茶飲み話・雪谷の白バラ

「雪が谷の白バラ」というエピソードを若い頃、父親から聞いたことがある。それは昭和初期、千代田区神田に住んでいた父親が、週末の住まいとして購入した目黒区雪が谷の別邸に滞在していたときの話だ。その家は坂道の途中にあり、低いほうは土塁が築かれ土手になってたという。そしてその上には写生のためにと、真っ白いバラが植えられていた。

ある時、道に出てみると校帽に黒い学生服を着た二人の青年が土手に這い上り、バラを数本手で折り取っている。それを見た父親は「トゲが痛いだろう?」と下から突然の声賭けをする。ヤバイ!二人はギョッとして、逃げようと身構えた。すると父親は笑顔で「チョッと待ってな」と宅に戻り携えた花バサミを手渡す。「好きなだけ切りなさい」と・・・。

「たったそれだけでよいの」。二人は5,6本のバラを切り取ると土手から飛び降り、恥ずかしそうに一礼してと坂道を下っていったという。去っていく二人の後姿を見送ると、入隊の時期が迫るのか?不安がよぎったという。満州事変などでそろそろ日本がきな臭い時代に突入していった頃である。雪ガ谷の白バラ、彼らの愛の告白のお役に立てたら幸いなのだが。当時は多くの学生達が恋愛も成就せず、人目につかない一輪のバラのように戦火に散った。

バラといえばなんといっても最初に頭に浮かぶのが文豪ゲーテである。彼ほどバラを愛し、そしてバラが似合う男も少いと思う。私の青春時代のある時、小説家志望であった先輩が「ゲーテはバラのトゲが原因で亡くなったんだよ」。彼の説明によるとゲーテは恋人へのプレゼントにとバラを素手でおり、指に刺さったトゲから破傷風菌が進入し死亡したという。

「カッコイイ、死に方ですね。さすがゲーテ!男の死に方としては最高だ」。私は反応し二人で盛り上がった思い出がある。でもこの話あくまでも作り話で真実ではないらしい。バラの花がいつから愛の告白と同意語になたったかは知らないが、気がつくと最近のバラの花束にはほとんどトゲがない。(写真・父親の雪ガ谷バラ・デッサン。帯などの刺繍の下絵に使った。勝田陶人舎・冨岡伸一)

 

 

 

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