家業が三越の呉服部の職先だった関係で、私は頻繁に母親に連れられて日本橋三越にかよっていた。そのため三越本店は子供の頃からの私の遊び場でもあったのである。当時三越の売り場構成は記憶を呼び起こすと、地下の食品、一階の服飾雑貨から上の階に順に婦人服、紳士服、呉服、家具や電気製品、書籍や大食堂、美術工芸、貴金属などの配置になっていたと思う。母が納品や依頼品の事務処理をしている2時間、ひまつぶしに各売り場を見て回る。そしてその中でも特に気に入っていたのが七階の熱帯魚売り場と、屋上の出入り口近くに仮設されていたペット売り場である。そこではまだ珍しかった海外からの輸入したての小鳥やインコなどを展示販売していた。
また三越のある室町から日本橋を渡ったすぐ向かいには、白木屋というデパートもあって三越に飽きると、ここにもよく遊びに行った。白木屋も階毎の売り場構成はだいたい三越と同じ、ただし屋上のペット売り場には赤いオウムがいた。このオウムがまた良くしゃべるので面白い。「オタケさん」と話しかけると「こんばんは」とかとんちんかんなことを言い返してくる。しかしあるとき姉がどこかで聞いたのか「白木屋のオウムに誰かがいたずらでミツコシと教え続けたら、ミツコシ、ミツコシとしゃべるようになって、そのオウム業者に返品されたらしい。教えたのはあんたじゃないよね?」と冗談に言ったので私は否定したが、悪戯心がわいてきた。
さっそく翌週、三越に行くとペット売り場に駆け上がったが三越のペット売り場にはオウムはいない。でも九官鳥がいたはずだ・・・!「しまった先を越されたか?」この間まで無かった張り紙が篭の前に「九官鳥に言葉を教えないでください」の文字が。でも店員の目を盗んでは「シロキヤ、シロキヤ」と教え続けたが残念ながら、この九官鳥が白木屋としゃべることはなかった・・・。白木屋といえばなんと言っても有名なのが1932年のビル火災である。母親の話によると火災で屋上に逃げた女性が地上に非難する際に、下から見ていた野次馬にはやし立てられ手を離し多くの女性が墜落死したという。それから日本では女性が和服でも下着をつけるようになったとか。
写真の絵は自宅にある昭和29年に株式会社三越創業50周年の記念に発行された、三越のあゆみという記念誌に挿入されていたチラシである。(千葉県八千代市勝田台、勝田陶人舎)