つくし

なんとなく日差しも強くなり、春の気配を感じるようになると土手などの陽だまりに顔を出すのがツクシとヨモギである。子供の頃はツクシを摘んで帰り額の部分を取り除き熱湯で霜降って、お浸しにして食べた記憶がある。しかし最近では殆んどツクシなどお目にかかったことがない。今の若い人はツクシを食べたことない人が多いのではないか?ちょっとほろ苦く日本酒のツマミには良いと思う。ヨモギは摘んできて餅に入れ一緒に杵でつくと、草団子になりアンコを絡めれば最高に美味い。むかしヨモギまだ早春の野菜不足を補うクスリとしての健康食品でもあった。柴又の亀屋本舗では草団子が有名で以前は参詣のおりによく買って帰ったが、そういえば最近はずいぶんご無沙汰である。

何年か前にテレビで見た話だが、春になると野山に出かけては野草を摘み、片っ端から天麩羅にして食べる俳優を取材していた。ノートにきちんと写生し食後の味の感想などを記入すれば趣味というよりも、これはもはや研究に近いと思う。事前にトリカブトなどの超ヤバイ毒草さえ憶えておけば、何を食べようがあまり問題はないだろう。昔トリカブト事件という妻三人と次々に結婚しては保険金目当てに、トリカブトを食べさせ殺した恐ろしい男がいたが、たまに腹を下すのもサバイバルと思えばなんてことない!とまあ自分は野草採取などしないので、勝手なことを言っているのであるが。

でも野生の葉で一つ食べてみたいのがカイコの食べる桑の葉である。桑になる赤い実は食べられ、何回か摘んで口に入れたことがあるが、味はベリーのようだった。でも葉っぱもカイコがあれだけ夢中になって食べ、白く丸々と太る葉だ。美味くない分けがない。実は桑の葉は体によく、乾燥させ桑茶にすると健康によいらしい。桑の葉にはアントシアニン、ポリフェノールが大量に含まれていて、老化防止や高血圧にも良いという。かって屋根裏でカイコを飼っていた農家の人話よると、多くのカイコが桑の葉を夢中になってバリバリ食べる音が、天井裏から聞こえてくる言っていた。カイコが奏でるオーケストラどんな音を奏でるのか一度聴いてみたい気もする。

写真は自作のツクシの絵の角皿と桑の葉を写した箸置きです。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

焼き物

一般的に焼き物と称する器には磁器と陶器があるが、この区別をはっきり理解している人が意外に少ない。まず原料が違う。磁器は磁石という白い石を砕いて粉にし、水を加えて粘土状にしたものを使用するが、陶器は川や湖の底など泥沼地に溜まった粘土層が、地殻変動などで隆起し、地層となって現れた土の粘土が原料である。

粘土が原料の陶器は土器から進化し、どこの国でも昔から作られてきた。いっぽう磁器は中国が発祥だ。景徳鎮をはじめ磁石の採れる一部の場所で秘密裏に作られてきた。中国が戦乱で混乱すると、代替品として(秀吉が朝鮮出兵の時に鍋島藩など、九州の藩主らが朝鮮から連れてきた、陶工に焼かせていた)伊万里など磁器がヨーロッパに輸出されはじめる。

その後ヨーロッパでも自国生産を目指し王室の保護の下、研究開発が進められマイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ウェッジウッドなど独自の磁器が登場する。今日では磁器の製作はヨーロッパの方が盛んでブランド化もされている。

写真の上が自宅にあるマイセンの皿。下は自作の陶器の皿。この両極端の二枚の皿を良く見比べて欲しい。精巧な型を作り磁土を流し込んで成型し、薄くて完成度の高い美を追求した磁器。自然との一体感大切にする日本人の感性をイメージして、厚くザックリと製作した陶器。料理や用途などによっても違うが、日本料理の基本は食材を過度に手を加えず、自然の味や姿を生かすという。天ぷら、刺身など代表的な日本食を盛ったとき、さてどちらの器が合うのだろうか?(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

ワイン

「たかがワイン、されどワイン」である。世の中のお酒でワインほどボトル一本の値段に開きのある飲み物はないのではないか。先日友達と工房の帰りにサイゼリアに行きメニューを眺めていると、どの料理も値段がリーズナブル。「なんとデカンタワインの値段が400円程とある」そこで私は好きなピザと赤ワインをたのんだ。通常イタリア人はワインをゴブレットなどでちびちび飲まない。大き目のグラスコップに注ぎ大胆に飲む、それだけワインは彼らにっとっては日常的でカジュアルな安い酒である。日本人は欧州ワインといえばフランス・ボルドー産を連想し、高級品でよく味わって飲むものだと思っている人が多い。

確かにワインの値段はピンキリで幅がある。たまにフレンチなどの高級レストランに行くとワインの注文には悩む。ワインリストを見て頼むのだが、ワイン通でもないので知っている銘柄などほとんどない。赤ワインはポリフェノールを含み健康に良いそうで最近は赤を注文することが多いが、レストランでワインを飲むと酒代が高くつくので困る。酒好きが何人か集まりれば当然ボトル一本ではすまない。何本も注文すると請求が料理代よりも高くなることもあるが、それでいてまだぜんぜん飲み足りない気分で帰る。高いワインボトルは料理の口直しにゆっくりと味わうもので、酔うための酒ではないのだろう。

「しかしサイゼリアのワインのこの味、どこかで飲んだ記憶がよみがえる」かつてイタリアのペルージアという町で語学研修を受けていた頃、休日に車で友人と郊外にドライブにいった事があった。途中で小さなワイン醸造所を発見!立ち寄ってワインを買ったが、ここのワインは量り売りだった。ラベルもなく普通のワインボトルに樽から直接うつすが、値段は一本分で300円ぐらいで安い。四本買いこんで三人で飲んだが、記憶がなくなるほど酔っ払った。このワイン、イタリア語ではヴィーノ・ロカーレといいローカルワインのこと。イタリアにはこのような小さな醸造所が沢山あるが、作る量が少ないので地縁程度で消費されているという。

サイゼリアは私の住む市川市の本八幡が発祥であるので40年も前からなじみがあるが、今後ともがぶ飲みできるワインの提供宜しくお願いします。(

千葉県勝田台、勝田陶人舎)

「梅は咲いたか桜はまだかいな、柳やなよなよ風しだい、山吹や浮気で、トテチリツン、色ばっかりしょがいな・・・」。寒い日が続くが部屋の二階から、道路を隔てた隣家の庭を見ると、梅の木に花がちらほらほころび始めている。梅の花を見ると浮かれてついこの唄を口ずさんでしまった。我が家では両親や妻の母親も小唄が好きで、宴があるとよく三味線を持ち出し、今のカラオケのように順番に小唄を歌っていた。むかし父が私に「お前も将来お座敷に行くこともあるだろうから、無粋にならぬように小唄を最低でも三曲は憶えろ」と言われて覚えたのが(虫の音、お伊勢参り、腹の立つとき)である。小唄を憶えて準備万端整っていたが、この歳になっても今だにお座敷への誘いがなく残念である。

私の父親は明治38年生まれで16歳の時の祖父をなくすと、直ぐに家業を引き継ぐことになった。当時我が家は日本橋三越の呉服誂え方の出入り業者として刺繍業を営んでいたため、職人さんやお弟子さんなど十数人をかかえていたという。そのため最初は職人さんも言うことを聞かず大変だったらしいが、商売が軌道に乗ると、金が自由に使えたのでお座敷遊び始める。そこで習い始めたのが日本舞踊と小唄だという。歌舞伎も好きで演目が変わるごとに三越から入場券が自動的で回ってくるので見に通っていた。だから芸事には精通している。戦後も姉達を連れ歌舞伎座には時々見に行っていたが、私が同行したのは数度きりである。

以前は私の仕事場があった浅草の観音裏にも料亭はそこそこあったが、最近ではマンションなどに建て替えられている。しかし浅草見番(芸者衆の取次ぎ場所)では、着物ショーなどを外国人観光客に見せるお座敷芸として、存続を模索しているようである。またデザイン事務所のあった浅草今戸から桜橋を渡るとすぐの界隈には向島の料亭街があり、向島見番の前を通ると三味線を稽古する音色が響いたが、近くにスカイツリーが出来た最近では様変わりし、どうなっているのかは分からない。街と一緒に伝統的な唄や踊りのお座敷文化まで消えていくのは、日本人として寂しい気がする。

写真は抹茶を飲むときに干菓子を乗せる梅の絵の小皿。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

「月も朧に白魚の篝もかすむ春の空、冷てえ風にほろ酔いの心持よくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽、ねぐらへ帰る川端で、竿の雫か濡れ手で粟・・・。ほんに今夜は節分か・・・。こいつは春から縁起がいいわえ」これは皆さんも良くご存知の歌舞伎の演目「三人吉三」お嬢吉三の名セリフだが、節分が近づくとなんとなくウキウキこの口上が頭をよぎる。昔あるとき父親が「お前、濡れ手に粟の意味分かるか?」と聞いてきた。父の説明によると「濡れた手で粟」とは濡れた手で粟粒の中に手を入れると、粟が自然に手にいっぱいくっいてくる。労せずして手に入はいという意味だといった。江戸時代は粟や稗は常食していた。しかし最近では五穀米以外めったにこの粟には、お目にかかったことがない。

ところでこの粟であるが、昭和40年代位まで日本各地の山間部では食べられていたそうであるが、現在では粟を常食することはまれになったという。粟は作付けが容易で冷害にも強く気候変動の激しくなる将来には、また粟の常食などを検討すべきではないかと思うこの頃である。粟も粟餅で食べるとけっこう美味いそうだ。京都には澤屋という有名な粟餅屋があるといい、ここの粟餅は絶品で是非一度食べたほうがよいとの推奨の声が多いが、機会があったら寄ってみたい。コウリャンは戦後食糧難の時代に配給になり、母親がパンにしたが幼児だったので喰い逃した。

私の父は大の歌舞伎好きであった。子供のころ父と風呂に入り湯船に浸かって気持ちが和むと、登場するのがこのセリフだ。何回も聞いていると私もこの口上をそらんじてしまい、父の真似をして口をひん曲げ、一緒に朗じていた。子供がこのセリフを役者の真似をして語るのを想像して欲しい。かなりおかしいと思う「しがねえ恋の情けが仇・・・・・」ほかには切られ与三郎のこのセリフも面白かった。ところであの黄色い小さな粟粒は我々の世代ではなじみが薄いが、いつか濡れた手で大量の粟粒の中に手をいれてみたい。いや宝くじでも買って労せずして大金が手に入れば、老後の生活も金色に輝くのだが!

写真は50年程前の秋田のなまはげのお土産節分なので乗せてみた。

(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)

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