シラタキ

新たな年の始まりを祝うお節料理も、三日目になるとそろそろ飽きてくる。そんなとき恋しくなるのがスキ焼き鍋であろうか?すき焼きはもちろん柔らかい高級和牛霜降り肉の旨さにつきるが、今日は脇役であるシラタキについてチャットしてみよう。「牛肉の隣にシラタキは置くな!」と牛鍋好きであった父親によく注意された。「でもあれって、本当なのか?」ずっと疑問を抱いていたが最近まで、言われるとうり親父の忠告を守っていた。ところが先日こんな記事を目にする。「牛肉を硬くする成分はコンニャクには含まれていません」。「そうだよなあ、やっぱりそうか!]日本コンニャク協会が実験により、この因果関係には根拠が無いことを発表した。でもなぜこんな風評広まったのか?たぶんコンニャクを固める際に使うカルシウムに原因あるようだ。

ところで話は変わるが、シラタキと糸コンニャクの違いはご存知だと思う。シラタキはトコロテンのようにコンニャクを押し出す。糸こんにゃくは薄く切ったコンニャクをさらに細く切り、糸状にしたものとだいう。用途の違いは多少あるがシラタキの方が柔らかく味がしみこみやすいので、すき焼きにはシラタキの方が向いているという。でも最近ではシラタキも糸コンニャクも、太いの細いの様々あり、あくまでも食べる人の好みだという。でも近ごろスーパーなどでは中国産のシラタキが多く入荷しているらしい!よく原産地表示を見ないと中国製をつかまされることもある。コンニャクはアクや匂いが強いので、なんとなく中国産は敬遠したい。

またコンニャクやシラタキはダイエット効果があるということで、いま世界中で急速に普及しはじめているという。イタリアでも最近パスタの代わりにシラタキを使うことも流行っているらしい。ビーフンならともかくシラタキのパスタなどいただけないのではないか?ある情報誌によるとインドネシア、タイ、ミヤンマーなどの熱帯地方に行くと、コンニャク芋は野生でいくらでも自生しているという。でも住民はコンニャクの毒抜き方法を知らず、現地では全く食べられていないと聞く。コンニャクは日本以外では、中国南西部の雲南省など一部の地域で昔から食べられていて、魔芋と呼ばれているそうだ。やはり多くの人が食中毒に罹り魔芋なのか?

以前コンニャク畑という一口で食べられるコンニャクゼリーを喉に詰まらせ、何人かのお年よりが亡くなった。メーカーが大きさを小さくしたらこの事故も減ったとか。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

初詣

あけましておめでとう御座います。本年もよろしくお願いします。新年を向かえまた一つ歳を重ねる。「ふーむ、余命はあと何年あるだろうか?」などと漠然と考えてしまう歳になりました。「いやまだまだ。気を取り直してお互いに前向きにいきましょう」さて新年を向かえると我が家では雑煮のあと二日目には、必ず先祖供養の墓参と、浅草寺への初詣を恒例の行事としている。五世代前から浅草周辺に住みつき浅草寺の氏子であった我が家では、何かにつけて浅草寺に願掛けすることが伝統になっている。浅草の観音様は霊験あらたか!私も物心ついて事あるごとに観音様に願掛けしたが、何時も思いをかなえてくれる。この行為はわが娘へと引き継がれ、昨年私が病で伏した折には急いで観音様のお守りを!と枕元にとどけてくれた。

高齢化社会を向かえ何かと身体を病むことの多い時節、ホームドクターを持つことは非常に大切なことであると思う。それと同時に全般的に宗教心の薄い日本人はいざと言う時、精神的なよりどころとなるホームテンプル(懇意の寺院)を持つことも大事なことであろう。そこでホームテンプルには頻繁に参り、日頃から深い縁を結ぶことが肝心である。馴染になればホームドクターもホームテンプルも対応が違ってくる。神仏も人情、頻繁にやって来る人は可愛いに相違ない?我が家の菩提寺は法然ゆかりの本郷にある浄土宗清林寺であるが、個人的には浄土真宗の親鸞の教えにも傾倒している。彼は加持祈祷(祈りによる願掛け)などは迷信として認めず。宗教者としては異例の立場を貫いた。でも現世の願い事などの願掛け。時にはよいのでは!

参拝では何かと問題になるのが靖国参拝であろうか?私も昨年自分の意思で始めて靖国神社に詣でてみた。久しぶりに訪れたその境内は広々として清浄で、凛と張り詰め霊気を含んだ境内は神々しくさえも感じられた。この靖国神社には硫黄島で玉砕した私の叔父も祭られている。しかし彼の遺骨はもちろん遺品なども全く無く、本当の死亡地さえはっきりとしないらしい。そのため兄であった父親も靖国に詣ることは殆んどなかった。私の父親は大東亜戦争にも出征せず、反軍国主義の立場を維持していたので、軍人が祭られている靖国参拝はたぶん抵抗を感じていたのだと思う。そして今年で戦後75年余、天皇陛下も歴代の首相も公には靖国参拝を控えている。

新年そうそうなんとなく暗い話題となりました。今年アメリカでは中間選挙が行なわれる。かつて日本を太平洋戦争へと導き、原爆投下した民主党ルーズベルト大統領。むかしから民主党政権下では日本はろくなことが無い。頑張れ共和党!(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

年の瀬

いよいよ慌しかった令和元年もあと数日で終わる。私的には年の後半に健康を害し、ひと月ほど入院するはめになったのが強いインパクトとなった。古稀も超えると体のあちこちにガタがくる。これを通称老化というが本人にはその自覚がないのが困りもの。気持ちはずっと若いままでいようとする。でも実際にはその気持ちや思考も体と共に歳をとっているのだ。三十代の頃の気持ち戻りたいと思えど、それはあくまで我々が生きた時代の三十代である。実際に今をリアル生きる三十代の働き盛りは、我々とは異なる情報と環境の中で暮らしている。そのためその価値観や行動様式も我々の世代とは全く別であると思う。特にスマホなどSNSの急速な普及に伴う情報伝達手段の進歩は、勤労者の就業方法や意識まで変えた。

先日雨が降っていたので姫路駅からタクシーに乗り、得意先へ行くことにした。その道中運転手と世間話をしていると、彼は顎でフロントガラスの上部に設置された監視カメラをしゃくり、「いつも監視されているんですよ!以前は暇な時は昼寝も出来たんですがねえ。」と一言、若い頃を懐かしんでいた。タクシードライバーに限らず、スマホによるオンラインと監視カメラの普及は便利と安全は担保されたが、就労の気楽さと自由裁量はどんどん消えていった・・・。我々世代も仲間が集まり景気のよかった働き盛りの頃に話が及ぶと、お互いにバブルの頃の武勇伝を披露しあう。「俺がよう、年末に銀座のクラブで客を接待、終電がなくなり客のためにもタクシーを拾おうとする、おーい止まれ!」と必死で万札をかざし手振るも、タクシーが捕まらなかったなどと。

その頃はタクシードライバーの接客態度も最悪。言葉遣いもぞんざいでドライバーの機嫌をとりながらの乗車であった。特に近距離では行き先を言ったとたん急に不機嫌になる。当時はタクシーも客を選べた時代で、行き先を聞いてからドアを開ける不届き者もいた。しかし最近では違う。タクシーの利用客も減り、客数が減少すると「ワンメーターでもよいから利用してください。」ということになってきた。近距離の利用でもあからさまに態度に出すようなこともない。でもタクシー乗り場で30分も並んで客待ちしたあげく、ワンメーターでは実際の商売は上がったりだ。口には出さないが不満であることは確かである。その上ほとんどの客がつり銭を受け取るようになった。

日本の素晴らしいことの一つにチップの無いことをあげる外国人は多い。海外ではサービスにはチップが必要。オモテナシを売り物にするわが国は安全、清潔、サービスはタダ!でもこの我慢比べの良き慣習が我々日本人を清貧の時代へと導く。(今年もご購読ありがとうございます。では良いお年を!勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

白菜

「白菜の四分の一カットが69円」スーパーに並ぶ冬野菜の代表でもある白菜のこの価格、安いのか高いのか・・・?テレビ取材での記者と店長の会話を聞いているだけでは、日頃買い物をしない私にはさっぱり分からない。でも昔に比べると食材としての白菜の重要度はずいぶんと低下してきている気がする。最近は白菜は鍋物に入れる程度で、漬物では余りお眼にかからない。私の子供のころ、白菜は冬になると三度の食事に添えるオシンコの定番であった。我が家ではシーズンには、いつも切らさず鉢に入った白菜の漬物がちゃぶ台に置かれていた。まだ米飯が主食で一汁一菜の当時、三杯もお代わりする食べ盛りの子供達には当然オカズがたりない。そこで重宝するのが白菜の漬物であった。

その頃毎年秋も深まると、八百屋の店頭には沢山の白菜が並ぶ。これを5,6個買い求めて自宅で母親が漬物に加工する。白菜の漬物作りは簡単、使い古した木の樽にカットした白菜を並べ塩を振る。これを何段かに重ね落し木蓋を置き、上から子供の頭サイズの玉石を乗せれば完了で、数日経つと塩水が染み出てきて白菜の漬物の出来上がる。私は白菜の漬物は浅漬けが好きだった。塩辛くなく白菜の甘みさえ感じるこの浅漬けなら、ご飯が進んで何杯もお代わりした思い出もある。しかし時間が経過すると漬物はだんだん酸っぱ味を増してくる・・・。以前隣家からオミヤゲだと韓国キムチのおすそ分けがあった。「やはり本場のキムチは旨い!」と妻は言うが私はこの韓国キムチがにがてだ。辛さや酸っぱ味はまだしも、魚など各種投入するので生臭く乳酸菌以外の菌も!二の足を踏む。

最近日本では各家庭で漬物を漬ける習慣がほとんど無くなったが、お隣韓国では晩秋に一家総出で、キムチを漬けるのが年中行事である。キムチ手当てという特別ボーナスも支給されるそうだが、日本と同じく少子で核家族の今でも、キムチ漬けが盛んなのかどうかは知らない・・・。先日大掃除をしていたら、母の代に使われていた梅酒漬けのガラス容器が床下から出てきた。中には何十年も前の干からびた梅が入っていたが、腐るでもなくそのままの姿を留めていた。今さらながらアルコールの腐敗防止効果に驚く。すると隣に意外な物を発見!庭石のような玉石二つ。「ふう、これは漬物石か?よく今まで捨てずに残しておいたな!」とつぶやき不必要になった玉石は庭に戻した。

玉石でも何かの役に立つ。「漬物石にもなりゃしない!」これは家でゴロゴロ何もしない亭主をむかし奥さんがなじった言葉。でも今では若い夫はマメになりこの語句も死語に。(勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

マスコミ

最近電車の中で新聞や週刊誌を開いている人が減っている。殆んどの人がスマホとニラメッコ!むかし話し声がうるさく閉口した数人で下校する高校生までが、会話するでもなくそれぞれがスマホに注目している。これでは当然雑誌など紙媒体も売れるわけない。そこで存続の危機を感じた週刊誌などマスコミが注目したのが、有名人のゴッシプネタを徹底的にえぐり出し、話題を自ら提供することである。狙いをつけた個人を刑事よろしく徹底的にマークし薬物、不倫、汚職などを調べ上げて公表する。この標的となったのが安倍首相夫妻と最近では沢尻なんとかいう、イカレポンチ女優である。この女優が薬物で廃人になって死のうが、我々には全く関係がないのに、なぜかサクラの会の国会追及の只中に大きく報道される。

最近私もそうだが若い人を初め、マスコミの発信する新聞、雑誌、テレビなどの情報を信用しなくなっている。彼らが発信する情報はその編集者の考え方やイデオロギーなど個人の好みや会社の都合できまる。メディア側の一方的な情報操作で大衆は管理できるとずっと彼らは考えてきた。しかし今ではネットなどスマホやパソコンで情報が飛び交い、その当事者の情報源をたどれば直接発信者の生の声が聞けるようになった。なにもマスメディアにより歪曲された映像や記事などを見る必要も無い。自社の利益や思考を優先して、中立公平で正確に情報を伝えるというマスコミの本文を忘れると、個人はますます偏向報道のマスコミを離れネットに向かう。そこで購読者維持のため週刊誌などは、より刺激的なスクープを探し魔女狩りを続ける。

近年テレビ、新聞、雑誌などマスメディアの重要性が希薄になり、各社その対応に苦慮している。そこで手っ取り早いのがイケニエ捜しである。まず週刊誌がゴッシップを暴く、するとテレビ局がその情報に乗り炎上させる。そして政治ネタは野党政治家が「待ってました!」と問題を取り上げて国会で追求する・・・。いまこれは暗黙の連係プレーのようで、国民の目を世界の重要事項から遠ざける手段とも思いたくもなる。マスメディアはビジネスなのでまだしも政治家はこの国をどうするか?国民から託されている。週刊誌ネタに後から追随しているようではあきれて、思慮深い国民はどんどん野党から離れていく。

そろそろ政治もAIに任せる検討を始めたらどうか?皆さんが求める清廉潔白で公平な適任者など人間では存在しない以上、汚職、利益誘導、不倫などしないAIロボット政治家の登場をまつしかないのでは。(経済ではトレーダーなど重要部署はすでにAIに変わってます。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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