紫蘇

「ウォー、凄い!」突然の物音に驚いて、高い梢に止まっていたたくさんのオオカバマダラ蝶が一斉に飛び立った。「こんな光景みたことがない!いったい何万匹ぐらいいるのだろうか?」いずれにしても凄い数だ。(実際にオオカバマダラを見たわけではないが、その蝶はメキシコのミチョアカン州の一箇所に集まって越冬する。)この時蝶たちの羽ばたきにより風が起きた。この僅かな微風が周りの空気に伝わり、それまでとは違った風の動きを作り出す。そして徐々に大きなうねりとなって気象に変化をもたらすと言う。これをカオス理論といい、取るに足りない最初のほんの微細な出来事が、その後全体を揺るがすような大きな出来事に発展していく原動力になるという。だから気象、経済、人生などもなかなか予測が難しく混沌(カオス)としている。

人生でも「もしあの人と、偶然あそこで会わなかったら自分の人生は、全く違った方向に向いていたのではないか?」と思うことが誰も一生のうちに何度かは経験していると思う。この出会いは必ずしも、よい出会いばかりではないのだが!半年ほど前オウム真理教の麻原初め実行犯が処刑されたが、その死刑囚の一人が「自分は何故あんなことをしてしまったのかが分からない」と語っていた。多分大学などで、信者に軽く入会を勧誘された程度の事が始まりだったと思う。それが麻原と知り合い邪悪な深みにどんどんと落ていき、社会を揺るがす大事件の首謀者になってしまう。本当に人の出会いとは恐ろしい。

しかしもしその人に正常な判断力や思考力が備わっていれば、すぐに麻原の魂胆を見抜いて、入会する前に去って行くことも出来た。知らぬ間にズルズルと引きずられて、一部の若者は判断力を失った・・・。良い縁を人と持ちたいと思ったら、まず自分の立ち位置や心がけが大切である。人を上手く利用してなんとかよくなりたい!などと邪悪な欲を持つとろくなことが無い。同じような人種が集まり自分が食われる・・・。「人は匂いで嗅ぎ分ける!」香りの良い人は自分を幸せな気分にしてくれるが、うさん臭い人はどこか異臭がするものだ。でも歳をとると臭覚もにぶり鈍感になる。「臭覚を鍛えましょう。」正当な臭覚を持ってればオレオレ詐欺にもかからないですむ。

香りといえばシソの香りも良い。植えた覚えもないシソの様な植物が紅葉した。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

英字ビスケット

戦後70年以上も経つと本当に世の中の価値観が変わってきている。日本人という定義もそうだ。ついこの間までは「日本人は単一民族なので、国としてのまとまりがある」などと公に言われていたが、今こんなこと議員が言ったら人権問題で大変なことになる。でも戦後ずっと増えてきた国際結婚は最近では減る傾向にあるというのだ。国際結婚の難しさなどがクローズアップされ、内向きになってきたのか理由はよく分からない。でもいま日本には様々な人種やその子弟も多く住む。日本に住んでいて国籍が日本なら日本人という認識も大分広がってきた。以前の様な人種差別的な言動も殆ど見られない。

「この子って日本人なの?」かつて欧米の語学学校などに視察いくと、日本人のアイデンティティーを捨て、欧米になりきろうと努力している日本人の女の子もよく見受けた。語学研修を受けているうちに徐々に、思考やジェスチャーもアメリカ人そっくりになる。日本文化など聞かれても、総じて日本の事は何もご存知なく興味も持たない・・・。でも最近ではこの様な脱日本人の若者も減っているらしい?逆に内向きで余り外国には興味を持たない。確かに日本は清潔で住みやすいし、日本人の慣習、思考、美意識などは世界から注目されている。しかし彼らが学ぼうとしている日本文化を正しく継承し、それを伝えるために英語を話す必要もある。

我々戦後世代は欧米人に対しどこかコンプレックスを持っていた。これは小さいころ進駐してきたアメリカの政策による所が大きい。日本文化や歴史観の全面否定教育により、自国に対する自信が持てなくなり、アメリカ崇拝の念を植えつけられたためだと思う。子供の頃のトラウマは大人になっても中々抜けない。英語を話す人は偉い人というバカバカしい感覚がどこかに潜んでいて、彼らの顔を見ただけで臆する気持ちが先立った。でも中国人などはこのような感情は無く、どんどん話しかけるので英語がじきに上手くなる。言葉はコミニュケーション手段なので、話さないと始まらない。外国に行かないので英語など話す必要が無いと、開き直っても外国が日本にやって来る・・・!でも一方では翻訳機も劇的に進歩している。

子供の頃、英字ビスケットとういお菓子があった。なんということは無いシンプルなローマ字型を抜いたビスケットで、これで食べながらABCを学んだ。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

鰻のスープ

「なんだよこれは?」目の前に出された白いスープに、日本人の友だちと顔を見合わせる。イタリアミラノの靴学校に研修に行っていた時のこと、昼食にはいつも近くの同じレストランに通っていた。するとその店のルイジという名のシェフと知り合いになった。そこで日本から持ってきた醤油の小瓶を差し出しボトルキープをお願いすると、「べーネ!」と快諾してくれた。それから我々がテーブルに着くと、料理と一緒に醤油ボトルを持ってくる。パスタには醤油を少しかけて食べたりしていたが、ある時彼から素晴らしい提案があった!どこで聞いたのか?「日本人はウナギが好きなんだってなあ!今度ウナギの料理、作ってやるから!」とにっこり笑った。

ミラノでウナギの蒲焼が食えるのか?楽しみに待っていると、数日後出てきたウナギはなんと白いスープ仕立て!見ると中にはウナギのぶつ切りが煮込んである・・・。「そうだよなあ、蒲焼など出てくるわけが無い!」期待しいた俺達がわるい!恐る恐るスプーンで口に含むと、奥からルイジがじっとこちらを見ている!目が合ったのでウナギをすくい上げガブリと食いつく・・・。笑顔で旨いというジェスチャーをすると、納得顔で厨房に消えた。友だちが「旨いか?」と聞くので、まあまあだと答えたが「油っこいウナギにミルク入りの濃厚なスープはどうだろう?」と首をかしげた。

私はウナギ好きで毎年、新年に成田不動尊にお参り行くと必ず昼食にはウナギを食べる。成田山の参道には沢山のウナギ屋が並ぶが、その中でも私が立ち寄るのが山門の左手にある駿河屋というウナギ屋である。ここのウナギは非常に旨い!仕事が丁寧で、見た目も美しく身が柔らかでふっくらしている。そしてウナギにかける山椒もまた格別だ!通常山椒の粉は茶色だがここのは緑色で、香りも強く見た目も美しい。会計時にはこの山椒をついでに買って帰り、牛肉料理などにも降りかけている・・・。ウナギを食べると「ああ!日本人に生まれてよかった。」とつくづく感じる瞬間でもある。

最近では外国人もウナギの蒲焼を好む人が多くなった。ウナギの完全養殖が普及する日の来ることを願うばかりだ。(千葉県八千代市勝田台。勝田陶人舎)

 

秋風

私が今まで生きてきた半生で、いつの時代が良いかったか?と聞かれればそれは迷うことなく、30年前のバブル崩壊に至る前の時代を上げるだろう。確かに当時は私も働き盛りで歳も若く活力に満ち溢れていたが、それよりも会社の終身雇用や賃金、社会保障制度などが今より充実していたと思う。日本人は単一民族で一億総中流などと称し、累進課税も強く大金持ちもいなければ貧乏人もいない、どこの家庭でも大体右並びでそこそこ豊かにくらしていた。ところがバブルとベルリンの壁が崩壊すると状況は一変してくる。特に鄧小平の中国が改革開放政策を打ちだすと、その巨大な安い労働力が自由主義市場へと流入してくる。すると労働集約型の多くの仕事と富が日本から中国へと流失していった。

「ええこの靴、これで5千円か?」今まで一定の値段で売られていた靴や衣料品などの労働集約型の商品や雑貨などが、どれも値崩れを起こし安く買えるようになった。このことは消費者にとっては歓迎すべきことであるが、同時に国内の手仕事も減る。大資本のコンビニなども激増し、個人商店や手作業などで生計を立てていた人は転業を迫られた。就職氷河期と呼ばれる時代がおとずれ、日本は失われた20年になる。この間に累進課税がゆるくなり金持ち優遇税制が実行され、消費税が導入される。そのご会社が儲かっても利益は役員の給料と内部留保に回されて、一般従業員の平均給料はほとんど昇給しない時代が続いている。金利や物価も上がらないので、ある意味バランスは取れているのだが。

そして時の自民党政権が、このような構造的な景気の問題を根本的に考えることなく、景気刺激策として膨大な公共投資に資金を投し続けてたため、国はいつの間にか巨額の財政赤字を抱えることとなった。現在赤字国債を含め年間90兆円の国家予算が立ているが、その十倍以上の借金があっては将来年金など福祉に回せるお金も滞る・・・。現在は科学技術などの進歩によりどんどん便利な時代になっている。しかし働く人間にとっては薄利でノルマもきつく、祝日が多い割りには実際には労働時間も短縮されてない。一人の男が働いても家族を養えないので殆どが共働き!女性も子育てと仕事のストレスを抱えて大変だ。もし家族の(幸福度指数)というものがあって指数をはじき出したら、もう日本はとっくに峠を越えて下り坂だと思う。

もうすぐAI、ロボットがあらゆる職場に進出してくると、10年後には簡単なルーティンワークなどの仕事はなくなる。今度は中国人でなくロボットに仕事を取られる・・・!さて、明日はどんな仕事をすればよいのか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

カマキリ

先日、トルコのイスタンブールのサウジアラビア領事館で同国の反体制ジャーナリスト、カショギ氏が生きたまま体を切断され殺害された。最近高齢のサルマン国王の変わりに政権を掌握し始めたムハンムド皇太子は、非常に野心家で彼の政敵になりそうな人物をことごとく追放し始めている。そのような行動を批判したためにカショギ氏もまた消された。サウジアラビアはイスラム原理主義の国家でイスラム法により厳格に国家が運営され、女性差別や言論弾圧が続いている。しかしこの国は世界二位の産油国で日本を初め多くの国々では、この国の原油供給に頼っているため、声を大にして批判も出来ない状態である。民主主義国家で言論の自由を標榜するアメリカのトランプ政権もなんとなく及び腰であるが、彼自身もまた独裁者の資質を持っている。

今世界を見渡すと言論が弾圧されている独裁国家が実に多い。中国、ロシア、北朝鮮、シリア、サウジアラビアなで多くの国々で政権の批判などは出来ない。しかし民衆の間ではスマホなどネットによるコミニュケーションは活発に行われている。でもこれが政権批判などに向くとすかさず弾圧の対象となる。どうもこれからのネット社会は民主主義の進展でなく、独裁主義管理体制の維持に都合のよいシステムであるということが、徐々に明らかになりつつあるようだ。その試金石は中国の周金平政権で、AIやネット社会をうまくコントロールすると逆にその言論統制を強めることが出来るらしい。

中国の目覚しい経済発展は周主席の世界制覇野望の基、国民が一丸となって突き進むエネルギーがその原動力になっている。誰にも批判できないので素案の決定が早く、いちいち議論などする必要も無いので効率が良い。人の良い安部首相がつまらないカケイ問題など、些細なことをいちいち答弁してるうちに、中国はどんどん海外の技術を盗み取り国力を高めている。なんでも話し合って決める民主主義ははなはだ効率が悪く、優秀な独裁者にはしょせん勝てないかも・・・。尖閣を差し出し昔の様にまた距離的に近い中国に遣唐使を送り、アジア人同士中国の子分になってに生きるほうが日本人にとっては平和かも?またはアメリカと組んで民主主義を守り抜き、今までどうり米軍基地を残しアメリカに頼って生きるか?近い将来本当の意味でその決断を迫られる日が来る。

人類の歴史の中で民主主義などフランス革命以降300年、日本ではたった70年である。高速で変化するこれからの時代、治世にとって本当に民主主義が効率的で理想なのか疑問も残る?気がついたらカマキリがもうそこにいるのだ!(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

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