがとまる。まだ食糧難であったので、これを捕まえ炒って食べるという人もいた。しかしそれから数年たつと、イナゴが突然消える。原因は農薬散布の開始である・・・。(コオロギ食う前に増え続けて問題になっているクジラを喰えばよいのでは?団塊世代は学校給食の鯨肉を喰って腹を満たした。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・盆栽

 

年を重ねるとなんとなく興味をそそられる趣味の一つに盆栽がある。陽だまりの縁側に腰かけ、手元の盆栽にハサミを入れる姿を描けばその顔が、紅顔の美少年であるはずもい。でも私は若い時からなんとなく盆栽にひかれ、一本の枝の選定にゆっくりと時間をかけ楽しむのもありだ!などと考えていた。そして今まさに、盆栽が似合う年齢に到達したのである。

「でも昔からある盆栽づくりでは面白くない。何か自分なりの切り口はないか?」と考えたあげくたどり着いたのが、お金や手をかけずに自然まかせという方法である。運よく私の工房の頭上には隣の森から伸びた高い木々がそびえ立つ。そしてこの梢からは数種類の木の実や種が秋になると風に乗って運ばれてくる。これを土で満たした盆栽バチで受け取るのだ。

放っておくと盆栽バチには実生の苗で満たされる。そこで時々適当につまんで間引く、実に自然まかせの気長な剪定である。おかげで田園風景を投影する冨岡オリジナルの盆栽が具現化されるわけだ。そして年を経るごとにその閉じ込められた風景は醸成され、目を細めてサイドから眺めると深い森の姿と錯覚できる程になれば面白い。

先週ふと思いついて明治神宮を訪れてみた。自身にとっては半世紀ぶりの訪問なので神宮の森の木々は大きく成長し、原生林の姿へと変貌していた。そして参道を百メートルも進むと都会からは隔絶され、八百万の神が宿る神道の世界へと誘う。そこはわずか百年前に建立された寺社とはとても思えない風格を持ち、静寂で清浄な世界であった。

40代の頃には仏教にひかれ人の生死などを考え続けたが、最近では神道の世界に魅了される。神道の素晴らしさは日々の生活、行動などを規定する教義が希薄なことである。行動様式など規定しないから、日本人は自ら他者との距離間を考え、他人に迷惑をかけないことを前提に独特の人間関係を構築してきた・・・。(写真・上から落ちてきた欅の実生が勝手に芽吹く、数年後が楽しみだ。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

茶飲み話・大谷イズム

 

先月のWBCワールドベースボール・クラッシックでの日本チーム優勝以降、日本人の間でMLBすなわち米国メジャーリーグのテレビ視聴が、大変な人気である。日ごろニュース以外ほとんどテレビを見ない自身も、エンジェルス大谷君の出場するゲームは時間が合えば、欠かさず見ることにしている。この傾向はなにも日本に限ったことでなく、他国でも同様なので恐れ入る。

大谷君の魅力は何もピッチャーとバッターの二刀流での並外れた活躍だけでなく、その大柄で端正なルックスと、彼の人柄からにじみ出る言動にあると思う。バッターボックスに立てばゴミを拾い、ベースに滑り込んで相手の野手のユニホームを汚せば、砂をはたいてあげたりもする。これらすべての行為が自然に出来るので、彼の人気がますます高まるばかりだ。

「郷に入っては郷に従え」の諺もあるように、通常日本人は他国などに行くとその国のカルチャーに準ずる行動をする。一年であるが短期イタリア留学の経験を持つ私も、帰国する頃にはイタリア人の真似をし、身振り手振りのオーバーなジェスチャーを交えての会話を心掛けた。この心理の根底には、どこか欧米に対するコンプレックスが潜んでいたのではないかと思う。

しかし大谷君は違う。アメリカに行っても礼儀作法など日本人の精神文化を決して曲げない。試合中にクチャクチャガムを嚙むこともなく、ヒマワリ種の殻などを吐き出すこともない。確かに欧米は日本より乾燥した気候なので常に喉が渇く。そこでまめな水分補給やガムなどをかんで口の渇きを癒すことになる。でもガムやヒマワリ種は、礼節を重んじる日本人にはなじまない。

「スポーツ史じょう初めて侍魂をアメリカにもちこんだ大谷君!」これに対する評価は非常に高い。最近大谷君によって日本文化が再評価されている。日本人の礼儀正しさやマナーの良さ、おもてなしの心、気遣いなどだ。今まで異質とされてきた日本文化に海外の人々が学ぼうとする、ジャパンスタンダードも起こりつつある。(兜までベンチに持ち込む大谷君の日本文化啓蒙ミッションに対する期待は大きい。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

茶飲み話・磁石

 

私が小学生の頃、教材やオモチャとして注目されたのが馬蹄の型をし、プラスマイナス、赤と青で塗り分けられた磁石である。理科の授業でも使われたこの磁石を、校庭の砂場に持ち込み表面を滑らせると砂鉄がつく。この砂鉄をむしり取り紙の上に乗せ、下から磁石を近づけると砂鉄が躍る。なんとも不思議なこのマジックが私は大好きであった。

「ところがだ!」ある日、クラスで隣の席の川島君が長方形の小さな棒のような磁石を学校に持参。今までに見たこともない数個の磁石をくっ付けたり、反発させたりとマジックのし放題!「その磁石俺にもくれ」と頼むと「家に来ればやるよ」との返事だ。そこで私は当時、南八幡の田んぼ隣にあった磁石工場隣接の彼の家を訪れた。二人で遊んだ帰りに彼から手渡された数個の棒磁石はしばらくの間、私の宝物であった。

時代が変わると今その磁石は、電気自動車や風力発電のモーターなど脱炭素化に必要な、重要素材として非常に注目されている。ところが高性能な磁石に必要なネオジウム、サマリウムコバルトなどの希土類はほとんどが中国で産出し、独占状態になっていた。もともと高度な磁石を作る技術は我が国のメーカーが保有していたが、いつのまにか技術を盗まれ今では彼らの後塵を拝している。

「それ見たことか!目先の利益に目がくらみ中国などに進出すると、いつも彼ら罠にはまる」。あろうことか中国は先日これらの技術を中国が独占し、輸出禁止にすると宣言した。こうなると困るのは西側諸国のEVメーカーなどである。磁石がなければ電気自動車の量産は難しい。狡猾な隣国にすり寄ればいつも約束は反故にされ卓袱台返しに合う。

「でも心配ご無用!」日本地図を広げると、硫黄島の東側に南鳥島という小さな離島がある。そして最近この島に近い深海では希土類など磁石に必要なレア・アースが大量に発見された。政府もいよいよ来年度から発掘に乗り出すので、期待がふくらむ・・・。(日本の領海には魚など水産資源のほかに様々な鉱物資源も眠っている。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

茶飲み話・2025年

 

「いやあ、ここだけの話、かなりヤバイことになりそうですね!」常に時代の流れに興味を持ち、それを職業にしてきた私も、最近の世の中の動向はほとんど予測不能になってきた。少し考えただけでも懸念事項が多すぎるのだ。皆さんが信頼しているテレビなどのマスコミは真実を軽視しスルーする。そこで本日は私が考えている近未来、起こりえる諸問題を列挙してみた。

(1)観光客激増にまぎれこむ周辺独裁国家からの移民、難民の流入。(2)チャットGPTなどAIの急激な進化による雇用の喪失。(3)中国の台湾進攻にともなう戦争への巻き添え。(4)インフレによる円の価値減価。(5)医療の進歩による高齢者の激増。(6)税収不足による増税。(7)南海トラフなど大規模地震や富士山噴火の自然災害。(8)後進国の人口増や大規模災害による食糧不足。(9)電機などのエネルギー減。(10)二酸化炭素排出による地球規模での温暖化。

とまあ、思いつくだけでも軽く10を超える。「そんなこと心配していたら生きられんわ」との声も聞こえるが「備えあれば憂いなし」の諺もあるので心の準備は必要であると思う。年金世代にとって一番身近なインフレも怖いもので、一度進行し始めると、皆さん安いうちに物を買おうと買いだめを始めるので、モノの値段は増々上がっていく。先日まで1パック、100円の卵が気が付けば300円になった。そのうちまた下がるだろうと高をくくるも、もう元の値段には戻らないかも?

そこで考えうる対策を列挙してみると、食料備蓄や防災グッズなどの準備。自家発電機や蓄電地、電気自動車での電源確保。医療機関での定期的な健康チェック。一か月分位の手元現金。目減りする銀行預金を「貴金属」や株式、海外債券などに一部分散。頼れる友達や親戚などとの交流。地方の疎開先確保や農家との親交及び自家菜園など列挙すればきりがない。

歴史的に大きな転換点になるだろうと言われてきた2025年も、早いもので二年後にせまっている。戦後から80年そろそろ世の中、いつ大混乱が起こっても不思議でないサイクルに入ってきた。今朝も一杯の抹茶をすすりながら、戦後混乱期の記憶などをたどる昨今である。(どんな混乱でも1年もすればなんとなく収まるので、過度な心配はご無用かもね。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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